2016年11月08日

神社


島田裕巳『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』を読む。

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本書では,代表的な神社の祭神の由来を解きほぐしていくが,ほぐせばほぐすほど,由来がはっきりしなくなるのが特徴と言えば特徴で,しかも神仏習合が信仰の中で根付いていたものを無理やり,明治政府が剥離したために,どこかいびつなものになっていることもよくわかる。取り上げているのは,

八幡,
天神,
稲荷,
伊勢,
出雲,
春日,
熊野,
祇園,
諏訪,
白山(日吉),
住吉(宗像,恵比寿,金毘羅),

だが,この理由の多くは,神社数の多さからきているようだ。神社本庁調べでは,

一位は,八幡信仰に関わる神社7817社(八幡神社,八幡宮,若水緒神社など),
二位は,伊勢信仰に関わる神社4425社(神明社,神明宮,皇大神社,伊勢神宮など),
三位は,天神信仰に関わる神社3953社(天満宮,天神社,北野神社など)
四位は,稲荷信仰に関わる神社2970社(稲荷神社,宇賀神社,稲荷社など),
五位は,熊野信仰に関わる神社2693社(熊野神社,王子神社,十二所神社,若一王子神社など),
六位は,諏訪信仰に関わる神社2616社(諏訪神社,諏訪社,南方神社など),
七位は,祇園信仰に関わる神社2290社(八坂神社,須賀神社,八雲神社,津島神社など),
八位は,白山信仰に関わる神社1893社(白山神社,白山社,白山比咩神社,白山姫神社など)
九位は,日吉信仰に関わる神社1724社(日吉神社,日枝神社,山王社など)
十位は,山神信仰に関わる神社1571社(山神社など)

と続いて,春日進行,三島・大山祇信仰,鹿島進行,金毘羅信仰,と続くらしい。

日本の神々は,

神話に根ざした神々,
記紀神話に登場せず,歴史の中で新たに祀られた神々,
人を神として祀ったもの,

の三種があり,しかも,神々は,

「誰を神と祀ろうと,それは祀るものの自由で,どこかの許可を必要とするわけではない。その点で,日本の神の数は常に増え続けていくわけで,今後も増えていくものと考えられる」

ということで,実は神社の総数を数えることが難しい。しかも,神の祀り方も数え方を難しくしている,という。

「同じ祭神を祀っている神社であっても,個々の神社の名称には地名などがついていて,それぞれが区別されている。
 たとえば,…荒川区では,稲荷社として,西日暮里の向陵稲荷神社,東日暮里の隼人稲荷神社,南千住の豊川稲荷社,荒川の宮地稲荷神社,町屋の原稲荷神社と,5社が祀られている。どれも祭神は,稲荷神,つまりは宇迦之御魂神(別名・倉稲荷魂命)である。
 その点で,どれも同じ神を祀る神社ということになるが,地域の人たちはそれぞれの稲荷社を区別しており,別々の名称で呼んでいる。つまり,宮地稲荷神社と原稲荷神社は,別の神を祀る神社としてとらえられているわけだ。となると,現実的には,荒川区内には,一つではなく5つの稲荷神が祀られていることになる。」

しかも,神社へ参詣に行くとわかるが,

「一つの神社には,本殿のほかに境内社があり,そこには,本殿の祭神とは別の神々が祀られている。」

数を把握することのむつかしさがわかる。例えば,稲荷系は,一応,4位ということになっているが,江戸に多いものとして,

火事喧嘩伊勢屋稲荷に犬の糞,

と言われたように,稲荷社は数が多いが,さらに,

「ほかの神社の境内に摂社や末社として稲荷社が祀られている事例がかなり見られる。…かえって稲荷社がない神社の方が珍しい。…街角に小さな稲荷社が祀られていることも多い。…屋敷神として祀られている稲荷社もかなりの数にのぼるが,企業が本社のビルの屋上に稲荷社を祀っている例もある。」

ということで,稲荷社と名乗る神社以外の,摂社末社や街中の小詞を数え上げれば,膨大な数の稲荷社が存在することになる,ということらしい。

「数としては,稲荷社が実際には一番多いはずだ。」

と,表題とは矛盾する,結論になる。ことほど左様に,神社を数えることのむつかしさであろう。

本来,仏教と神道は分かちがたく結びついて,信仰を形作ってきた。それを無理やり,分離し,廃仏毀釈をした結果,庶民は,別のことを考える。伏見稲荷の千本鳥居は有名だが,実は,明治以降のことらしい。

「伏見稲荷に残された絵図に,『稲荷山寛文之大絵図』…には,稲荷山全体が描かれ,社殿なども記されているのだが,鳥居はいくつかあるものの,千本鳥居にはなっていない。(中略)また天保年間に…刊行した『江戸名所図会』には,江戸の市中にあったいくつかの稲荷社について,その絵図を掲げているが,どれを見ても,千本鳥居は見いだせない。」

実は,千本鳥居は,お塚の信仰と関係がある。稲荷山に無数に祀られている石碑のことである。これも,『稲荷山寛文之大絵図』には載らない。お塚は,明治政府の「神仏判然令」に基づいて,

「神社に祀られていた仏教関係の仏像を撤去したり,境内にあった神宮寺を廃止」

することとなり,

「伏見稲荷では,神号が稲荷大明神に統一され,他の神名を使うことができなくなった。そこで,自分たちで独自の神を祀っていた人々が,稲荷山の山中に勝手に石碑を建て,それを私的な礼拝施設にした。それがお塚のはじまりだったのである。」

それが明治以降急速に増え,その正確な数は分からない,という。庶民の信仰の抵抗である。

「千本鳥居も,このお塚の信仰の高まりの影響で生まれたのであろう。お塚を建てることは神社側によって規制されている。ならば,鳥居を奉納することでその代りにしよう。それについては,神社側もコントロール可能なので,許容されたのではないだろうか。」

と。

「日本の神々の正体を知ることは,日本人の本当の姿を知ることに結びつく」

のは,廃仏毀釈でぶち壊されたかつての神社のことであって,明治政府による官制神社ではない。

参考文献;
島田裕巳『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』(幻冬舎新書)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm
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posted by Toshi at 05:20| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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