2016年09月18日

朝まだき


「朝まだき」は,

夜のまだ明けきらぬ頃,

つまり,早朝を意味し,『大言海』には,

「マダキは,急ぐの意の,マダク(噪急)の連用形,其の條を見よ」

とある。「まだき」には,

豫,
夙,

の字を当て,

「その時期よりも急ぎて早く。夙(はやく)より,早くも。」

と意味が載る。『古語辞典』には,

「マダ(未)・マダシ(未)と同根か」

とあり,

「早くも,時もいたらないのに」

という意味が載る。どうも何かの基準からみて,ということは,夜明けを基点として,まだそこに至らないのに,既にうっすらと明けてきた,という含意のように見受けられる。『語源辞典』は,

「朝+マダキ(まだその時期が来ないうちに)」

で,未明を指す,とあるので,極端に言うと,まだ日が昇ってこないうちに,早々と明るくなってきた,というニュアンスであろうか。

「あさ」は,

朝,

と当てるが,『語源辞典』には,二つの説を載せる。

①「『浅いの語幹です。アサ(基準の初めに近い)』を語源とみる説。一日のうちの浅い頃。夜明けのあと少しの時間,これらを『浅』=朝とみる説です。夜更けのフケ(深)が対応します。」
②「『ア(明け方)+サ(状態・時間)』。明け方の状態をいう語源説です。夜明けの頃の意味です。」

しかし『大言海』は,

「アシタの約」

とし,「あした」には,

「アは,明くの語幹,明時(あけした)の意…(東(あずま)も明端(あけつま)なるが如し)。あした,又約(つづま)りて,朝(あさ)となる。雅言考(橘守部)アシタ『明節(あけしとき)の略也。時節などを,古く,シタと言ふ』」

とあり,「した(だ)」の項を見ると,

「時の意にて,今行きしな,帰りしな,起きしななどいうシナ」

とあり,『日本語の語源』をみると,

「しだ(時)がシナ(時)に転音」

とある。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1313110488

に,

「夜明け時のことを古くは『アケシダ(明け時)』と言い、この『アケシダ』の『ケ』が脱落して『アシタ』になり、
さらに変化して『アサ』になったようです。」

とあるので,『大言海』の「アシタ」から「アサ」の転位の補足説明になっている。

しかし,『古語辞典』は,時間経過の考え方から,「アサ」を,

「宵(よひ)・夕(ゆふ)の対」

として,

「上代には昼を中心にした言い方と,夜を中心とした時間の言い方とがあり,アサは,昼を中心にした時間の区分の,アサ→ヒル→ユフの最初の部分の名。夜の時間の区分の最終部分の名であるアシタと実際上は同じ時を指した。」

とある。因みに,夜の時間区分は,「宵」の項に,

ユフベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタ,

となる,「アシタ」である。こうみると,『大言海』説が,時の流れ感覚に合っているのではあるまいか。「あさ」に当てた,「朝」の字は,

「もと『くさ+日+水』の会意文字で,草の間から太陽がのぼり,潮がみちてくる時をしめす。のち『幹(はたが上るように日がのぼる)+音符舟』からなる形声文字となり,東方から太陽の抜け出るあさ」

とある。

たぶん,言葉としては,「朝まだき」に対し,

夕まぐれ,

が対なのではないか,と想像する。「夕まぐれ」は,

夕間暮れ,

と当て,

夕方薄暗くて,よく見えないこと,またその頃,

で,

暮れなずむ頃,

とか,

逢魔が時,

に当たる。逢魔が時については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/433587603.html

で触れた。「おほまがとき(大禍時)」とも当て(『大言海』),

「黄昏の薄暗き時の称。大魔が時などと云ひて,怪ありとす。訛りて,おまんがとき」

と意味を載せる。同じく,黄昏は,語源的には,

「タ(誰)+そ+カレ(彼)」

で,「誰だ,彼は」の意とある。夕方人影が見分けにくくなる,という意味である。『大言海』は,

「誰そ,彼かと見分け難き義。たそがれ時の下略」

とある。もののカタチがわかちがたい時分を指す。

「まぐれ」は,『広辞苑』に,

「目暗れ」の意,

とあるから,まさに夕暮れの視界の危うい時期を指す。『大言海』は,「目暗れ」について,

「目のくれふたがりて,ものの見えぬ比を云ふ」

と説明する。「夕」の語源は,

「『宵』の音韻変化説むが有力です。ヨヒ,ユヒ,ユフ,となったか。」

とある。「宵」は,

「『夜+アヒ(間)』です。日暮れから夜までの間の意です。夜+サリ(来る)に対する語」

とある。「宵」について,『古語辞典』は,

「ヨ(夜)・ユウ(夕)と同根」

とあり,上代の夜の時間区分で,上述した,

ユフベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタ,

の「ヨヒ」である。

「妻訪い婚の時代には,男が女の家を訪ねていく時間に当たる」

と言う。やっぱり,隠れて訪うものなのだろう。逢魔が時も,なかなか味な時間ではある。

「夕」の字は,象形文字で,

「三日月の姿を描いたもの,夜(や)と同系で,月の出る夜のこと。もとの字体は月と同じだが,言葉としては別」

とある。「宵」の字は,

「小は,-印を両側から削って小さくするさま。肖は,それに肉を添えた字で,素材の肉を削って小さくし,肖像をつくること。宵は『宀(家)+音符肖(ショウ)』で,家の中に差し込んでくる日光が小さく細くなったとき」

とある。同じ字を当てても,漢字の語感と日本語どれだけ違うかを思い知らされる。

参考文献;
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)


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