2016年11月22日
取り
「取り」は,接頭語で,
動詞に付いて,語勢を強めるのに用いる。
とある。
取りつくろう,
取り決める,
取り調べる,
取り乱す,
取り紛れる,
取り扱う,
等々ある。「はからう」
http://ppnetwork.seesaa.net/article/444177777.html?1479673048
でも少し触れたが,『古語辞典』には,「取り」について,
「動詞の上について,その動作が,何か手を加えられることで,安定・定着することを示す」
として,
①(持って)…する(例えば,「とりつく」),
②(みずから)…してやる,…する(例えば,「とり飼う」),
という使い方を提示している。つまり,
「取る」という元の言葉の意味をひきずっているか,
その含意の主体性に焦点を当てるか,
ということなのだろうか。『大言海』は,
「うち(打)の條を見よ」
とあり,「うち」の項には
「打ち鳴らす,打ち砕くなどは,打つ意あるを,かやうに多く他の動詞に重ね用ゐるよりして,遂に唯其の意を強くするばかりの用ともせしならむ。掻き曇る,かい伏す,差し控ふ,立ち超えて,取り乱す,もて悩む,相構へて,など皆同じ」
とある。因みに,「ぶつかます」とか「ぶち殺す」の「ぶち」は「打ち」の転化したもの。
「とる」は,
取る,
採る,
捕る,
執る,
撮る,
録る,
等々と当てる。『広辞苑』は,
「て(手)と同源」
とし,『大言海』も,
「手の活用」
とするが,『古語辞典』は,
「タ(手)の母音交換形トを動詞化した語。ものに積極的に働きかけ,その物をしっかり握って自分の自由にする意。また接頭語としては,その動作を自分で手を下してしっかり行い,また,自分の方に取り込む意。類義語ツカミは,物を握りしめる意。モチ(持)は,対象を変化させずそのまま手の中に保つ意。」
と,詳しく説明する。だから,語源は,
「手+る(動詞をつくる機能のル)」
として,『語源辞典』は,
「すべて,手で何かをするのが語源なのです。トルの質的な違いは,中国語源によって区別しています。」
とする。つまり,取るのか,獲るのか,採るのかの区別は,漢字に頼るほかないということになる。
したがって,手ですることすべてを含む,動詞「とり」の意味は幅広く,『古語辞典』は,
①物の全体をしっかり手中に収めて自分のものにする,
②手を動かして,物事を思う通りに操作する,
③物事を手許へ引き寄せて,こちらの自由にする,
④物事をこちら側の要求・基準に合うように決定する,
と用例を分けているが,『広辞苑』は,「とる」を,
①手に握りもつ,
②つかんでそれまでの所から引き離し,また当方へ移しおさめる,
③身に負いもつ,
④選び出す,
⑤物事をつくり出す,
⑥物事の内容をはかり知る,
⑦あるところを占める,
⑧遊戯・競技などを行う,
⑨関係する,
⑩(連用形が他の動詞の上について)直接手を下してその行為を行き届いたものにする意を表す,転じて,調整を調えるのにも用いる,
とある。文脈に依存するのだから,いくらでも意味が増える。しかし,この「とる」の語意を反映しているとすると,接頭語「取り」は,
主体的にする,
とか,
自分がする,
というす意味があるはずだ。たとえば,「扱う」と「取り扱う」の違いは,そこにあるはずだ。「扱う」の意味は,
気を使う,世話をする,
もちなす,処遇する,
取りざたする,
操作する,
取りさばく,
もてあます,
もてあそぶ,
等々だが,「取り扱う」は,
物事を処理する,
物を手で持って動かしたり,使ったりする,
世話をする,
と,主体が強く意識されている気がする。「扱い書」と「取扱書」の違いは,自分でする,という含意なのではないか。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
今日のアイデア;
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