2016年12月09日

唐変木


唐変木は,

とうへんぼく,

と訓ませるが,

気がきかない人物,偏屈な人物などをののしり嘲る語。わからずや,まぬけ,

という意味の幅(『広辞苑』)に戸惑う。

気がきかない,

偏屈,

は違う。まして,

わからずや,

は,

まぬけ,

と同義ではない。そう使われているのかどうかは知らないが,余りにも編纂者の見識がなさすぎる。手元の『語源辞典』では,

「唐から来たような風変わりな木」

が語源という。

気がきかない人の意,

とある。どうも眉唾に見える。意味と解釈に齟齬がありすぎる。『江戸語大辞典』をみると,「唐変木」は,

田舎者,野暮,まぬけ,気のきかない人,偏屈な人,

と意味が並ぶ。「田舎者」というのが,意味の始まりなのではないか。『大言海』は,

唐偏僕,

と当てて,

道理のわからぬものを罵り呼ぶ語,

とあり,用例には,

愚鈍人,

に,「とうへんぼく」と訓ませている。どうやら,「唐変木」は当て字らしい。

『日本語俗語辞典』

http://zokugo-dict.com/20to/touhenboku.htm

には,

「唐変木とは偏屈な人や一風変わった人、気の利かない人のことで、そういった人を嘲う言葉である。こういった人を唐変木と呼ぶ理由として『遣唐使が持ち帰った変な木から』『唐(外国)の変わった木偶人形から』など、これ以外にもいくつかの語源説があるが詳しいことはわかっていない。こうした意味で古く江戸時代(語源によってはそれ以前という説も?)から使われている唐変木だが、昭和後期辺りから使われることが少なくなっており、現代では一部中高年が使う程度になっている。」

とあり,どうも,当て字からの後解釈以上の,謂れは見えないようだ。

http://dictionary.goo.ne.jp/thsrs/4822/meaning/m0u/

では,分からず屋と唐変木を比較して,

【1】「分からず屋」は、物事の事情や道理をいくら説明してもわからない人、また理解しようともしない人をいう。
【2】「唐変木」は、物事の道理のわからない人や、また、気の利かない人などをののしっていう語。

と対比しているが,意味が似ているように見えて,たとえば,

「父があんなに分からず屋だとは知らなかった」

というのを,

「父があんな唐変木だとは知らなかった」

と言い換えると,微妙に意味の乖離がある。「分からず屋」というとき,

気がきかない

という含意はない。逆に,「唐変木」というとき,

「何を馬鹿(ばか)なことをいっているんだ、この唐変木め」

を,

「何を馬鹿(ばか)なことをいっているんだ、この分からず屋め」

と言い換えても,そんなに違いを感じない。勝手な解釈だが,

どちらも常の常識的な論理が通じない,

という点では一致するが,「分からず屋」は,

おのれの理屈を通して譲らない,

という理の部分なのに対して,「唐変木」は,

「情理」

の「情」の部分が通じない,というニュアンスなのではあるまいか。だから,

気配り,
とか,
思いやり,
とか,
相手の心情を汲む,

ということに疎い。その意味で,

朴念仁,

と重なるところがある。「朴念仁」は,

道理のわからない者,

という意味もあるが,

人情や道理の分からない人。また無口で愛想のない人,

という意味があり,

「人の気持ちの分からない朴念仁」

という使い方になる。これは,

「人の気持ちの分からない唐変木」

なら,まだ許容範囲だが,

「人の気持ちの分からない分からず屋」

というと,人でなしの方に近づいていく。

『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ho/bokunenjin.html

では,「朴念仁」を,

「朴念仁は和製漢語であろう。『朴』は『素朴』『朴訥』など飾り気がないさま。『念』は思うことや考えること。『仁』は人を表している。本来は,飾り気がなく素朴な考えの人を表す言葉であったが,飾り気のなさから転じて,無愛想な人や分からず屋を指すようになったと思われる。」

としている。手元の『語源辞典』も,

「朴(かざらぬ)+念(心)+仁(人)」

として,

飾らぬ,無口で,無愛想な人,道理,人情の通じない人,

という意味とするが,

http://dic.pixiv.net/a/%E6%9C%B4%E5%BF%B5%E4%BB%81

が,

「無口で無愛想な人や頑固で物分かりの悪い人のこと。 転じて、恋愛事に関して疎いにもほどがある人物やキャラクターがこう呼ばれることが多い。 傍から見れば『リア充爆発しろ』な状況にいるのに全然理解していないなど、ハーレム的状況に置かれたラノベの主人公によく見られる気質。 また、個別エンドのあるギャルゲーやエロゲーがアニメ化された場合、主人公に決断力があったり恋愛事の機微に聡かったりすると早々に誰かとくっついて話が終わってしまうため、主人公が朴念仁化されてしまうことも多い。」

と解くのが,僕の語感に近い。「分からず屋」は,情理の,

「理」

についてだが,「朴念仁」も「唐変木」も,情理の

「情」

に疎いを指す。考えれば,情に疎いとは,鈍感であり,その鈍さが,間抜けに通じなくもない。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm
posted by Toshi at 05:14| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください