「しょってる」は,「しょっている」の転で,
背負ってる,
と当てる。当然,
背負っている,
という意味の他に,
うぬぼれている,
とか
いい気になっている,
という意味になる。まあ,荷物を背負う以上に自惚れを背負っている,ということになる。
背負う,
は,
せおう,
と訓むが,「せおう」の転で,
しょう,
とも訓む。この使い方でも,「せおう」以外に,『広辞苑』では,
うぬぼれる,
という意味があるし,さらに,『大辞林』には,
厄介なこと,迷惑なことなどを引き受ける,
という意味がある。しかし,
せおう,
と訓むときは,
背に負う,
という意味で,そのメタファで,
苦しい仕事や不本意な物事を引き受けて,責任を持つ,
という意味になるだけである。「しょう」と,転化したときは,
責任を引き受ける,
意と,それをどこか皮肉に,
自分で思う以上に軽い荷物を背負っているのに,重い意にを負っている,
という自惚れの意とが二重写しになっている。だから,
「しょう」
の派生語である,たとえば,
「しょってたつ」
という場合,やはり,
背負って立つ,
と当てるが,その場合,
「組織や団体の中心となって,活動・発展の支えとなる。また,全責任を一身に負う」(『広辞苑』)
という意味になる。その場合,決して,
「せおいたつ」
とは言わない。「せおってたつ」という言い方もできなくないが,「しょってたつ」が自然だ。『語感の辞典』には,
「『せおって』となるケースはまれである。」
と付記している。「しょってたつ」の方が,「せおいたつ」「せおってたつ」より,語感がすっきりしている。また,
しょいこむ,
も同じで,
背負いこむ,
と当てるが,「せおいこむ」という言い方よりは,「しょいこむ」が普通だし,語感もいい。また,「しょってる」という揶揄のニュアンスはなく,
「手にあまることや迷惑なことを我身に引き受ける。背負い込む」(『広辞苑』)
という,まさに背負うを強調した言い回しになる。因みに,「込む」は,他動詞連用形について,
みっちり,または,十分にそうする意,
なので,過分なほど背負う,ということになる。『語感の辞典』には,
「『抱え込む』に比べ,はっきり拒否しなかったせいでそうなってしまった感じもあり,負担も大きい雰囲気が漂う」
とある。『語源辞典』には,「しょっている」は,
「『背負っている』の音韻変化です。全責任を背負って誇りにしている。俗語では,自惚れている意に使います。」
とあるので,本来は,「しょう」がそうであったように,
しょってたつ,
の,全責任を,
しょっている,
という,どちらかというと状態表現の意味だったものが,たとえば,「よこしま」,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/439853010.html
や,「横槍」
http://ppnetwork.seesaa.net/article/440387740.html
で触れたように,価値表現に転じて,その状態を揶揄する意に変ったと言えなくもない。
それにしても,「負う(ふ)」自体が,
背中に物をのせる,
という意味があり,さらに,
身に引き受ける,
という意味を持っているのに,さらに「背」を重ねたのは,どんな意味だったのだろう。『デジタル大辞泉』には,「おう・せおうの用法」として,
「『負う』は文語的。話し言葉では多く『背負う』を使う。『負う』『背負う』には抽象的に負担する意味もあり、『責任を負う』『罪を負う』『一家を背負って働く』などと使われるが、『背負う』のほうが具体的動作を表す度合いが強い。傷・痛手については『負う』を用い、『背負う』は使わない。類似の語に『担(にな)う』『担(かつ)ぐ』がある。ともに、肩で重みを受けるようにして物を運ぶ意。『大きな荷を担う』『おみこしを担ぐ』、また、抽象的に『役割を担う』『次代を担う』などとも使う。」
と付記する。しかし,単純なことかもしれない。「おう」という同音語は,
追う,
和う,
終う,
合う,
会う,
逢う,
遭う,
遇う,
逐う,
覆う,
等々とある。私立大と市立大を呼び分けるように,あえて「背」をつけることで,「負う」の意味を際立たせる必要があったのではないか。
参考文献;
中村明『日本語語感の辞典』(岩波書店)
大野晋・佐竹昭広・前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
ホームページ;
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今日のアイデア;
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