2016年10月06日

いま


「いま」は,

今,

と当てるが,語源は,

「イ(発語)+マ(間)」

とされる。これについて,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/440936447.html?1470858440

で触れた熊倉千之氏は,

『イ』は口を横に引いて発音し,舌の位置がほかの四つの母音よりも相対的に前にくるので,一番鋭く響きますし,時間的にも口の緊張が長く続かない,自然に短い音なので,『イマ』という『瞬間』を表現できるのです。」

と言い,「イマ」の「マ」については,

「『イマ』の『マ』は,実は/i/という一瞬の時間的な間隔なのです。『マをとる』とか『マをおく』とか,何もないように見える時間・空間が,演劇でも絵画でも日本文化では大切な意味をもっています。/a/は一般的に『開かれた』時間や空間の表現に使われます。『開かれている』時間・空間『マ』は,何もないように見えますが,そこに何かが生まれる可能性を孕んでいます。/m/音が何かを『生む/umu/』特性をもつからです。…/m/音は,唇を閉じて発音するので,内にこもった語感があり,何かが『内包』された事態に使われます。」

と述べている。「イ」という間が,「いま」らしいのである。確か,何かの本で,例の老婆と娘の,

ヒル.jpg

(W.E.ヒル)


切替わりの数秒を「いま」と言っていた記憶があるが,一瞬のことなのだろう。

「今」の字は,

「『ふたで囲んで押さえたことから示すかたち+一印(とりおさえたものを示す)』で,囲みとじて押さえる意味をあらわす。のがさず捕らえ押さえている時間,目前にと押さえた事態などの意を含む。また,含(周囲をふさぎ口の中に含む)や吟(口をふさいで声だけ出す)などに含まれる。」

とあり,「いま」のイメージが随分違う。

今を中心に,過去が,「きのう」,未来が「あした」になる。

あしたは,

朝,
明日,

と当てるが,『広辞苑』に,

「古代には,昼間を中心にした時の表現と夜間を中心にした時の表現法があり,『あした』は夜間を基準にした『ゆうべ』『よい』『よなか』『あかとき』『あした』の最終部分」

とある。朝,昼,夜については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/442052834.html

http://ppnetwork.seesaa.net/article/442024908.html

で触れたが,『古語辞典』によると,上代には昼を中心にした言い方と,夜を中心とした時間の言い方とがあり,

昼を中心にした時間の区分,アサ→ヒル→ユフ,
夜を中心にした時間の区分,ユフベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ(アカトキ)→アシタ,

と,呼び方が分けられている。前者がヒル,後者がヨル,ということになる。アサとアシタは同じ「朝」である。つまり,

「今夜が明けて,迎える日」

が,明日であり,朝である,ということになる。昼の時間区分の「アサ」とおなじなのだが,

「ただ『夜が明けて』という気持ちが常についている点でアサとは違う。」

と『古語辞典』にはあり,

「夜が中心であるから,夜中に何か事があっての明けの朝という意に多く使う。従ってアクルアシタ(翌朝)ということが多く,そこから中世以後に,アシタは明日の意味へと変化しはじめた。」

という。『大言海』には,

「アは,明くの語幹。明時(アケシトキ)の意」

とある。明日の,

明ける日,

とは,その含意である。

「今日」は,

「『今(ケ)+日(ヒ)』です。ヒが転じてフ,ケフとなり,現代語でキョウとなります。」

とあり,『大言海』は,『倭訓栞』の,

「此日(コヒ)の義也」

を引く。「きのう」は,語源は,

「『サキノヒ』の音韻変化です。サが略され,キノヒ,音韻変化でキノフ,キノウとなった」

とする説が有力だが,他に,

「『来し(過ぎた日)+日』転じて,キノヒ,キノフ,キノウとなった」

という説もある,とする。『大言海』は,

「昨日(きす)の日の略」

とある。「きす」を見ると,

「昨日(きのふ)の古語」

とある。「きそ」にリンクしていて,「きそ」を見ると,

昨日(きのふ)の古語,

とあり,「去年(こぞ)」を見よとある。「きそ」は,『古語辞典』には載らないが,

「きぞ(昨夜)」

はあり,さらに,「こぞ」を引くと,「昨夜」「去年」と二つの意味がある。で,『大言海』の「こぞ(去年)」にはこうある。

「去年,又は昨夜をコゾと云ひ,昨日を,キソ,又はキゾと云ふは,来(コ)し年,来(キ)し日,来(コ)し夜(来(こ)し方,来(き)し方)を下略して,連体形を名詞に用ゐるならむ。シ,ス,ソ相通ず…。然して,コゾ,キソ,キス,共に,ひろく過去を称する語なるが,去年にも,昨夜にも,用ゐられしなるべし。漢語に,前日を,疇昔と云ふが如し。」

と。疇昔(ちゅうせき)の「疇」は,「さきの」という意味で,

昨日,
にも,
先日,
にも,
昔,

にも使う。「昨」の字は,

「『日+音符乍(サ)』。乍(切れ目を入れる)は音符で,意味に関係ない」

とあり,「夜を隔てた前日」を指す。

参考文献;
熊倉千之『日本語の深層: 〈話者のイマ・ココ〉を生きることば』(筑摩選書)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
種村季弘・高柳篤『だまし絵』(河出文庫)

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今日のアイデア;
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posted by Toshi at 05:10| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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