2016年06月15日

ヘイト・スピーチ


師岡康子『ヘイト・スピーチとは何か』を読む。

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最近ヘイトスピーチ対策法案が,実効性の是非はあるものの,ようやく国会で成立したが,本書(2013年刊行)は,「ヘイト・スピーチ」という言葉が,

「2013年に日本で一挙に広まった『ヘイト・スピーチ』という用語は,ヘイト・スピーチ・クライムという用語とともに1980年代のアメリカで作られ,一般化↓意外に新しい用語である。」

と冒頭で紹介する。そして,その言葉の成立経緯,

「ニューヨークを中心にアフリカ系の人々や性的マイノリティに対する差別主義的動機による殺人事件が頻発したことから,…ヘイト・スピーチ・クライムの調査を国に義務付ける『ヘイト・スピーチ・クライム統計法案』が作成された。これが『ヘイト・スピーチ・クライム』という用語の始まりと言われている。」

から見て,

「ヘイト・スピーチ・クライム・もヘイト・スピーチもいずれも人種,民族,性などのマイノリティに対する差別に基づく攻撃を指す。」

とし,本書の狙いを,

「現在最も焦点化している新大久保,鶴橋などにおける排外主義デモに代表される人種主義的ヘイト・スピーチracist hate speechについて中心的に取り上げるそれは『人種的烙印の一形態としての攻撃』であり,標的とされた集団が『取るに足らない価値しか持たない』というメッセージであり,それ自体が言葉の暴力であると同時に,物理的暴力を誘引する点で,単なる『表現』を超える危険性を有し,『人種的偏見,偏見による行為,差別,暴力行為,ジェノサイド』の五段階の『憎悪のピラミッドとしてしばしば説明される。」

とする。その意図を慮る前に,具体的にヘイト・スピーチを紹介して見れば,一目瞭然。たとえば,

「不逞鮮人追放」「韓国人を絞め殺せ」「うじ虫韓国人を日本から叩き出せ」「寄生虫,ゴキブリ,犯罪者。朝鮮民族は日本の敵です」「よい韓国人も悪い韓国人もどちらも殺せ」「くそ喰い土人撲滅」「害虫駆除」「韓国人売春婦五万人叩き殺せ」等々(新大久保)

「ゴキブリチョンコを日本から叩き出せ」「二足歩行で歩くな,チョンコ分際で」「いつまでも調子に乗っとったら,南京大虐殺じゃなくて,鶴橋大虐殺を実行しますよ」等々(鶴橋)

という具合である。

人を呪わば穴二つ,

という,人への罵詈雑言は,そのまま天に唾するものだが,こういう手合いには,効かない。しかし,日本政府は,基本的に人種差別に消極的だ。それどころか,石原慎太郎をはじめとして,公人自体が,平然とヘイト・スピーチをして憚るところはない。たとえば,慎太郎の発言は,

「不法入国した三国人,外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している。」

「女性が生殖能力を失ってもまだ生きているってのは,無駄な罪です。…もっとも悪しき有害なものはババァ」

「同性愛の人間ってのはかわいそうなんだよ,…遺伝工学の先生に聞いたら,人間に限らず哺乳類ってどんな世界でも必ず何パーセントかは純粋なホモができちゃうんだと」

等々,こういうのを放置できる日本の危険性は,

「偏見を拡散しステレオタイプ化し,差別を当然のものとして社会に蔓延させ,差別構造を強化することである。社会心理学者のゴードン・オルポートによれば,それは憎悪を社会に充満させ,『暴力と脅迫を増大させる連続体の一部』であり,究極的にはジェノサイドや戦争へと導く。」

ドイツでは,ユダヤ人に繰り返したヘイトスピーチが数百万人単位のホロコーストに直結した。ルワンダにおけるフツ族によるツチ族の数十万人の虐殺は,フツ族高官のラジオ報道での「ツチ族はゴキブリだ,叩き殺せ」などのヘイト・スピーチが引き金になった。我が国の関東大震災での虐殺事件も,「朝鮮人が来襲する」「朝鮮人が井戸に毒を投げた」と権力の捏造したデマとヘイト・スピーチが引き金になった。

本書では,「マイノリティ」を,

①一国においてその他の住民より数的に劣勢な集団で,
②非支配的な立場にあり,
③国民の残りの人たちと異なった民族的,宗教的または言語的特徴を有し,
④自己の文化,伝統,宗教または言語を保持することに対して,連帯意識を黙示的であるにせよ示しているもの,

とし,

「例えば,日本における米兵は,②の要件を満たさないのでマイノリティとはいえず,米兵に対する非難はヘイト・スピーチにはあたらない。」

とする。ヘイト・スピーチに曝された人は,

「性暴力の被害者と同様,PTSDに苦しみ,魂の殺人にまで至り,自死にまで追いつめられる」

という。そして,

「私が本当に許せないのは(在特会ではなくて)このような事態が許されているこの社会の規律と良識です」

という。その通り,我が国は,人種差別にも,民族差別にも,規制に,消極的というか,むしろ抵抗し続けている。

「1979年,自由権規約を批准し,20条によりヘイト・スピーチを禁止する法的義務を負ったが,30年以上その義務を怠ってきた。」

他の人権諸条約に較べると,人種差別条約への取り組みの消極姿勢が際立つ,と著者は言う。

「人種差別禁止法もヘイト・スピーチ・クライム法もヘイト・スピーチ法もないにもかかわらず,法整備を一切行わなかったのである。日本政府の人種差別に対する特異な姿勢がここでもみてとれる。」

国内のヘイト・スピーチの放置は,言ってみれば,そういう為政者の姿勢を反映している。そして,日本政府の,

「現状が,既存の法制度では差別行為を効果的に抑制できず,かつ立法以外の措置によってそれを行うことができないほど明白な人種差別が行われている現状にあるとは考えていない」

との態度は,まさしく現行のヘイト・スピーチを助長するものでしかない。意図的であるとしたら,醜悪である。

本書は,ヘイト・スピーチに法的規制に取り組む欧米,カナダ,法規制に消極的なアメリカ,日本を取り上げつつ,表現の自由を持ち出す慎重論に,

「想像してみてほしい『うじむしゴキブリ朝鮮人』と言われ,どのような対抗言論が成り立つだろうか。…『でていけ』『叩き出せ』という表現も,マジョリティがマイノリティ,とりわけ外国籍者に対して言うからこそ社会からの排除を意味し,生活基盤を失う恐怖につながる攻撃になるのであり,マイノリティの側がマジョリティに対し,『出ていけ』ということは,何ら反撃とはなりえない。」

と述べ,さらに,

「法規制するとヘイト・スピーチとして表れていた勢力が潜在化し,より危険な暴力行為に走るとの主張は,主観的にはどうあれ,表現の自由を社会防衛機能の観点からとらえ,そのためにマイノリティらに言語の暴力のサンドバッグに耐えろと主張しているに等しい。」

少なくとも,国際基準から見たとき,

「人権基準の求める制度のほぼすべてが存在しない」

という現状は,そのまま,ヘイト・スピーチの保護と同じである。恥ずかしいことは,他にも一杯あるが,これが,

美しい日本,

と自画自賛する,我が国の実態である。

参考文献;
師岡康子『ヘイト・スピーチとは何か』(岩波新書)


ホームページ;
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今日のアイデア;
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posted by Toshi at 04:31| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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