おもわく
「おもわく」は,通常,
思惑,
と当てる。だから,中国由来の言葉かと思いがちだが,じつは,前に,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/439714068.html
で触れたように,「思ふ」のク語法である。つまり,純粋和語である。
ク語法については,「ていたらく」で触れたように,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E8%AA%9E%E6%B3%95
に詳しいが,再録すると,
「上代(奈良時代以前)に使われた語法であるが、後世にも漢文訓読において『恐るらくは』(上二段ないし下二段活用動詞『恐る』のク語法、またより古くから存在する四段活用動詞『恐る』のク語法は『恐らく』)、『願はく』(四段活用動詞『願う』)、『曰く』(いはく、のたまはく)、『すべからく』(須、「すべきことは」の意味)などの形で、多くは副詞的に用いられ、現代語においてもこのほかに『思わく』(『思惑』は当て字であり、熟語ではない)、『体たらく』、『老いらく』(上二段活用動詞『老ゆ』のク語法『老ゆらく』の転)などが残っている。」
とある。『語源辞典』には,
「『思ふの名詞化』による『思ハ+ク』です。思うことの意です。」
とある。『日本語の語源』をみると,
「イフコト(言ふ事)を早口に発音すると,『フ』の大開き母韻(ua)化,『コ』の小開き拇韻(ou)化,語尾の脱落の結果,イハク(曰く)に転訛した。語尾の脱落によって転化が想定される十語形のイフコ・イヒコ・イヘコ・イハコ・イホコ・イフク・イヒク・イヘク・イハク・イホクのうち,音調的にいちばん安定感がアルからである。したがって,イハ(言は)は未然形との偶然の一致であり,四段動詞の未然形に体言化の接尾語(準体助詞)の『ク』をつけたというわけではなかった。『ク』はコト(事)の変形である。」
として,その例に,
ノタマフコト(宣ふ事)―ノタマハク(宣はく)
オモフコト(思ふ事)―オモハク(思はく)
ネガフコト(願ふ事)―ネガハク(願はく)
等々と例が載る。『大言海』の「思はく」の項を見ると,
「曰(いは)くの語源を見よ」
とあるのは,この意味である。
「おもわく」は,『広辞苑』には,
思うこと,
(副詞的に)思うことには,
思うところ,考え,
その人に対する他人の考え,評判。
恋い慕うこと,また恋人,
相場の騰落を見越し,その差金を得る目的で売買すること,投機,
とかなりの幅のある意味が載る。かつて,メールのやりとりで,この,
思惑,
という言葉を使って,相手に激怒された記憶がある。「思惑」という意味には,今日,単なる考えとは違う,悪意の翳が含意されているニュアンスがなくもない。それは,「他人の評判」ということからくるのだろうか。その意味は,中世の日葡辞典にも,
「ヒトノオモワクガハヅカシイ」
と,出ているから,ただの想いとか考えとは違う陰翳のある言葉なのだろう。だから,「おもわ(は)く」の意の時は,
思わく,
と表記すべきなのだろう。『広辞苑』は,
思わく,
と当て,『大言海』は,
思慮,
と当て,『古語辞典』は,
思わく,
以為,
の字を当てている。なぜなら,本来,
「思惑」
と表記した場合,
しわく(しゆわく),
と訓む。漢語(仏教用語)で,
見惑(けんわく/けんなく)
思惑(しわく)
である。『広辞苑』には,
世間の物事に対して起こす,貪(とん)・瞋(じん)・痴等々の迷い。三道のうち修道において断ぜられる。思想的な迷いである見惑に対し,より深い情的な迷いで,対治が困難。修惑。
とある。思惑は,
修惑(しゆわく),
に同じとされる。思惑というときは,
断ち切るべき貪(とん)・瞋(しん)・痴・慢などの煩悩(ぼんのう),
を指し,修惑というときは,
修行によって打ち消すべき煩悩,
という言い方をされる。微妙だが視点が違うようだ。
この場合の三道とは,
輪廻の三道,煩悩・業・苦,
ではなく,修業の三段階,
見・修・無学,
を指す。つまり,
聖者の位の見道,
修練を積む位の修道 (しゅどう),
学ぶべきもののなくなった位の無学道,
らしい。したがって,思惑は,
修道,
の最中ということになる。『ブリタニカ国際大百科事典』には,
「仏教用語。2種類の煩悩のうちの一つ。見惑 (けんわく) の対。見惑が仏教の説く真理を誤認するなどして生じる,思想的な迷いであるのに対し,修惑は生れながらにそなえている煩悩で,それは種々の正しい修行によってなくすことができるので修惑という。」
とある。
参考文献;
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
ホームページ;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/index.htm
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
この記事へのコメント