2016年05月17日

森羅万象


森羅万象は,ふつう,

しんらばんしょう,

と訓むが,『大言海』では,

しんらまんざう,

とも訓ませる。で,辞書(『広辞苑』)によれば,

「『森羅』は限りなく並び連なる意。『象』は,有形物の意」

とあり,

「宇宙空間に存在する数限りない一切の物事,万有」

という意味になる。「万有」とは,

「宇宙間にあるすべてのもの。万物。万象。一切有為」

という意味になる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E7%BE%85%E4%B8%87%E8%B1%A1

には,

「『森羅』は樹木が限りなく茂り並ぶことであり、『万象』は万物やあらゆる現象。なお、『宇宙』はあらゆる存在物を包容する無限の空間と時間の広がり、および宇宙空間を指す。」

ともある。中世末期,イエズス会は『日葡辞書』で,

「御主デウス森羅万象ヲツクリタマウ」

と訳した,らしい。『大言海』は,

「天地の間に,萬物の,種々の有様にて,数限りもなく,存在する状を云ふ語。」

と説明する。これが正確のような気がする。

漢字から見ていくと,「森」の字は,

「『木三つ』を合わせたもの。たくさんの木が込み合っている」

という意になる。「羅」の字は,

「网(あみ)+維(ひも,つなぐ)」

で,

あみ,
とか,
(あみの目のように)つらなる,ならぶ,

という意味になる。「羅列」「網羅」と言った使い方をする。「万(萬)」の字は,象形文字で,

「萬は,もと,大きなはさみを持ち,猛毒のあるさそりを描いたもの。のちさそりは,萬の下に虫を加えて別の字となり,萬は音を利用して,長く長く続く数の字に当てた。」

とある。そのため,

よろず,非常に数が多いことを示す,

という意になる。「象」の字は象形文字。まさに,

「ゾウの姿を描いたもの。ゾウは,最も目立った大きなかたちをしているところから,かたちという意味になった」

とあり,「図像」「現象」「象形」とカタチを意味する。

だから,万物が,

「宇宙に存在するすべての物」

であり,万有が,

「すべての存在」

ということになる。すべてとは,数限りない,という意味である。

迂闊というか,無知というか,

森羅万象

は,人の名でもある。

しんらまんぞう,

とも訓ませる。たとえば,

「江戸後期の狂歌師。通称中原中良、のち森島甫斎。風来山人平賀源内の門人にて二世風来と号する。天明年間万象亭の号を以って黄表紙数部を作り、春町・手柄岡持等と其名を競った。文化5年(1808)歿、55才。」(『美術人名辞典』)

「江戸後期の狂歌師・戯作者・医師。江戸の人。本名、森島中良、のち桂川甫斎。通称、甫粲(ほさん)。狂号、竹杖為軽(たけづえのすがる)。平賀源内の門人で、2世風来山人と称した。洒落本「田舎芝居」など。しんらまんぞう。」(『デジタル大辞泉』)

「江戸後期の戯作(げさく)者,蘭学者。桂川甫周の弟で,本名森島(のち中原)中良。通称は甫粲。別号は万象亭,二世風来山人,天竺老人。平賀源内の門下で,洒落本《田舎芝居》(1787年)等を著す。(1756-1810)」(『百科事典マイペディア』)

「幕府医官桂川甫周の弟。平賀源内門下の蘭学者として《紅毛雑話》(1787),《万国新話》(1789),《類聚紅毛語訳》(1798)など多くの著述があるが,戯作者としては,黄表紙に知識人としての軽妙洒脱な作品が多く,《従夫(それから)以来記》《万象亭戯作濫觴(まんぞうていげさくのはじまり)》(以上1784),《竹斎老宝山吹色》(1794)などがあり,また洒落本では初作《真女意題(しんめいだい)》(1781)で,本能のまま行動する田舎侍の野暮さかげんを描いて笑わせ,《福神粋語録(すごろく)》(1786)では七福神の吉原遊びの滑稽を描いたが,《田舎芝居》(1787)は当時の洒落本の行き過ぎた写実の弊をついて,笑いの回復を主張し,のちの滑稽本への礎石をなした。読本には《月下清談》(1798)の中国種のものがある。)」(『世界大百科事典』)

田舎芝居.jpg

『田舎芝居』


等々。残念ながら,これ以上の言及はない。

http://www.ten-f.com/syarakusai-to-kyoka.html

に,

「江戸っ子の間で『大當りした』作者の一人として紹介されている萬象亭(森島中良、1756?~1810)と号する人物は金鶏と同じ医師を生業とする戯作者の一人でした。そして、この人もまた天明狂歌壇と無縁ではなかったのです。江戸幕府の奥外科医師を勤めていた桂川甫三(1728~1783)の次男として生まれた彼は、寛政の頃まで家祖の元姓『森島』を名乗り通称は万蔵、平賀源内の門人として知られ、狂歌名を竹杖為軽(すがる)、森羅万象あるいは萬象亭とも号した人物で洒落本『田舎芝居』の作者でもありました。そして、この人の経歴で目を引くのは丁度、写楽が江戸で活躍し始めた寛政六年から三年余りの期間松平定信が藩主であった奥州白河藩に『御小納戸格』として出仕している事実です。定信が老中の職を辞したのが寛政五年七月、そして戯作者であり狂歌詠みでもある萬象亭が医師としてではなく、藩主の身の回りの雑用も含めた秘書的な職を意味する『小納戸役』として近習したのは、彼の持つ文壇画壇そして狂歌界等の俗知識を定信が必要としていたからだと想像出来ます。」

と,意外な経歴を載せている。また,

http://www.ne.jp/asahi/kato/yoshio/sonota-edo/edokyoukabon.html

の,『江戸狂歌本選集』に,四方真顔、森羅万象編の,

『狂歌武射志風流』上之巻〔江戸狂歌・第六巻〕・享和四年(文化元年・1804)刊

があるらしい。

なお,『広辞苑』には,二世森羅万象がいる,とあり,

「姓は樋口。通称福島屋仁左衛門,別号,七珍万宝」

と載る。

ホームページ;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/index.htm

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

ラベル:森羅万象
posted by Toshi at 05:01| Comment(0) | 江戸時代 | 更新情報をチェックする
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