J・L・ボルヘス『伝奇集』を読む。
作家に読まれる作家,
らしいのだが,正直,博識と言うよりも,
ペダンチック(pedantic),
の匂いがして,好きになれなかった。読むたびにこっちの無知を思い知らされるせいかもしれない。
架空の小説についての評論をする,
というスタイルや,
架空の地域を推理していく,
というスタイルや,
喩の喩を積み重ねていく,
という寓意スタイルや,
小説の方法そのものについて書いていく,
スタイル等々,その方法そのものが作品世界になっているものが多い。その意味で,たぶん,
メタ・ポジション,
から眺めるのが好みなのだと,その知的奥行に圧倒されながら,思う。例えば,著名な,
『バベルの図書館』
は,いろんな読み方ができるだろうが,さながら,キアヌ・リーブス主演の『マトリックス』のように,ハイパー空間そのものにいるように感じさせる。そこでは,すべてがメタ化されている。いや,すべては,どこまでも,
メタメタメタメタ…化,
される。そういう空間に入り込んだが最後,
メタ化,
の誘惑から逃れられなくなる。
「図書館は全体的なもので,その書架は二十数個の記号のあらゆる可能な組み合わせ―その数はきわめて膨大であるが無限ではない―を,換言すれば,あらゆる言語で表現可能なもののいっさいをふくんでいると推測した。いっさいとは,未来の詳細な歴史,熾天使らの自伝,図書館の信頼すべきカタログ,何千何万もの虚偽のカタログ,これらのカタログの虚偽性の証明,真実のカタログの虚偽性の証明,パシリデスのグノーシス派の福音書,この福音書の注解,この福音書の注解の注解,あなたの死の真実の記述,それぞれの本のあらゆる言語への翻訳,それぞれの本のあらゆる本のなかへの挿入,などである。」
「他のすべての本の鍵であり完全な要約である,一冊の本が存在していなければならない。」
「本Aの所在を突き止めるために,あらかじめ,Aの位置を示す本Bにあたってみる。本Bの所在を突き止めるために,あらかじめ本Cにあたってみる。」
マトリックスというか,すべてデジタル化された0と1が浮遊し,随時に組み合わされていく。当然要約も目次も,自在である。
全てがある,
と同時に,それは,
すでに書かれてもいる,
というわけである。
『円環の廃墟』は,
「おのれもまた幻にすぎないと,他者がおのれの夢をみているのだと悟った。」
入れ子の夢,夢の夢の夢…であるが,これは,作家によった紡がれる作品世界そのものの喩でもある。
『死とコンパス』は,犯罪を追っかけている刑事が,犯罪者の描いた筋書き通りに辿り着いて,挙句,犯人に殺されるストーリーの経過,つまり推理のプロセスは,中井英夫の『虚無への供物』の,アンチ推理小説のようなおかしさがある。それを謎解きしていく理屈をあざ笑うように,犯人が辿り着いた地で待ち伏せている。ここにも,
メタ推理小説,
の視点がある。僕は,『隠された軌跡』が面白いと思う。戯曲を執筆中,ゲシュタポに逮捕された主人公は,神に,「一年の猶予」を乞う。銃殺刑で,銃殺隊の前に立たされ,
「軍曹が大きな声で最後の命令をくだした。
物理的な世界が静止した。
銃の先はフラディークに集まっていたが,彼の命を絶とうとする人間たちは動かなかった。軍曹の腕は動作の途中で止ったままだった。中庭の敷石のひとつに,一匹の蜜蜂が動かぬ影を投げていた。風はやんでいた,絵のなかのように。フラディークは試しに叫び,一個のシラブルを発音し,手でひねってみた。麻痺状態にあることがわかった。不動の世界からは,かすかな物音ひとつ彼のところへ達しなかった。私は地獄にいる,死んだのだ,と彼は考えた。狂ったのだ,と考えた。時間が止まったのだ,と考えた。だが,すぐに,それならば,自分の思考も停止しているはずだと思いなおした。」
そしてただ,記憶をたよりに,
「彼はその戯曲を結末まで持っていった。あとは,ただ,ひとつの形容詞をどうするかという問題だった。ついにそれを見つけた。水滴が彼の頬からすべり落ちた。もの狂おしい絶叫が口をついて出,顔をそむけた。四重の斉射が彼を倒した。」
「アキレスと亀」ではないが,一瞬が,一年にのびたような時間感覚の中で,主人公は,作品を完成させて,殺された。
参考文献;
J・L・ボルヘス『伝奇集』(岩波文庫)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm
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