2016年09月21日

マネジャー


ヘンリー・ミンツバーグ『マネジャーの実像』を読む。

マネジャーの実像.jpg


本書の原題は,ずばり,

Managing

である。現実のマネジャーが,何を考え,どう行動しているかを, 30年前の,

『マネジャーの仕事』

という土台の上に,さらに,

「さまざまなタイプの29人のマネジャーの日々を観察した研究結果」

を加えたものだ。この29人は,

「民間企業のマネジャーもいれば,政府機関,医療機関,非政府機関・非営利機関のマネジャーもいる。金融,警察,映画製作,航空機製造,小売,通信など業種もさまざまだ。小さな組織のマネジャーもいるし,大きな組織のマネジャーもいる(スタッフの数は,最小で一八人,最大で八〇万人)。組織内での階層もまたまちだ。トップマネジャーに始まり,ミドルマネジャー,さらに最底辺の現場レベルのマネジャーもいる。ロンドンやパリ,アムステルダム,モントリオールなどの都会で働いている人がいる一方で,タンザニアのンガラ,ノバスコシア(カナダ)のニューミナス,カナダ西部のバンフ国立公園など,人里離れた土地で働いている人もいる。」

それぞれの一日に密着し,それを理論的に読み解くことを試みたのが本書である。

「大切にしたのは,一人ひとりのマネジャーに自分の言葉で語らせること。」

だという。マネジャーを,本書では,

「組織の全体,もしくは組織内の明確に区分できる一部分(ほかに適切な言葉がないので『部署』と呼ぶことにする)に責任を持つ人物のこと」

と定義する。そして,マネジャーは,

「主としてほかの人たちの行動を通して仕事を成し遂げる」

この「ほかの人たち」とは,部下とは限らない。それ以外の人も含まれる。だからこそ,リーダーシップが不可欠になる。そして,

「この本のテーマは,マネジメントという営みそのものである。」

と,著者は語る。

「難しいのは,マネジャーがどういう行動を取っているのかを明らかにすることではない。問題は,マネジャーが取っている行動をどう理解するかだ。マネジメントを構成する多種多様な活動をどのようにかいしゃくすればいいのか。」

その視点からみたとき,リーダーとマネジャーを別物とみなす昨今の流行に,著者は異論を唱える。

「率直に言って,組織の現場でこの区別にどの程度の意味があるのか理解しかねる。なるほど,理窟の上でリーダーシップとマネジメントを区別することは可能だろう。しかし,現実にそれを区別することなどできるのか。もっと言えば,そもそも区別するのが正しいことなのか。
 あなたは,リーダーシップを振るわないマネジャーの下で働きたいだろうか。そのような人物は部下の士気を鼓舞できない。では逆に,マネジメントを行なわないリーダーについていきたいだろうか。そのような人物は現場をあまりに知らなすぎる。マネジメントをおこなわなければ,現場で何が起きているのか把握できるわけがない。」

だから,

「マネジャーはリーダーでもあり,リーダーシップはマネジャーでもあるべきだ」

という至極当然の理解に至る。そして,こう書く。

「本当に必要なのは,リーダーシップを強化することではなく,自然にものごとに取り組める主体的な個人からなるコミュニティを築くこと。そしてリーダーシップをマネジメントと一体化させることだ。そこでこの本では,マネジメントを最も重視し,マネジメントとリーダーシップの両者をいわば『コミュニティシップ』の一部をなすものと位置づける。」

コミュニティシップは,あるいは,「チームシップ」とでも言い換えられる。マネジメントの目的とは,

「組織の中でものごとを成し遂げる後押しをすること」

と考えれば,それを推進するチーム構成員を一つにまとめていくことが求められる。それに,マネジメントとリーダーシップの両輪が不可欠なのは理の当然なのである。では,今日,マネジメントは変わったのか。著者はそうは考えていない。

本書が『マネジャーの仕事』を土台にしているという構成から見ると,著者は,

マネジメントの基本,

は,本質的に変わらない,と言いたいのであると,ぼくは思う。

「マネジメントの仕事はずっと変わっていないのだ」

だから,旧著の,マネジメントの仕事の,

過酷なペース,頻繁な中断,守備範囲の広さ,書面以外のコミュニケーションの多さ,行動志向の強さ,ヨコ関係の重視,主導権を握りづらい状況での苦心,等々というマネジャーという仕事の面,

