2016年11月29日

怪奇


岡本綺堂『中国怪奇小説集』を読む。

中国怪奇小説集.jpg


これはいわば,志怪小説集とも言うべきものだ。「志怪」とは,

「怪を志(しる)す」

という意味である。

三遊亭圓朝の創作した怪談噺「牡丹灯籠」は、中国明代の小説集『剪灯新話』に収録された小説『牡丹燈記』に着想を得ている,というように,中国から翻案したものが少なくない。

志怪小説については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/434978812.html

で触れた。「小説」は,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/432692200.html

で触れたように,

「市中の出来事や話題を記録したもの。稗史(はいし)」

であり,『日本大百科全書(ニッポニカ)』には,

「中国、六朝(りくちょう)時代にもっとも盛んに記録された説話の名称。「怪を志(誌)(しる)したもの」という意味の命名で、この種の話には怪奇な内容をもつものが多いところから、近代中国の文学史家によって名づけられたものである。志怪小説ともよばれ、特異な人物の事跡を記録した志人小説という説話群と相対する説話群の呼称でもある。六朝も早期の三国・晋(しん)のころの志怪には、昔話や伝説など、民間伝承の記録とみられるものが多いが、劉宋(りゅうそう)以降、六朝期後半の志怪書には、仏教や道教の功徳(くどく)を説く宗教説話がしだいに数を増してくる。しかし今日原形をとどめる志怪書は1本もなく、いずれも後人が『太平広記(たいへいこうき)』や『太平御覧(たいへいぎょらん)』などの類書に引かれ残っていた六朝志怪書の断片を拾い集めて作り直したようなものばかりである。また原話の筆録に忠実でなく、話の骨子だけを記したようなものも多い。」

その意味で,いま言う小説のはしり,ということになる。ただし,

「昔、中国で稗官(はいかん)が民間から集めて記録した小説風の歴史書。また、正史に対して、民間の歴史書。」

であり,それが転じて、作り物語。転じて,広く,小説になっていくが,ここに登場するものは,

「面白い話ではあるが作者の主張は含まれないことが多い。」

のである。その意味で,後に,

「俗語で書かれた『水滸伝』『金瓶梅』などの通俗小説へと続いていく。」

が,それとは一線を画す。取り上げられているのは,

捜神記(六朝)
捜神後記(六朝)
酉陽雑爼(唐)
宣室志(唐)
白猿伝・其他(唐)
録異記(五代)
稽神録(宋)
夷堅志(宋)
異聞総録・其他(宋)
続夷堅志・其他(金・元)
輟耕録(明)
剪灯新話(明)
池北偶談(清)
子不語(清)
閲微草堂筆記(清)

である。清の時代の頃のものは,書き手自体が,話を信じておらず,安っぽい種明かしをしたりするので,かえって興醒めである。たとえば,

『閲微草堂筆記』の「木偶の演戯」

では,

「わたしの先祖の光禄公は康煕年間、崔荘で質庫を開いていた。沈伯玉という男が番頭役の司事を勤めていた。
あるとき傀儡師が二箱に入れた木彫りの人形を質入れに来た。人形の高さは一尺あまりで、すこぶる精巧に作られ ていたが、期限を越えてもつぐなわず、とうとう質流れになってしまった。ほかに売る先もないので、廃り物として空き屋のなかに久しく押し込んで置くと、月の明るい夜にその人形が幾つも現われて、あるいは踊り、あるいは舞い、さながら演劇のような姿を見せた。耳を傾けると、何かの曲を唱えているようでもあった。
沈は気丈の男であるので、声をはげしゅうして叱り付けると、人形の群れは一度に散って消え失せ た。翌日その人形をことごとく焚いてしまったが、その後は別に変ったこともなかった。
  物が久しくなると妖をなす。 それを焚けば精気が溶けて散じ、 再び聚まることが出来なくなる。また何か憑る所があれば妖をなす。それを焚けば憑る所をうしなう。それが物理の自然である。」

と,まるで高みから見下しているかのようである。いわゆる,

付喪(つくも),

の謂いである。

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163408.html

で書いたように,日本の民間信仰において,長い年月を経て古くなったり,長く生きた依り代(道具や生き物や自然の物)に,神や霊魂などが宿ったものの総称で,荒ぶれば(荒ぶる神・九尾の狐など)禍をもたらし,和(な)ぎれば(和ぎる神・お狐様など)幸をもたらすとされる。

