2016年05月30日

歴史認識


東郷和彦『歴史と外交─靖国・アジア・東京裁判』を読む。

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著者は,終戦時外務大臣であった東郷茂徳の孫にあたる。その来歴を,日韓問題の章で,著者はこう書く。

「東郷茂徳は,鹿児島市から車で約一時間ほどの距離にある日置郡東市来街美山という村(現・日置市)の出身だった。美山は慶長三(1598)年,朝鮮戦役の最後に,半島から撤退する豊臣秀吉軍に拉致された朝鮮の陶工たちが,居を構えた場所である。この村で,朝鮮の陶工たちは,薩摩藩の独特の保護と隔離の政策下で,当時は世界の最先端技術による陶器を製産,世に知られる薩摩焼となった。
 茂徳の父寿勝はこの村の陶工のひとりであり,明治維新のとき,旧姓朴を捨て,東郷姓を名乗った。茂徳は,明治十五(1882)年,この村に生まれ,この村からやがて,東京帝国大学に学び,外交官になった。」

以来三代続く外交官の家系である。

本書は,

靖国神社,
慰安婦問題,
日韓関係,
台湾関係,
原爆投下問題,
東京裁判,

と,いずれも「歴史認識」「戦争責任」に関わる,戦後70年もたっていながら,いまだ何一つ国家として主体的に,まともに解決できていない実にホットな問題を,冷静に腑分けし,論点整理をしている。個々に異論はあっても,必要なのは,こういう論点整理,つまり,

メタ・ポジション,

からの俯瞰だということをつくづく感じさせる。本書は,2008年,第一次安倍内閣当時に上梓されたが,以降,事態は一向に改善されていない。いや,改善どころか,悪化の一途をたどり,政権自ら歴史の全否定をし始めている。その意味で,本書の冷静な腑分けが,いまなお際立っている。

「あとがきにかえて」で,

「歴史に関心を寄せない民族に,おおきな将来性があるとは思えない。
 だが,わが民族の,歴史に対する関心を見ていると,もうひとつ,そこに,猛烈な内部対立があり,巨大なエネルギーが,その内部対立に割かれていることを感じざるをえない。
 歴史と民族のアイデンティティに関するわが国内の議論は,相互尊重にもとづく対話というよりも,人格攻撃を含む,猛烈な相互攻撃の渦のように感ぜられるのである。とくに,最近の出版の中には,右から左に対する猛烈な批判の書があふれているように思われてならない。
 そういうことは,もうそろそろ,終りにしないといけない。」

と書く言葉が,切実である。幕末の,攘夷派と佐幕派のテロに見まがう口撃が,ネット上で,炎上という形で発生する。とても筆者の願いとは反する方向へ,その後さらに進んでいるように見える。

「日本自身として,戦争責任の問題をどう考えるのか。日本自身でこの問題について考え,結論を出し,それをサンフランシスコ条約第十一条との関係も十分に考えたうえで,受け入れていく」

というあなた任せの東京裁判以外に,戦後唯一,戦争責任の問題について,自分で判断したのが,

村山談話,

である,と著者は見る。

「閣議決定によって採択されたこの談話こそ,それまでの戦争責任に関する議論を総括し,政府として,自発的に下した,最も重要な意思決定だったと思う。」

著者は,慰安婦問題については,河野談話を,

「私自身は,明確に,“河野談話派”だった。私の年代の外務官僚としては,それは,一般的な立場だった。」

と語る。いまの世代の外務官僚とどの程度の認識さがあるのかは知らないが,漏れ聞こえる昨今の外交官の言動は,そこからは大きくずれ,夜郎自大化しているかに見える。印象深いのは,

「トーゴーさん,あなたは納得できないかもしれない。しかし,いまのアメリカ社会における,性(ジェンダー)の問題は,過去十年,二十年前とはまったくちがった問題になっている。
 婦人の尊厳と権利を踏みにじることについては,過去のことであれ,現在のことであれ,少しでもそれを正当化しようとしたら,文字どおり社会から総反撃を受けることになる。(中略)
 要するに,慰安婦の問題を考えるとき,多くのアメリカ人は,いま現在,自分の娘がそういう立場に立たされたらどうかということを本能的に考える。ましてや,それが,少しでも『甘言によって』つまり『だまされて』連れてこられ,そのあと,実際に拒否することができなかったというのであれば,あとは,もう聞く耳もたずに,ひどい話だということになる。
 あなたが言われるように,そういう甘言でもって強制された人は全員ではなかったかもしれないし,軍の本旨としてはそういう事態を抑制したかったとしても,それが徹底して厳密に抑止できなかった以上,結果責任は免れないということになる。
 (中略)日本全体が,今述べたアメリカ社会の現状を知ったうえで,議論しているだろうか。」

著者はアメリカでの慰安婦セッションの後,参加者から言われたことを書きとめている。この意味を弁えた議論がなされているとは,今日到底思えない。「朝日新聞が…」といい,言い訳し,正当化しようとした瞬間,そっぽを向かれている,ということが認識できているとは思えない。それは,著者の言う,

「情報戦で,極めて深刻な立ち遅れに至っている」

というレベルの問題ではない。集団拉致が誤報であることを言いことに,慰安婦問題自体を,公娼の問題にすり替えようとしている,というその姿勢そのものに問題がある。僕は個人的に,何千人単位で,インドネシアから徴用された人が,戦後多く行方不明となり,その帰還に尽力された日本人を知っている。ことは,慰安婦問題だけではない,占領地の人々を勝手に強制的に徴用するばかりか,シンガポールの華人虐殺のように公にならない虐殺,暴行,拉致は数知れず,そのいっさいに頬被りし続けているという態度そのものが問われている。「責任を取る」と二言目には言うどこやらのトップ同様,責任を取るとはどういうことかを,日本は国家として,本当にほとんど世界に,アジアに発信していないのである。慰安婦は,その象徴に過ぎない。

ところで,日韓問題で,著者は,安重根に言及し,彼の,

「いまは韓日は非常に不幸なかたちで袂をわかってしまった。しかし,いずれの日にか,韓日清はともに手を携えて,北東アジアの平和と繁栄をつくっていかなければならない。」

という言葉を載せる。僕はそこに,勝海舟が,(ということは,多分横井小楠も)三国連携を言っていたことを思い出させ,当時のトップクラス(維新の遂行者のほとんどはそこに入れない)の知性が抱く構想を共有する,安重根の人物とその無念さが見える気がする。

著者は,どの問題でも,常に,

「日本国および諸外国が受け入れられるような最善のかたち」

を,独自に提案する。その冷静なメタ・ポジションからの整理は,得難い。その上で,

「先の大戦にかかわる歴史認識の問題は,日本がいずれかの時点で克服すべき課題である。しかし,そのためには,戦略と情報が必要である。戦略とは,一番重要なのはなにかを識別し,選択し,他の重要なものとのあいだに優先順位をつけて,一つひとつ時間差をつけて解決していくことである。また,情報とは,相手側がなにを考えているかを知悉することである。」

開戦前に似て,自己に都合のいい情報のみを入れて自画自賛し,自己正当化し,相手を矮小化する今日のありようは,著者の考えとはあまりにも乖離している。

参考文献;
東郷和彦『歴史と外交─靖国・アジア・東京裁判』(講談社現代新書)


ホームページ;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/index.htm

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

posted by Toshi at 04:51| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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