店は,
見世,
とも当てる。辞書(『広辞苑』)には,
「みせだな」の略,
と注記して,
商品を並べておいて売るところ,
店さき,商品などを積んで陳列してある場所,
妓楼で,道路に面して格子構えなどして遊女がいて遊客を誘う座敷,張見世,
という意味が並ぶ。『大言海』は,「見世」を「見世棚」の略として,「見世棚(見世店・店棚)」を項を別に立て,こう書く。
「(為見棚の義)商家の前の部分に,棚などを設け,人に見せむが為に,貨物を列ね置く處。常に,下略して,見世と云ひ,又上略して,店(たな)とも云ふ。現代,店(みせ)と云へば,商家の前の部分にて,貨物を並べ,又は,店員などの居る所と称し,貨物を列ね置く店棚と区別す。」
「店」については,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/401709935.html
で触れたことがある。「店」というのは,語源は,「見せ」。
「ミセともタナ(棚)とも言う。商店のことを『みせ』というのは,『見せる』の連用形『見せ』なのです。大阪では店のことをオタナともいいます。オ+棚は,つまり,タナに並べて,ミセる,商店です。いまでも,お店・おたなは,商人の世界では生きて使われています。」
とある。「店」という漢字は,
「占は,『卜(うらない)+口』。この口は,口ではなく,ある物ゃある場所を示す記号。卜をして,一つのものや場所を選び決めること。店は『广(ゲン,家)+音符占』で,行商人とは違い,一つ場所を決めて家を構えた意を含む」
で,決まった場所に建物を構えて物を売る家,の意味。
たな,見世の商品だな(「棚卸」),
たな,貸家(「店子)),
という使い方は,我が国だけらしい。ついでに,「世(丗)」の字は,会意文字で,
「十の字を三つ並べて,その一つの縦棒を横に引きのばし,三十年間にわたり期間が延びることを示し,長く伸びた期間をあらわす。」
とあり,「見せ」の字から,「見世」に当て,中国由来の「店」に当てたのには,かなり意味があることが想像される。
「店(見世)」が,「見せ」が語源らしいことは,『古語辞典』の,
「見せ」
の項を見ると,想像がつく。
見るようにさせる。物事や態度などを人目に入るようにする,
相手に姿を見せる,
という意味があるので,
「見せ棚」
の意味が目に見えるようだ。
『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/mi/mise.html
も,
「見世棚(みせだな)」の下略で、店は『見世』とも書く。見世棚は商品を並べて客に見せる 棚の意味に由来するため、動詞『見す(見せる)』の名詞形『見せ』といえる。『見世棚』の 上略語『棚(たな)』も、『店』と同じ意味で用いられ、『店』を『たな』と読ませることもある。江戸時代には、遊郭で遊女が客を誘うための道路に面した格子構えの部屋も『見世』や『張り見世』といい、中から客を引く下級の遊女を『見世女郎』などと言った。漢字の『店』は、一つの場所に家を構えるといった意味を含む文字で、市の露店・行商人などと区別するために用いられたと考えられる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%97
には,「店舗」の由来が詳しい。
「『店舗』(あるいは単に『店』)という言葉は、律令制度の伝来とともに中国から日本へと入ってきた言葉である。しかし、漢字における本来の意味は、都市に存在した邸店(今日で言うところの宿泊施設。倉庫施設を併せ持つ例が多かった)と肆舗(しほ、今日で言う商業施設に該当)をあわせて称した物であった(当時、肆舗が集まる市場の近くに商用の客のための邸店が多く置かれていたために、これらを一括して扱う事が多かった)。ところが、奈良時代の日本では、民間人が旅行をする事が殆どなく、従って邸店に該当するものが存在しなかった。このため、日本に入ってきた時にその意味を正確に把握できず、店舗=「商売を行う施設」と解釈されて受容され、それが商業施設を表す日本語として用いられるようになった(ただし、中唐以後には邸店が取引の仲介に入る例もあり、それを斟酌したものであるという見方もある)。今日、『飯店』と言う同じ言葉であるにも関わらず、日本では(中華料理を出す)『食堂』、中国では『ホテル』(元は『食事を出す邸店』の意味、『酒店』も同様の意味)と違うものを指すのにはこうした背景がある。」
さらに,日本語における「みせ」の語源についても,
「『見世棚(みせだな)』に由来する。『見世棚』とは商品を陳列する棚のことであり、鎌倉末期より言葉自体は存在し、台を高くして『見せる』ことから「見世」となり、室町期に至って、『店』の字が当てられるようになった。中世日本において登場した見世棚による商法は、当時の中国・朝鮮には見られない商法であり、当時の朝鮮通信使の報告では、魚肉といった食べ物まで地面に置いて売る我が国と違い、塵が積もらず、見やすく、見習いたい(衛生上、商業上でよい)文化との旨で評価をしている。従って、品物を見せる棚から発生した言葉である。」
と,懇切である。「店」の,「商品を陳列して売る場所」という意味以外の,江戸時代の,
「妓楼 (ぎろう) で、遊女が通りかかる客を呼び入れる格子構えの座敷。また、その遊女。張見世。」
という意味は,「見せ」の原義から,露骨に,「遊女」を商品と見立てた,というふうに言えなくもない。
「店」にからめては,
店を畳む
店を張る
店を引く
店を広げる
と言った言い回しがあるが,江戸期以降,必ず,その「店」は,妓楼のニュアンスが付きまとっていたようだ。因みに,「張見世」とは,
喜田川歌麿「張見世」
「遊女屋の道路に面した格子つきの部屋(見世)に,遊女が並んで客を待つこと。客は格子の間から眺めて好みの遊女を選んだ。客と遊女は,格子をはさんで会話を交わし,遊女は素見(ひやかし∥すけん)(見て歩くだけで登楼しない客)にも〈すいつけ煙草〉をふるまうことがあった。張見世をするのは通常,夕刻6時から夜12時までであった。開店の合図があると,それまでに化粧をすませて盛装していた遊女らが2階から下りて見世に並ぶ。」(『世界大百科事典 第2版』)
「遊女屋の入口わきの、道路に面して特設された部屋に、遊女が盛装して並ぶこと。もとは店先に立って客を引いたものが、座って誘客するために考案された方法であろう。したがって客を誘うための行為であるが、遊客が遊女を選定するのに便利なように、座る位置や衣装で遊女の等級や揚げ代がわかるようになっていた。各遊女屋では上級妓(ぎ)を除く全員が夕方から席について客を待ち、客がなければ夜12時まで並んでいた。江戸吉原では、張見世を見て歩く素見(ひやかし)客が多かった。明治中期から東京ほか地方の遊廓(ゆうかく)でも廃止され、かわりに店頭に肖像写真を掲げた。アムステルダムやハンブルクの『飾り窓の女』は、これの海外現代版である。(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)
とある。まさに,「見せ」である。
参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%97
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
https://www.jti.co.jp/tobacco-world/journal/chronicle/2004/08/pop07.html
ホームページ;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/index.htm
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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