「付喪」自体,

長く生きたもの(動植物)や古くなるまで使われた道具(器物)に神が宿り,人が大事に思ったり慈しみを持って接すれば幸をもたらし,でなければ荒ぶる神となって禍をもたらすといわれる。親しみ,泥んだものや人や生き物が,邪険にされて妖怪と化す,というそれである。

しかし,こういう訳知り顔の語りは,「牡丹灯籠」の元になった,明代の『剪灯新話』「牡丹燈記」にはない。

http://www.aozora.gr.jp/cards/001078/files/4999_12230.html

を読んでいただくと,三遊亭圓朝が「牡丹燈籠」で,どう変えたのかもよくわかる。

宋代の,『夷堅志』「餅を買う女」も,おなじみだ。

小夜の中山の夜泣石の伝説も、支那から輸入されたものであるらしく、宋の洪邁の「夷堅志」のうちに同様の話がある。

「宣城は兵乱の後、人民は四方に離散して、郊外の所々に蕭条たる草原が多かった。
 その当時のことである。民家の妻が妊娠中に死亡したので、その亡骸を村内の古廟のうしろに葬った。その後、廟に近い民家の者が草むらの間に灯のかげを見る夜があった。あるときはどこかで赤児の啼く声を聞くこともあった。
 街に近い餅屋へ毎日餅を買いにくる女があって、彼女は赤児をかかえていた。それが毎日かならず来るので、餅屋の者もすこしく疑って、あるときそっとその跡をつけて行くと、女の姿は廟のあたりで消え失せた。いよいよ不審に思って、その次の日に来た時、なにげなく世間話などをしているうちに、隙をみて彼女の裾に紅い糸を縫いつけて置いて、帰るときに再びそのあとを附けてゆくと、女は追ってくる者のあるのを覚ったらしく、いつの間にか姿を消して、赤児ばかりが残っていた。糸は草むらの塚の上にかかっていた。
 近所で聞きあわせて、塚のぬしの夫へ知らせてやると、夫をはじめ一家の者が駈けつけて、試みに塚を掘返すと、女の顔色は生けるがごとくで、妊娠中の胎児が死後に生み出されたものと判った。
 夫の家では妻のなきがらを灰にして、その赤児を養育した。」

この手の話は,日本では,

飴を買う幽霊,

等々という呼ばれ方をして,

子育て幽霊,

として知られている。その辺りは,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90%E8%82%B2%E3%81%A6%E5%B9%BD%E9%9C%8A

に詳しい。

子育て幽霊.jpg

(安田米斎画『子育て幽霊図』)


たとえば,

「ある民家で、妻が妊娠中に死亡し、埋葬された。その後、町に近い餅屋へ、赤ちゃんを抱えた女が毎日餅を買いに来るようになった。餅屋の者は怪しく思い、こっそり女の服のすそに赤い糸を縫いつけ、彼女が帰ったあとその糸をたどってゆくと、糸は草むらの墓の上にかかっていた。知らせを聞いた遺族が墓を掘り返してみると、棺のなかで赤ちゃんが生きており、死んだ女は顔色なお生けるがごとくであった。女の死後、お腹の中の胎児が死後出産で生まれたものとわかった。遺族は女の死体をあらためて火葬にし、その赤児を養育した。」

と。まあ,上記「子育て幽霊」では,

「この手の話は日本各所にあるが色々と考察できる。
説法による真実性を増すためにでっちあげ説
飴の販売促進のための飴屋による宣伝説
禁忌を破り子を生した僧の外分を保つための保身説
墓場に捨てられた赤子が拾われた場合の出所説
なお、幽霊の墓と寺、子供の引き取った寺・その後の進退の寺、飴屋の場所と屋号、全て揃って伝わっているのは京都の話だけである。」

とするが,江戸時代(寛文年間1660年代)に,

『伽婢子(おとぎぼうこ)』
『狗張子(いぬはりこ)』

が,志怪小説の翻案として,出されている。中国で志怪小説『夷堅志』に取り上げられたのが,宋代なので,日本で流布する600年前になる。あるいは,中国伝来なのではないか。

参考文献;
岡本綺堂『中国怪奇小説集』Kindle版
堤邦彦『江戸の怪異譚―地下水脈の系譜』(ぺりかん社)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E6%80%AA%E5%B0%8F%E8%AA%AC
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A8%E6%9C%88%E7%89%A9

ホームページ;
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今日のアイデア;
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