ていたらく


「ていたらく」は,

体たらく,
あるいは,
為体,

とあてる。『広辞苑』には,

「タラクは助動詞タリのク語法」

とある。ク語法は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E8%AA%9E%E6%B3%95

に詳しいが,

「用言の語尾に『く』を付けて『~(する)こと/ところ/もの』という意味の名詞を作る語法(一種の活用形)」

で,「ほとんどの場合、用言に形式名詞『コト』を付けた名詞句と同じ意味になる」とされる。

「上代(奈良時代以前)に使われた語法であるが、後世にも漢文訓読において『恐るらくは』(上二段ないし下二段活用動詞『恐る』のク語法、またより古くから存在する四段活用動詞『恐る』のク語法は『恐らく』)、『願はく』(四段活用動詞「願う」)、『曰く』(いはく、のたまはく)、『すべからく』(須、『すべきことは』の意味)などの形で、多くは副詞的に用いられ、現代語においてもこのほかに『思わく』(「思惑」は当て字であり、熟語ではない)、『体たらく』、『老いらく』(上二段活用動詞『老ゆ』のク語法『老ゆらく』の転)などが残っている。」

ということで,「ていたらく」が残っている,ということになる。

『古語辞典』にも,「タリのク語法」として,

「体たることの意」

とあるし,『大言海』も,

「體たる,の転」

とある。意味は,

ようす,ありさま,

だが,『広辞苑』は,

「(後世非難の意を込めて)ざま」

との意味を加える。

「現在では、ののしったり自嘲をこめたりして、好ましくない状態にいう。」(『大辞林』)

「ありさま」自体が,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/436422148.html

で触れたように,漢字で書くと,

有様,

で,これを,

ありよう,

と読むのと,

ありさま,

と読むだけで,微妙にニュアンスが変わる。語源的には,

「有り+サマ(状態・様子)」

で,それをただ,音読みしただけなのだが,漢字の意味とは,別の和語のニュアンスが出てくる気がする。「アリサマ」は,「あるものの状態」を言う状態表現なのに,そこに「身分,境遇」をにじませる価値表現が加味されてくる。

「ていたらく」にも,

ようす,

というよりは,

ありさま,

の意が滲む。濁点をつけると,よりそのニュアンスが強まる。「ざまあみろ」

http://ppnetwork.seesaa.net/article/437361864.html

で触れたように,「ざま」と「さま」が濁ると,

「様子・有様を嘲って言う語」

に変る。『大言海』は,

「濁音に云ふは,盛衰記三,資盛乗會狼藉事『平家の事様(ことざま),御めざましく思召さる』などの上略より移れるか,又は,ただ,罵るに因りて濁らせ云ふなるか」

とある。濁ることで,確かに,語感が悪くなる。しかし,接尾語のとき,

生きざま,
死にざま,

のときの在り方をしめすときの「ざま」には,罵る含意はない。しかし,「ざま」の語感から考えると,貶める意味はないまでも,単なる「生き方」という言い方よりは,謙遜のニュアンスがあったのではないか,という気がしてならない。少なくとも,「生きざま」などと誇らしげに言う含意はなさそうのである。

それと同じで,「ていたらく」も,人への非難は,ブーメランになって,

おのがていたらく,

へと返ってくる。「ざまあみろ」で,鳶魚の言う,

「『ざまア見ろ』という言葉は、立派な自己批評であって、人の失敗したのを傍観して言う言葉ではない。自分が成功しても失敗しても、自分の姿を見よというのだ。」

「ていたらく」も,同じである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
三田村鳶魚『江戸ッ子』 [Kindle版]



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