2016年05月14日

通り魔


通り魔と言うと,今日では,

通りすがりに,人に危害を加える者,

というか,

行きずりの犯罪,

の意味になるが,通り魔は,もともと,

通り悪魔,
あるいは,
通り者,
あるいは,
通り物,

とも言うらしい。「つう」の意味の「通り者」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/437747411.html

で触れた。ここで言う「通り者」は,辞書(『広辞苑』)には,

一瞬に通り過ぎ,その通り道に言え又はそれに行き会った人に災害を与えるという魔物,

とある。『江戸語大辞典』は,「通り物」として,

「通り魔,魔物」

としか載せない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E3%82%8A%E6%82%AA%E9%AD%94

は,「通り悪魔」の項で,

「気持ちがぼんやりとしている人間に憑依し、その人の心を乱すとされる日本の妖怪。『世事百談』『古今雑談思出草紙』などの江戸時代の随筆に見られ、通り者(とおりもの)、通り魔(とおりま)ともいう。」

とある。『広辞苑』のイメージとは違う。

http://www.youkaiwiki.com/entry/2013/01/27/%E9%80%9A%E3%82%8A%E6%82%AA%E9%AD%94(%E3%81%A8%E3%81%8A%E3%82%8A%E3%81%82%E3%81%8F%E3%81%BE)

も,やはり「通り悪魔」として,

「ぼうっとしている心に憑依する妖怪。
心を常に落ち着け、冷静でいる者には憑きにくいが、そうでなければ誰にでも憑依する可能性のある恐ろしい妖怪である。」

とあり,通りすがり,と言うイメージではない。

通り悪魔.jpg

『世事百談』より「通り悪魔の怪異」


いまで言う,「通り魔」だと,むしろ,「かまいたち」と呼ばれたものに近いかもしれない。

かまいたち.jpg

鳥山石燕『画図百鬼夜行』(1776年)より「窮奇」(かまいたち)


鳥山石燕は,「かまいたち」に,

窮奇,

の字を当てているが,通常,

鎌鼬,

の字を当てる。その経緯を,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E9%BC%AC

では,

「鎌鼬(かまいたち)は、日本に伝えられる妖怪、もしくはそれが起こすとされた怪異である。つむじ風に乗って現われて人を切りつける。これに出遭った人は刃物で切られたような鋭い傷を受けるが、痛みはなく、傷からは血も出ないともされる。別物であるが風を媒介とする点から江戸時代の書物では中国の窮奇(きゅうき)と同一視されており、窮奇の訓読みとして『かまいたち』が採用されていた。」

と説明している。因みに,「窮奇」とは,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AA%AE%E5%A5%87

に,

窮奇.jpg

清・汪紱『山海経存』より「窮奇」


「中国神話に登場する怪物あるいは霊獣の一つ。四凶の一つとされる。中国最古の地理書『山海経』では、『西山経』四の巻で、ハリネズミの毛が生えた牛で、邽山(けいざん)という山に住み、犬のような鳴き声をあげ、人間を食べるものと説明しているが、『海内北経』では人食いの翼をもったトラで、人間を頭から食べると説明している。五帝の1人である少昊の不肖の息子の霊が邽山に留まってこの怪物になったともいう。」

とある。それが,

「『淮南子』では、『窮奇は広莫風(こうばくふう)を吹き起こす』とあり、風神の一種とみなされていた。」

ということから,「かまいたち」と同一視されたらしい。辞書(『広辞苑』)には,

「物に触れても撃ち付けてもいないのに,切傷のできる現象。昔は鼬のしわざと考え,この名がある。越後七不思議の一つに数え,信越地方に多い。鎌風。」

とある。『大言海』には,

「(人体に,利鎌を持ちて斬りたる痕の如きものの生ずるを,鼬の所為として名づく)気候の変動よりして,空気中に真空を生じ,人体これに触るれば,体内の気,平均を保つため,皮膚を裂きてこうむる負傷」

と載る。この説は,明治期に流布したものらしいが,

「実際には皮膚はかなり丈夫な組織であり、人体を損傷するほどの気圧差が旋風によって生じることは物理的にも考えられず、さらに、かまいたちの発生する状況で人間の皮膚以外の物(衣服や周囲の物品)が切られているような事象も報告されていない。これらの理由から、現在では機械的な要因によるものではなく、皮膚表面が気化熱によって急激に冷やされるために、組織が変性して裂けるといったような生理学的現象(あかぎれ)であると考えられている。かまいたちの伝承が雪国に多いことも、この説を裏付ける。また、切れるという現象に限定すれば、風が巻き上げた鋭利な小石や木の葉によるものとも考えられている。」

と,今日では考えられているらしい。「通り悪魔」を,憑依という面から言えば,

狐憑き,

に似ているのかもしれない。

きつねつき.jpg

法橋玉山画『玉山画譜』にある狐憑きの画


「狐憑き」は,『世界大百科事典 第2版』には,

「キツネの霊が人間の体に乗り移ったとする信仰。現在でも広く各地で信じられている。憑かれるのは女性が多い。憑かれるとキツネのような行動をして,あらぬことを口走ったりするのが,狐憑きの典型的な症状であるが,体などに原因不明の異常が生じた時,そのような症状を呈さなくても,祈禱師によって,キツネが憑いているからだとされる場合もある。キツネに憑かれたままにすると,内臓を食いちぎられて,病気の末に死んでしまうとされ,祈禱師などを招いて祈禱したり,憑かれた者をいじめたり,松葉でいぶしたりして祓い落とす。」

とあるし,『日本大百科全書(ニッポニカ)』には,

「狐の霊が人に取り憑いて異常な状態を現出させること。憑依(ひょうい)(憑霊(ひょうれい)、憑き物)現象のもっとも代表的なもの。日本では狐は早くから霊威ある動物と認められており、狐塚という地名の示すように狐を祀(まつ)る習俗、狐によって豊凶を占う習俗、田の神の使いとみなす信仰、稲荷(いなり)神の使いないしは稲荷神そのものとする信仰、密教や修験道(しゅげんどう)などの系統の行法を行っての託宣・卜占(ぼくせん)・巫術(ふじゅつ)など、古くから狐に対する信仰が深くかつ広かったことが明らかである。このような狐への信仰を背景として狐憑きが成立したとみてよい。憑く小獣については普通『きつね』とよぶだけだが、所によっては特殊な呼び名をもつ。たとえば、関東から東北にかけてオサキ・オサキドウカ(御先稲荷)・イズナ(飯綱)、関東西部から中部地方にかけてはクダギツネ(管狐)、山陰の一部でトウビョウ・ニンコ(人狐)、九州の一部でヤコ(野狐)などである。しかしその形態・性情については不思議に伝承の一致があり、大きさはほぼ子猫ほど、色は茶褐色、眷属(けんぞく)は75匹などということが多い。いずれにせよ異常な状態になるのであるから、こうした状態変化をもたらしたり、またはその原因を説明し、はては『狐を落とす』と称して解放させたりすることのできる呪術(じゅじゅつ)者・祈祷師(きとうし)の活動も、狐馮きの俗信に伴って広まっていた。室町中期に『狐仕(きつねつかい)』と称する職業的祈祷師が都市にいた(『康富記(やすとみき)』)ことも明らかである。京都の吉田家からは近世初頭に『野狐鎮札』と称する符(ふ)を出していた(『梵舜(ぼんしゅん)日記』)。」

とあり,

「狐憑きそのものは本来動物崇拝から発したもので、古代中国の記録にもみえ、東アジアに広く共通する現象であったとみてよい。」

とされるようだ。こう見ると,「通り悪魔」は,

狐憑き,

鎌鼬,

と,「いたち」や「きつね」に原因が特定できない分だけ,不気味,と言えば言えるかもしれない。それにしても,通りすがりにいきなり人に危害を加える者を,

通り魔,

と名づけたのは,なかなかの慧眼と言えるのかもしれない。避けようのない,鎌鼬に似ていて,憑依されたように豹変するという意味で。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E3%82%8A%E6%82%AA%E9%AD%94
http://www.youkaiwiki.com/entry/2013/01/27/%E9%80%9A%E3%82%8A%E6%82%AA%E9%AD%94(%E3%81%A8%E3%81%8A%E3%82%8A%E3%81%82%E3%81%8F%E3%81%BE)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%90%E6%86%91%E3%81%8D
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E9%BC%AC


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