2016年07月13日

イエス・セット


田中ひな子先生の「ソリューション・フォーカスト・アプローチ再考」(第79回ブリーフ・セラピー研究会 定例研究会)に参加してきた。

案内メールには,

「1980年代に提唱されたソリューション・フォーカスト・アプローチ(以下、SFA)は、開発者らの「シンプルが一番」との方針にそってマニュアル化されていきました。その結果、多くの人が利用可能になりましたが、そぎ落とされた部分も少なくありません。実際、開発者であるド・シェイザーやインスーらの面接ビデオを見ると、システム論(MRIアプローチ)や社会構成主義などの予備知識がなければ理解し難いものです。この講座では、座学とワーク、ロールプレイを通して、SFAをより効果的に、より柔軟に使用するために、マニュアルに書かれていない部分について学んでいきます。」

とあった。

結論を先に言うなら,ソリューション・フォーカスト・アプローチの神髄は,

「いいセッションは,イエス・セットが続きます。」(田中ひな子)

という言葉に尽きるようだ。イエス・セットは,言うまでもなく,

「質問者が相手が『はい』と応えると思える質問を次々していくこと」

である。

「いい天気ですね」「はい」「過ごしやすいですね」「はい」

というやつである。これは究極,

おばさんの会話,

だそうである。敵意はありません,という信頼醸成であると同時に,一種の暗示に入っていく,とも言える。

そこから,結局,ソリューション・フォーカスト・アプローチは,

あなたは何ができますか?
あなたは何をもっていますか?
あなたはどうなりたいのですか?

という三つの質問が象徴している,という。そこにあるのは,

既に出来ている部分,
既に実現している部分,
既に持っているもの,

を探し出していく,つまり,

リソースを探す,

ということに尽きる。それが,考えてみれば,

出来ていない,
もっていない,

自分の,

例外探し,

に通じるし,例の,,

ミラクル・クエスチョン,

自体が,究極のリソース探しに他ならない。因みに,ミラクル・クエスチョンは,たとえば,こんな風だ。

「ここでちょっと変わった質問をしたいと思います。少し想像力がいるかもしれません。今回の面接が終った後で,家に帰ってお休みになったと考えてください。あなたが眠っている間に奇跡が起こって,今日,ご相談にこられた問題が解決したとします。でも,あなたは眠っているので奇跡が起こったことはわからないわけです。明日の朝になって,夜中に奇跡が起こって相談に来られた問題が解決したことをあなたに教えてくれる,最初の小さな事柄はどんなことでしょうか?どのような違いに気がつきますか?」

ソリューション・フォーカスト・アプローチは,今日,

会話そのもの,

を重視する姿勢に変っている。それは,

社会構成主義,

の,

「現実は人々の間で言語(会話)を通して構成される」
「人は他者との会話によって育まれる物語的アイデンティティのなかで,そして,それを通して,生きる。『自己』は常に変化し続けており,セラピストの技能とはこのプロセスに参加する能力を意味する」

という考え方であり,それは,

コラボレイティブ・アプローチ,

つまり,協働的対話,とされる。そこにあるのは,専門家による介入ではない。

無知の姿勢,

である。以前,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/437533769.html

で,ジョン・マクレオッド『物語りとしての心理療法―ナラティヴ・セラピィの魅力』に触れた折,セラピストがすることは,クライエントを治療したり改善することではなく,こうした「共同構成」を通して,

「単に自らのストーリィを語る場があり,そこでそのストーリィを尊重され,受け止められることが計り知れない自己肯定感を得る経験」

となる,ということだというのと通底する,今日のセラピーの共通姿勢なのだろう。そういうセッションを,

「クライエントの会話(自己内対話)の部屋にセラピストが参加すること」(田中ひな子)

あるいは,

「クライエントの土俵に乗ること」(平木典子)

というのであり,それは,ミルトン・エリクソンの言う,

「相手の枠組みであること」

というのと同じであろう。そして,ミラクル・クエスチョンも例外探しも,

その会話の空間を広げること,

だということになる。

「大切なのは変化を起こすことではなく,会話の空間を広げることである。治療における変化とは,対話を通して新しい物語をつくることを意味する。そして対話が進むこにつれ,まったく新しい物語,『それまで語られることのなかった』ストーリーが,相互の協力によって創造される。」(H・アンダーソン&H・グーリシャン『クライエントこそ専門家である。』)

会話の空間を広げる,とは,

視界を開く,

ということに通じる。

「現実は可能性の束,その中の何に着目してどのラインを未来へつなげていくか」(田中ひな子)

だという言葉は,ハイデガーの,

「人は死ぬまで可能性の中にある」

という実存を思い起こさせる。最後は,

「イエスに到達しイエスにとどまる」(田中ひな子)

ということに尽きる。

参考文献;
ジョン・マクレオッド『物語りとしての心理療法―ナラティヴ・セラピィの魅力』(誠信書房)

ホームページ;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/index.htm

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください