2016年06月26日

一味同心


一味同心というと,どうも夜盗や泥棒といった連中が徒党を組む,というイメージになっている気がするが,本来は,

心を一つにして味方すること,

という意味(『広辞苑』)で,『太平記』の,「国々の大名一人も残さず,一味同心して」という用例から見ると,この中世を反映して,例の楠正成の「悪党」のイメージにつながる。「悪」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/433867377.html

で触れた。「一味」は,辞書(『広辞苑』)などを見ると,

仏説は時と所に応じて多様であるが,その本旨は同一であること,
事または理の平等であること,
味方すること。また,その人々。現代では,悪事の集団に言う,
漢方で薬種の一品,
独特の味わいがあること,
一つの味。また、副食物が一品であること,

等々と載るが,『大言海』は,「いちみ」として,二項を立て,

「味」系の,

食味の一様なること,
漢方医の薬種の一品,
涼風の,一趣味あること,

と,

「一味・一身」と当てて,

「ミは,身方の下略(一の手段,一の手)味(み)は,当て字なり」

と注記した,

同じ身方,一身同心とも云ふ,同盟,

という意味とを立てている。「一味」は,

「中国語の『一味(同一の味)』が語源です。転じて,同じ仲間の意を表します。」

という説(『語源辞典』)と,『語源由来辞典』,

http://gogen-allguide.com/i/ichimi.html

の,

「一味は仏教語で、時・所・人によって多様であるが、大海の味がどこでも同じであるよう に、本旨は同一で平等無差別であるといった教えであった。 その意味から、一味は心を 同じくして協力する意味や同志の意味となり、いつしか悪事を企む仲間の意味で用いられるようになった。」

とがあるが,「味」の字は,

「未は,細かいこずえの所を強調した象形文字で,『微妙』の『微』と同じく,細かい意を含む。味は『口+音符未』で,口で微妙に吟味する。」

という意味を出ず,ここからは,仲間という意味の「一身」の意味は出ない。ふつう考えられるのは,どうやら,仏語に当てたところから出たのではないか,と思う。本来は「味」の意で,仏典に当てて意味が広がったのではないか。

「同心」は,辞書(『広辞苑』)には,

同じ心,同意,
心を同じくすること,心を合わせること,
鎌倉・戦国時代,寄親(よりおや)に付属した寄子(よりこ)の下級武士,
江戸幕府の諸奉行所・所司代・城代・大番頭ろ書院番頭などの灰かに属し,与力の下にあって,庶務・警察の事を司った下級武士,

とある。別の辞書には,「どうじん」とも訓む,とある。

「鎌倉時代には加勢を意味した。室町時代には与力(よりき)とともに諸大名家に付属した武士をいったが、戦国時代になると一般化し、侍大将・足軽大将らの率いる諸隊に付属した軽格の武士をさすようになった。江戸幕府では、大番頭(おおばんがしら)、書院番頭、百人組頭、先手(さきて)頭、船手頭、京都所司代(しょしだい)、留守居(るすい)、町奉行(まちぶぎょう)、作事(さくじ)奉行、また遠国(おんごく)奉行などをはじめとする番方(ばんがた)・役方の諸職の支配に属し、馬上格の与力の指揮を受けた。徒歩(かち)の格で、30俵二人扶持(ぶち)高を基準とし、抱席(かかえせき)あるいは譜代(ふだい)席であった。」(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)

こう見ると,「一味同心」は,中世の,

擬制的な親子関係,

から派生している,と見るのが妥当だろう。たんなる仲間,というのとは異なる。それは,

一揆,

という言葉とも,つながる。一揆は,百姓一揆,土一揆というイメージが強いが,辞書(『広辞苑』)を見ると,

道・方法を同じくすること,
心を同じくしてまとまること,
中世の土一揆,近世の百姓一揆などのように,支配者への抵抗・闘争などを目的とした農民の武装蜂起,

と意味が載るが,『大言海』は,「一揆」を二項別に立て,土一揆の「一揆」とは別の「一揆」について,

一致と云ふに同じ,
一身同心,
軍陣中の一手,一手に同族の兵,団結して其武装(いでたち),又は旗の紋を同じにしたるを,何一揆,某(それ)一揆と云ひき,

とあり,ほぼ一味同心と同義であるとわかる。「揆」の字は,『大言海』に,

揆,度(はかる)也,

とあるように,

「癸(キ)とは三方または四方に張り出てどちらでも突けるほこを描いた象形文字で,回転させて敵に引っ掻ける武器。または,回転させるコンパスのこと。始めから終わりまで一回転する意を含む。揆は,『手+音符癸』で,終始(つまり,一回転)を見わたしてはかって見積もること」

を意味する。

先聖後聖,その揆一なり,

と『孟子』にあるように,

揆(はかりごと・道・方法)を一つにするの意,

と見ることができる。だから,本来は,

「もとは一致協力する意味の言葉であるが,鎌倉幕府の滅亡後,うちつづく政治,社会の混乱に対処しようと,中小武士層が一味同心して集団行動をとり,一揆と称した。一揆は鎌倉時代の党が血縁的集団であったのと異なり,地縁的結合の要素が強かった。」(『ブリタニカ国際大百科事典』)

ところから,

「一味同心という連帯の心性を共有する人々で構成された集団。日常性をこえた問題,通常の手段では解決が不可能であると考えられた問題を解決することを目的にして結成された,現実をこえた非日常的な集団が一揆である。一揆は,現実には個々ばらばらの利害の対立を示す社会的存在としての個人を,ある共通の目的達成のためにその関係を止揚して,一体化(一味同心)した。そのために一揆に参加する個々のメンバーが現実をこえた存在となることを目的とした誓約の儀式が必要であり,それが一味であった。」(『世界大百科事典 第2版』)

と,広がって使われたとみていい。「一味神水」は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%91%B3%E7%A5%9E%E6%B0%B4

に詳しいが,

「一味同心という一致団結した状態の集団(一揆)を結成する際に行われた集団誓約の儀式,作法。この儀式は,一揆に参加する人々が神社の境内に集まり,一味同心すること,またその誓約条項に違犯した場合いかなる神罰をこうむってもかまわない旨を記した起請文を作成し,全員が署名したのち,その起請文を焼いて灰にして,神に供えた水である神水に混ぜて,それを一同が回し飲みするのが正式の作法であった。」(『世界大百科事典』)

と,神前で誓約し「一味同心の」同志的結合を強めようとする,というものだったらしい。

一味徒党,

となると,大分意味合いが変わるが,当初,一揆にしろ,一味同心にしろ,自分でそう名乗っていた時の意味合いと,その集団に敵対するもの,幕府側や領主側が,その集団を呼称するのとでは,たぶん,意味が変わる。いま,

一揆,

一味同心,

は,自称(旗幟)なのか,他称(レッテル)なのかによって,意味は変ずる。自称には,

矜持,

があり,他称の場合は,

敵意(あるいは憎悪),

があり,貶める意味がある。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%91%B3%E7%A5%9E%E6%B0%B4
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)


ホームページ;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/index.htm

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

【関連する記事】
posted by Toshi at 04:46| Comment(0) | 中世 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください