2016年06月16日
忖度
忖度(そんたく)は,
「『忖』も『度』も,はかる意」
と注記して,
他人の心中を推し量ること,推察,
と意味が載る。『語源辞典』も,
「中国語で,『忖(思いはかること)+度(はかる)』が語源」
と同じことが載る。漢字「忖」の字は,
「寸は,『手のかたち+一印』で,手の指一本の幅のこと。一尺は手尺の一幅でせ,22.5㎝。指十本の幅が丁度一尺に当たる。また,漢字をくみたてるときには,手,手をちょっとおく,手をつけるなどの意を表す。忖は,『心+音符寸』で,指をそっと置いて,長さや脈をはかるように,そっと気持ちを思いやること」
とある。「度」の字は,
「又は,物をかばう形をした右の手を描いたもので,右の原形。度は,『又(て)+音符庶の略体』。尺(手尺で長さをはかる)と同系で,尺とは,しゃくとり虫のように,手尺で一つ二つとわたって長さをはかること」
とある。同じく「はかる」と言っても,意味は,
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/174852/meaning/m0u/
のように様々だが,漢字で,
計る,量る,測る,諮る,謀る,忖る,料る,議る,度る,略る,衡る,
等々様々に当てるため,漢字のもつ(モノの)分化力にしたがって,「はかる」の向こうに多様な意味の視界が開く感じだが,和語は,語源は,二説ある。
ひとつは,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/431282570.html
でふれた,「はか」に関わり,
「ハカ(仕事の進み具合・めあて・あてど)+ル(動詞をつくる接尾語)」が語源。ハカドル,ハカガユク,ハカラウなどと同一の語源。
とする(『古語辞典』も,「ハカ(量・捗)の動詞化。仕上げようとした仕事の進捗状態がどんなかを,広さ・長さ・重さ等々について見当をつける意」とする)。
いまひとつは,
「ハ(張る)+カ(限る)+ル」が語源。親指と人差し指を一杯に広げて,それを何回かくりかえして,限っていくことができる,というハカル。」
とし(『大言海』も「大指と中指とを張(は)り限る意」という説を取る),こう付言する。
「日本語のハカルは,意味するところがきわめて広範囲な用法をもっています。物体,人事,重量,体積,深さ,相談,計画などにわたって,すべてハカルを用います。しかし,『ああでもない,こうでもない,と適正なものを求める』のがハカルのすべてに共通の語源ともいえます。そうして,これらの質的なハカルの違いは,…中国語源に頼っています。」
として,さまざまな漢字の語源を洗いだしている。「はかがゆく」の「はか」「もはかる」の「はか」も,元々はあいまいだったのかもしれない。そこに漢字の厳格な区分が入り,使い分けが進んだのではないか。漢字の語源はともかく,漢字は「はかる」を厳密に使い分けている。
「計」は,物の数をかぞへるなり。総計は,数の総じめなり,心計は,胸算用なり,転じて,謀計の意に用ふ。
「図」は,はかると訓むときは,料度,計量等の義なり。はかりごとと訓むときは,謀略の義。
「量」は,ますなり,転じて,分量をつもり見る意。商量,料度,測量などと用ふ。名詞としては,識量,度量,酒量などと用ふ。
「度」は,ものさしのときは,音ド。転じて,態度,遠度などと用ふ。また,はかる,と訓むときは,音タク。尺度にて,長短を度るごとく,心につもり見る意。量度,度量などと用ふ。
「称」は,はかりなり,はかりにかけて,軽重を知るように,つり合いよくする義。
「権」は,称錘(はかりのおもり)なり。物の軽重をかけて見るやうに,差し引きみはからうなり。転じて,権謀,権変などと用ふ。
「測」は,水の淺深をはかるなり。転じて,奥底のはかり知られぬ義とす。推測,測量などと用ふ。
「料」は,ますめを数ふる義。転じて,どれ程と心にはかりつもるに用ふ。
「忖」は,先方の心を推量するなり。
「揣」は,量也と註し,「度高曰揣」とも註す。手に手探りはかる義あり,これ程であらんかと頭を傾けて思案する義。
「商」は,商量,商略などと用ふ。
「揆」は,度に同じ。一つの型に合ふか合はぬかをはかるなり。揆度と用ふ。
「略」は,田地の境を計量する義。きりもりするに用ふ。はかりごとと訓するときは,軍略,覇王略などと用ふ。
「策」は,はかりごとと訓むときは,策謀,策略などと用ふ。はかると訓むときは,蓍(し)策似て,かくすれば善,かくすれば悪と,一つ一つにはかるなり。
「算」は,算木なり。転じて謀略の義に用ふ。勝算。
「議」は,事の宜しきを評定するなり。
「画」は,図に近し。もと線を引きて,此の通りがよからんと,差図する意。
「程」は,これ程と,原料をたつるなり。
「詮」は,はかりにて物をかける如く,品位の高下を精しく品評して分かつをいふ。詮評,品詮と連用す。
「衡」は,はかりのさをなり。転じて左右を見合わせ,公平にはかる義とす。
「訽」は,とひ謀る義。
「諮」は,貴い人が卑しき人に相談する義。諮問。
「参」は,人数の中に与り,加わる義。
「虞」は,度に同じで,予め心を配る義。
等々,よく使い分けると畏れ入る。しかし,いずれも,物理的な衡量,測定を心の測定のメタファへと拡大していることは推測がつく。
忖度の,「忖」は,どうやら,「心」を加えて,当初から心の中の計量を指していたらしいし,「度」も,心の見積もりを意味していたらしい。
類語で言うと,
推測
や
推量
や
推察,
ということになるが,ただ推し量る,というよりは,
相手の立場や事情を考える,
というニュアンスがあるように思えてならない。だから,通常,
思い遣る,
心を汲み取る,
という含意があるように思える。そうなると,
斟酌する,
とか
慮る,
と少し重なってくる。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1114717086
では,斟酌と忖度を,
「単純に相手の心情を推し量るのが忖度。推し量った上で、それを汲み取って何か処置をするのが斟酌」
と,整理していた。とすると,慮るは,忖度と斟酌の中間,
どうするか思案するプロセス,
ということになる。その結果,配慮(慮りを配る)となる。配慮と斟酌は重なりそうだ。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/index.htm
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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