2016年06月08日

秀吉像


日本史史料研究会『秀吉研究の最前線』を読む。

秀吉研究の最前線.jpg


本書は,最新の秀吉像を,

第1部 政治権力者としての実像

では,

秀吉と朝廷との関係,
秀吉と武家官位の問題,
秀吉の大名統制策,
五大老・五奉行の機能と意義,
政権初期の知られざる家臣たち,

というテーマで,特に,

「関白になった意義,および官位を用いた大名統制」
「五大老・五奉行…も,五大老が上,五奉行が下…という尺度では測れないこと」

等々は,余り知られていない面だが,新たな側面に光を当てている。秀吉の官位制度は,

「それまでの中世の武家官途による秩序とはまったく異なるもので,秀吉によって創出され,それを継承した徳川政権によって近世武家官位制として確立されることになる。なお天正十三年九月に秀吉は豊臣姓を賜っており,秀吉の家臣・臣従大名は,官位の叙任を受ける際,当初は元々の本姓(藤原,源など)で受けていたが,聚楽第行幸後の天正十六年(1588)七月以降,豊臣政権に属する者は,叙任の際に必ず豊臣姓を与えられて用いるようになっている。」

官位は,臣従したものの忠誠を獲得するために,秀吉が与えた恩恵であって,

「秀吉の政治的意図により創出された」

と見なされている。つまり,

「諸大名に豊臣姓を授与すると同時に,苗字である羽柴を与えることにより,擬制的な血縁関係をもって,『豊臣一門』と見なすことで大名統制策のひとつとした。さらに,諸大名の家臣(陪臣)にまで豊臣姓が授与されることとなる。」

第2部 誰もが知っている秀吉が命じた政策,

では,秀吉の重要な政策である,

太閤検地,
刀狩,
惣無事,
天下統一船,
朝鮮出兵,

の見直しはかなり知られてきたが,特に,「惣無事」の可否について真のホットな論争は,ある意味秀吉像を真逆にするものだけになかなか面白い。

第3部 秀吉の宗教・文化政策の実像

では,

秀吉と寺社との関係,
キリスト教政策,
茶道との関わり,

の切り口から取り上げているが,茶道の政治的利用に焦点を当てた分析は,利休の主体的なかかわりの部分も含めて,改めて戦国期の茶道イメージを確認させられる。キリスト教禁止令については,わずか一日で,不況への規制令から,翌日には禁止令に,がらりと方針転換する背景に,何があったかの部分が,秀吉の貿易政策を象徴しておおり,なかなか興味深い。

第4部 秀吉の人生で気になる3つのポイント

では,

秀吉の出自,
清州会議以降のどこで統一に転じたのか,
家康との関係,

を取り上げている。出自では,縁者が少なく,母方の姉や弟や,母とつながる加藤清正等々は重視している。しかし,

「実父さえわからない秀吉が,竹阿弥は言うに及ばず,実父の菩提寺を建てたり,位牌を追贈したりすることをおこなっていない…し,実父や養父の系統に連なる親族が,秀吉の家臣に含まれていない」

ことから,秀吉の出自の想像がつく。さらに,

「なかには数人の子が存在した可能性」

があり,

「フロイスの『日本史』に見える記述から,生活を維持するために大政所は不特定の男性と関係を持ったのは確実であり,当時は珍しいことではなかったこと,母の大政所は貧苦にあえぐなかで,複数の男性と関係を持ち,子を産んだ可能性が高いこと…。ただし彼らは,いずれも秀吉によって殺されてしまったらしい。」

との記述に,秀吉が,どういう来歴だったかを如実に語っている。その中から,おのれの才覚ひとつで,史上初の「武家関白」として,天下人に昇り詰めるというのが,いかほど至難なことかは,想像に余る。

「秀吉は信長の小者として出発し,一代で権力を掌握し,大家臣団を築きあげた傑出した人物である。ゆえに,秀吉あっての家臣団と言い換えることも可能であろう。ここに,秀吉の家臣団の特徴がある。(中略)しかし,このいっけん頑強で一枚岩のように見えた家臣団も,秀吉というカリスマがあってのものであった。…秀吉亡き後にそのもろさを露呈する。」

秀吉ひとりの政権であり,制度としての政権には至らなかった,ということなのだろう。

参考文献;
日本史史料研究会『秀吉研究の最前線』 (歴史新書y)


ホームページ;
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