と,

看板役,トラブル処理役,他の役割への越境など,マネジャーの基本的役割の面,

については修正すべき材料はない,と言い切っている。

マネジメントのモデルを,

情報次元のマネジメント,
人間次元のマネジメント,
行動次元のマネジメント,

に分けて,

「情報の次元で,現場から距離を置いて,言葉を使ってマネジメントをおこなう。人間の次元では,情報の次元より現場に近づいて,影響力を用いてマネジメントをおこなう。そして行動の次元では,行動を直接的にマネジメントする。」

マネジャーは,ある業務を完了させるために必要な行動を自分自身でも取る。この場合の,行動は,プレイングマネジャーのそれでは,もちろんない。

「これらの活動は,すべてコントロールの一種だ。コントロールをおこなうときと異なり,ものごとを実行する役割を実践するとき,マネジャーは組織の任務を成し遂げるための活動にじきじき携わる。組織が成果を生み出すために直接的に必要な行動の一翼を担うのである。」

違いは,全体視点を失っていないことだ。そう考えると,マネジャーの評価は,

「トラブルが発生したかどうかではなく,トラブルにどう対処したかを基準に考えるべきだ」

というのはよくわかる。それも,全体の視点からである。そこで著者が導入しているのが,

スコープ(マネジャーの仕事の範囲,裁量の及ぶ範囲)

スケール(マネジャーがマネジメントする部署の規模)

という視点だ。とりわけ,スコープの,

タテ方向のスコープ(組織内の階層の上下に及ぶ裁量権の大きさ)

ヨコ方向のスコープ(部署や組織の外に及ぶ裁量権の大きさ)

である。この視点抜きで,マネジメントを語ることにはほとんど現実的な意味はない。ただし,僕は,これを規定された裁量権という意味だけには取らない。タテでいえば,課長であっても,部長や本部長や,トップを動かす力があれば,その動かせる人の分だけ,裁量権は大きくなる。ヨコも同じである。組織横断的な影響力,あるいは組織を越えた影響力というものを考えたとき,リーダーシップ抜きのマネジメントなど,ありえないということが見えてくる。

そのときのマネジャーのマネジメントスタイルには,

アート(ビジョン 創造的発想)
クラフト(経験 現実に即した学習)
サイエンス(分析 体系的データ)

のバランスだと,著者は言う。少し矮小化するようだが,

発想力

現実力

論理力

と言い換えることもできるかもしれない。しかし,マネジメントは,

文脈依存型,

であり,環境や状況抜きに,一般論があるはずはない。

「マネジャーには,自分で自分の仕事をつくり出すだけでなく,与えられた仕事が求められる。したがって,環境を度外視してマネジメントスタイルを論じることには意味がない。」

とは正論である。第五章の「マネジメントのジレンマ」にある,

思考のジレンマ,
情報のジレンマ,
行動のジレンマ,
全体的なジレンマ,

には,マネジメントのリアリティがある。そして著者は,

マネジャーにはみな欠陥がある,

と言い切る。

「致命的な欠陥を抱えているのは,マネジャーに要求される超人的な資質のリストのほうだ。あまりに現実離れしているし,リストに掲げられている資質が好ましい結果を生まない場合も多い。」

と。著者は,マネジメントのマインドセット(思考様式)を挙げる。それを糸とと呼ぶ。

エネルギーの糸,
振り返りの糸,
分析の糸,
広い視野の糸,
協働の糸,
積極行動の糸,

これは資質ではなく,仕事を指していて,それぞれがからみあって一体となる,という意味だ,と著者は説く。マインドセットという意味は,ここにある。

「マネジメントの最大の眼目は,合成を目指して,休むことなく奮闘し続けること,いつまでもゴールにたどり着かなくても,それどころか自分がどの程度ゴールに近づいているかすら見当がつかなくても,その努力をつづけなくてはならない」

と。

「マネジメントの仕事はなまけ者にはつとまらない」

とは,正解かも知れない。

参考文献;
ヘンリー・ミンツバーグ『マネジャーの実像』(日経BP社)


ホームページ;
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posted by Toshi at 04:53| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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