2016年08月14日

兵粮


久保健一郎『戦国大名の兵粮事情』を読む。

戦国大名の兵糧事情.jpg


冒頭,著者は,

「食料である兵粮」を,

「モノとしての兵粮」,

「売買における代価」としての兵粮を,

「カネとしての兵粮」

と区別し,兵粮とひとことで言うものの背後の歴史を探る,という問題意識で,本書を始めている。思えは,

兵粮攻め,

という今に残る言葉は,確かに,

「経済的に追いつめる方策」

を意味し,「カネとしての兵粮」の意味で使われている。

従来,戦国大名の軍隊は,

「兵粮自弁」

の軍隊とされ,戦争の最中,

作薙(さくなぎ),
稻薙(いねなぎ),
麦薙(むぎなぎ),

と称する,

「敵地において収穫前の作毛=農作物,稲や麦などを刈り取ってしまう行動」

が見られ,これは,

「稻・麦の奪取より敵を兵粮攻めにする意味」

と同時に,

「その刈り取った『兵粮』を…味方の兵粮へ転用する」

という狙いもあった,とされる。関ヶ原合戦図屏風では,刈田して米を精米している光景が描かれていた。しかし,一方で,前線に送る兵粮を調達するため,大名が,

大量買付,

する例や,家臣に,

用立て,

を依頼するケースもある。この場合は,

「れっきとした利息をともない貸付」

として,家臣は,用立てたのである。その多くは,

「商人」

であり,

「商人として活躍を見込まれて家臣に取り立てられたのか,家臣として戦功をあげたり,領主として経営を拡大するなかで,商業活動でも台頭したのか」

は,はっきりしないが,いずれ,御用商人役を果たし,大名の兵粮調達を支えている。

兵粮の調達・搬送は,

持参,
両国内から現地への搬送,
現地調達(略奪・徴発,買付),
現地での貯蔵,

等々があるが,大規模に搬送するには,人手もかかり,大掛かりになれば,敵の妨害を受けやすい。その意味で,兵粮は,

「お荷物」

なのである。だから,

「大規模な搬送が見られるのは,戦闘状況が固定化・膠着化して,長期戦の様相を呈してから,というのが基本である。」

とすると,常日頃から,備蓄に供えておかなくてはならない。しかし,

「大名の蔵には物資が十分にあったというよりは不足がちだったのではないか」

と,著者は見る。蔵から流出していくのは,

家臣への扶持給・褒賞,

である。戦功に加増で報いるにも,戦国半ばを過ぎると侵略地の獲得は難しく,蔵から支給することが多くなる。また,

困窮する家臣の救済,

のための扶助がある。この時期武士は困窮していたらしいのである。それは,

軍役負担,

に起因する。自身の兵粮,軍装以外に,

従者の扶持,
馬の飼料,
武器・武具・軍装の準備,整備,

等々,戦争が続き,かつ長期化すれば,負担は重くのしかかる。多く,軍役は,そのものの知行に応じて,従者の数,整えるべき武器・武具・軍装が決められており,軍役に応ずることのコストはばかにならなかった。

蔵から兵粮が出ていく理由には,大名自身が,

御蔵銭,
公方銭,

と称して,家臣への兵粮貸しとは別に,特定の者に預けて,

郷中へ貸す,

という行為をしていた。もちろん利息を取る。

http://ppnetwork.seesaa.net/article/438705830.html

で取り上げた,『落日の豊臣政権』が触れていた,豊臣秀長の行っていたらしい,

ならかし,

もその延長線上のものだろう。この場合,もはや,

兵粮はカネ,

であり,

「通常『兵粮』とされるものは米」

であるから,米を価値基準とする,

石高制,

への移行の地ならしができていたことになる。その統一的な石高に応じて,全国統一の,

城普請,
軍役,

等々を大名に賦課することになる。それは,徳川政権へと引き継がれ,明治維新まで続くことになる。

参考文献;
久保健一郎『戦国大名の兵粮事情』(吉川弘文館)
桑田忠親他編『関ヶ原合戦図』(中央公論社)
河内将芳『落日の豊臣政権:』(吉川弘文館)
日本史史料研究会『秀吉研究の最前線』 (歴史新書y)


ホームページ;
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今日のアイデア;
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posted by Toshi at 04:49| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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