2016年07月18日

世界


報美社主催のbrilliant wing22展(中島綾美 / 楠本衣里佳 / MIKI / 権守ひかる)にお邪魔してきた。開催期間(7月12日(火)~17日(日))の最後に,ぎりぎり伺うことができた。最近なかなか伺う機会を逸し,久しぶりに若手の作家の方々の話を聞きながら,そこで照り返しのように興ってくる自分のいろいろな思いがあった。

報美社.jpg


ざっと見まわしたときの,最初の印象だけで,自分の好みを言うなら,まず,飛び込んできたのは,会場左手に並んだ,

中島綾美さん,

の作品群で,特に,記憶で書くが,

「あの夏」
「約束」

がいい。幻想,というものを強く押し出す感じを受ける,

「彗星の恋」
「きらきら星」

は,作者曰く,

物語性,

というものを大事にされておられるらしいが,それが強く出過ぎる印象があると,個人的には,観る者の視界が閉ざされる気がしてしまう。個人的な好みで言うと,

物語,

は,観ている側が勝手に思い描けばいいのではあるまいか。絵は,

世界を描く,

しかし,その世界に何を観るかは観る側が描けばいい。そのとき,絵は独立している。その意味で作者が物語を強く訴求しているものよりは,世界そのものが,そっと提示されているものがいい。作家の思いの糸が切れているものの方が,安心して観られる。そう考えると,

「アイリスとトゥーラ」

は,作家の物語性のグラデーションを想定するなら,ちょうど中間(比較的ニュートラルに近い)に位置し,向こう向きの少女が小さくて,ぎりぎり観る側の視線と一致している気がした。ここが作家の物語と観る側の物語の綱引きの分岐点のような気がする。

もうひとつ気になったのは,入って右手の,楠本衣里佳確さんの,墨一色の絵だ(タイトルは「夜座有感2」だったか?)。作家は,

「気」を描く,

という。気というのは,

浩然の気,

ではないが,

エネルギー,

でもあるし,

雰囲気,

でもある。情報で言うと,デジタル化可能なコード情報に対比して,モード情報に喩えられる。それは,雰囲気,と言い換えてもいい。あるいは,文脈である。しかし文脈に紐づけられたのでは,自由がない。そこで気の表現の工夫が生まれる。

気については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/401855141.html

で触れたように,二つの意味があるらしい。ひとつは,

絵を見て感じる気,

であり, それは,

絵のもっている気,

である。そして同時に,

筆墨の気

つまり,筆気である,という。この絵が,ものの輪郭を墨で刷くことで,文脈の紐付から脱しようという意図は見えた気がした。

もうひとつ,権守ひかるさんの絵では,「星の光」(だと思ったが)がいい。たぶん,輪郭をぼかそうとする作品群(こちらが最近だと伺った記憶がある)に惹かれる。

朝まだき,

暮れなずむ時期,

の,モノの輪郭がぼんやりしている見え方というのが,人間の認知から離れた本来の物のありようの象徴なのではないか,という意識が最近強く,余計そう感じるのかもしれない。物の境界線は,人(の知覚)が作り出しているに過ぎない。

ホームページ;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/index.htm

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

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posted by Toshi at 05:29| Comment(0) | 展覧会 | 更新情報をチェックする
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