2016年08月26日

アナロジー


細谷功『アナロジー思考』を読む。

アナロジー思考.jpg


著者は,「はじめに」で,ウィリアム・ジェームズの,

「才能の最良の指標はアナロジーに気づく能力である」

という言葉を引用し,

「アナロジー思考の強い人はありとあらゆることを関連付けて考え,すべての事象を学びの対象にすると同時にすべての事象をアウトプットの対象にする。それに対して,アナロジー思考の弱い人は,『これはこれ,あれはあれ』とすべての事象を別々に考えるためのまったく応用が利かない。」

と書く。しかし,人は,おのれの知識と経験を参照にしながら,それをヒントに,あるいはそれからアイデアを得て,日々の問題解決をしている。その意味で,大なり小なり,アナロジーなしに生きている人はいない,と僕は思う。

著者は,アナロジー思考力は,

抽象化思考力,

と呼ぶ。しかし,そうだろうか。アナロジーとは,

パターン認識,

だから,抽象化とは重なるけれども,イコールではない。棋士は,パターン認識が優れていると言われる。それは型やタイプで盤面を認識することだが,それを抽象化と言ってしまっては,微妙に違う気がする。

のっけから,著者の言わんとするところが,僕の認識するアナロジーとは,微妙に違う。

著者は,アナロジー思考を,

「日本語でいえば『類推』あるいは『類比』」

であり,文字通り(類推に即して言えは),

「『類似のものから推し量る』ということである」

として

「もともと知っている領域(『ベース』と呼ぶ)を基にして,類似の関係にある対象領域(『ターゲット』と呼ぶ)に関する知見を推論するというものである。」

と定義し,

たとえ話,

メタファー(隠喩),

も,アナロジー思考である,という。

細かいことにこだわるようだが,ぼくは,まず,

類推

類比

とは,厳密に言うと,違うものだと思っている。それは,

・類似性に基づくアナロジーを,「類比」

・関係性に基づくアナロジーを,「類推」

と区別している。くわしくは,

http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/view24.htm

に譲るとして,そこをきちんと区別しておかないと,比喩における,メタファーの位置づけがきちんとできなくなる。類似性と関係性に対応させるなら,

直喩,隠喩が《類似性》の言語表現,
換喩,提喩が《関係性》の言語表現<

なのであり,類比と類推をひとくくりにしてしまったら,換喩と提喩が見えなくなってしまう。

著者は,「かばん」を「喩え」にして,「予算管理」を説明して見せた。しかし,あくまで,「カバン」を例示したのであって,それが引出でも,ファイルでもなんでも,予算を具体的に見える化できれば,好かったのではないか。これをアナロジーの例とされてしまったのでは,

例(例え(れ)ば)

アナロジー(喩え(れ)ば)

が区別がついていないことを,著者自身が露呈してしまったように見えてしまう。皮肉なものである。

例(え)は,ある概念(モノでもコトでもコトバでも構わない)の下に,ツリー状にぶら下がっている。その下にも,より具体化してぶら下がるかもしれない。だから,よりツリーを上へ行けばいくほど抽象度が上がる。

喩(え)は,そのぶら下がったツリー全体の構造ないし,そのカタチと似たものと対比する。だから,抽象力ではなく,似たモノ,似たコトに「なぞらえる」想像力や直観力(パターの発見力)が必要であって,抽象化したら得られるものではない。

だから,「例え」たものは,もとの概念を,具体化するものだから,概念の意味の内包をはずれてしまっては,例えた意味をなくす。しかし,「喩え」たものは,概念の意味の外延を広げるものだから,内包を外すことはある,というか,全く新たな視点を見つけるために,喩える。例えば(「喩えば」ではない),百貨店の「例え」は,伊勢丹や丸井や雑貨店かもしれないが,「喩え」は,バザールとするか,縁日とするかで,百貨店が変わる。そのたてめに喩える。

著者が,予算管理のアナロジーにカバンを使ったが,むしろ,「区分け」という概念の下に,カバンや,予算管理,引きだし等々の,区分の具体例がぶらさがっている,と見える。むろん具体的なものの例示を参照することはあるが,アナロジーは,その全体像と対比して(その関係か構造かで)何かに見立てるのでなくてはならない。たとえば,ハチの巣とかブドウの房とか,あるいは,データファイル(のフォルダ)の記録とか,脳の記憶等々。

アルキメデスは「ヘウレーカ(わかったぞ)」と叫んだのは,王冠の混ぜ物の比重は,

「流体中の物体は、その物体が押しのけている流体の重さ(重量)と同じ大きさで上向きの浮力を受ける」

ということを,湯船に入った時にあふれたお湯から類推したのだ。これが喩え,である。王冠の比重を,具体的に,ありうる混ぜ物別に枚挙して,一つ一つどうなるかを確かめていく,というのが例である。

著者は,アナロジーの4つのステップとして,

①ターゲット課題の設定

②ベース領域の選択

③ベースからターゲットへのマッピング

④評価・検証

を挙げる。このとき,「どこから借りて来るか」が鍵と言ったが,

例え

譬え,

の区別がつかなければ,具体事例を挙げるにとどまる。もちろん,具体例に照らし合わせることが,発想に無意味と言っているのではない。それが有効なことも,もちろんある。

例えば,シュレッダーを発想するとき,

情報の破棄

製麺機からカットされた麺が切り出されてくる状態,

に喩えて発案した。そのとき,破る,焼く,切り刻む,という具体例を考えることも,役立ったには違いないのだ。しかし,ここでは,喩え,つまりアナロジーを問題にしているのである。

アナロジーは,別の言い方をすれば,

見立て,

である。ままごとで,泥をご飯に見立てるように,

~として見る,

である。正確には,

「~と見る」見方,
「~にする」仕方,
「~になる」なり方,

の3つがある,と考えている。大事なことは,その瞬間,現実の視界ではなく,

別の視界が開く,

のである。泥をご飯として見立てて,初めて,ご飯を食べているシーンが見えてくる。これが,アナロジーが発想に寄与するところだ。これの区別がつけられなければ話にならない。

類推については,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/405217646.html
で,喩えについては,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/401399781.html
で。見立てについては,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/408700916.html
で,アナロジーについては,
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod0213.htm
で,すでに触れた。

参考文献;
細谷功『アナロジー思考』(東洋経済新報社)
高沢公信『発想力の冒険』(産能大出版部)


ホームページ;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/index.htm

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
posted by Toshi at 05:08| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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