2016年09月27日

抑制


「隅田あい夏 個展 ~網で濾せないとこらへん~」

http://aika.pupu.jp/

に伺ってきた。

隅田あい夏.jpg


今年は,僕には,

『やることリストを反芻する』(左)

『残した仕事は明日また』(右)

が強く印象に残った。

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勝手な印象だが,この作家は,視界に網目を掛けるのが特徴的な作風だが,僕には,具象のままでは,どこか作家の中に物足りながあって,何か加えることで,具象のもつ具体的な印象やインパクトを薄らげたいという思いがあるのではないか,思える。

そのせいか,同じ風景でも,二見が浦とはっきりわかるもの(『海の鳥居』)よりも,上記二作や,『早春の海を滑る』のように,具象から少し離れたものの方が,描き方に自由度が高まっているように見える。

去年も似た構図の作品があったと作家には伺ったが,まったく印象が違うのは,

陽の光のはじけ具合,

なのかもしれない。作家は,特に

『残した仕事は明日また』(右)

について,手前に赤のラインや網目といった,手を加えたせいだと言われたが,それだけではない気がする。

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昨年に比べると陽の出方(というより残り方)が大きいので,光の燦燦とした輝きで,海が暖色系になる。それも違うが,僕が感じたのは,元来が,

具象に引きずられるより,具象から舞い上がる方が,得手なのではないか,

ということだ。ふとそんな気がしただけだから錯覚かもしれない。ただの思い過ごしかもしれない。その意味では,具象に手を加えることで(あえて,それを,視界を「汚す」というか「曇らす」「紛らす」という言い方をしてみるが),視界から(観る者に)具象への注視を妨げる,というのは意味があるのかもしれない。

しかし,僕は,素人ながら,勝手に想像したのは,この作家は,全体に,

抑制のききすぎる,

という感じがするのである。網でいくらか崩しているのだが,それもまだ一種の抑制の域の中にしかない。思い切りよく「汚す」あるいは「曇らす」(というより,何かを描き加える)ことで,抑制のバランスが崩れる,のではないか。

で,

はじける,

という言葉が浮かんだ。日の光がはじけている分,抑制を打ち砕く。ひょっとすると,

もっとはじけたい,

という作家の潜在意識が,「手を加える」ことを,させているのかもしれない,と妄想する。それなら,その思いのままに,「紛らす」ものを発散(はじけ)させたら,陽の光は,もっと,

燦燦と,

視界全体を眩く眩ませるのではないか。その時,さまざまの光の煌めきによって具象の輪郭はかき消され,図も地も,境界線の定かではない,光そのものの散乱する視界には,その向こうに別のパースペクティブが開けそうな気がする。もはや抽象と具象の閾は消える。そんなはじけ方も見てみたい気がする。

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posted by Toshi at 04:39| Comment(0) | 個展 | 更新情報をチェックする
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