2016年08月19日

気心


気心とは,

「その人が本来持っている気質,気立て,気前」

と,『広辞苑』には載る。

気心が通じる間柄,
とか,
気心の知れた仲間,
とか,
気心が知れない,

という使い方をするのだが,辞書の意味との乖離を感じる。

『実用日本語表現辞典』

http://www.weblio.jp/content/%E6%B0%97%E5%BF%83%E3%81%AE%E7%9F%A5%E3%82%8C%E3%81%9F

では,「気心の知れた」を,

「親しい、仲の良い、気の置けない、気安い、などの意味の表現」

とする。「気心の知れた間柄だ」という場合,

気の置けない,

といった程度の意味のはずだ。

「気心」という言葉,『古語辞典』『江戸語大辞典』には載らない。『大言海』には,

気性と,心底と。心意気。

と意味が載り,

気心の知れぬ人,

と用例が載る。

「気性と,心底と」

なら,意味が通じるが,

心意気,

となると,また少し違和感がある。

「気(氣)」の字は,前にも触れたが,

「气(き)は,息が屈折しながら出てくるさま。氣は『米+音符氣』で,米をふかすと気に出る蒸気のこと」

で,本来,

いき(息),

の意味。そこから,

人間の心身の活力,

を意味し,「気を養う」とか,「気,壱ならば則ち志をうごかすなり」といった使い方をする。さらに,漢方の,

人体を守り,生命を保つ要請の力,

となり,広く,

人間の感情や衝動のもととなる,心の活力,

となり,「元気」「気力」となって,

こころもち,
とか,
うまれつき,

とかの意味を持ち,気性,気質,気象,と使われるようになる。

「心」の字は,これも前に触れたが,心臓を描いた象形文字で,

「シンというのは,沁(シン しみわたる)・滲(シン しみわたる)・浸(シン しみわたる)と同系で,血液を細い血管のすみずみまで,しみわたらせる心臓の働きに着目したもの」

であり,本来,心臓を指し,そこから敷衍して,

精神,考え,

へと広がっていくが,我が国では,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/440591304.html

で,「心が通じる」について触れたように,「こころ」に当て,

思いやり,
趣味を解する気持ち,

という意味に偏していく。和語の「こころ」は,

「『コゴル(凝固)』が語源です。体の中にあるもやもやしたものが凝り固まったものをココロと言い表したのです。心の存在する場所を心臓としたのは中国の影響かと思われます。現代的に表現すると,『人間の精神のはたらきを凝集したもの』が,こころです。」

とあるし,『大言海』も,

「凝り凝りの,ここり,こころと転じたる語なり。されば,ここりとも云へり」

から,「こころ」とは,

知情意,

の「心」ではなく,限りなく,

情のみの,

思い,
とか,
気持ち,

へとシフトしてしまった。その意味では,気心は,漢字の意味に引きずられるのでなければ,

気立て

気質

心意気

ではなく,情(「じょう」というより「なさけ」)の方ではないか。とすれば,

気の置けない,
気安い,

という心情を指しているというべきではないか,という気がする。

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)


ホームページ;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/index.htm

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
posted by Toshi at 04:53| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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