2016年12月16日

集団的自衛権


松竹伸幸『集団的自衛権の深層』を読む。

集団的自衛権の深層.jpg


同じ著者の,『憲法九条の軍事戦略』は,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/402074073.html

で触れたことがある。そこで,九条のもと,専守防衛を旨としたきたが,それは,

「専守防衛とは相手からの武力攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使し,その防衛力行使の態様も自衛のための必要最小限度にとどめ,また保持する防衛力も自衛のための必要最小限度のものに限るなど,憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略をいう…」(大村防衛庁長官 参議院予算委員会 81.3.19)

つまり,

日本側が反撃を開始するのは相手から武力攻撃を受けたときであり,
その反撃の態様は,自衛のための必要最小限度の範囲にとどめ,
その反撃をする装備も自衛のための必要最小限度

というものである。これに合わせて,自衛権発動の三要件というのがある。

「憲法第九条のもとにおいて許容されている自衛権の発動については,政府は,従来からいわゆる自衛権発動の三要件(我が国に対する急迫不正の侵害があること,この場合に他に適当な手段のないこと及び必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと)に該当する場合に限られると解している」(参議院決算委員会提出資料 72.10.14)

「他に適当な手段がない場合」を除くと,専守防衛の要件と重なっている。この趣旨は,

「外交交渉とか経済制裁などで相手国の侵略をやめさせることができるならそうすべきであって,武力で自衛するのはそういう手段ではダメな場合に限る」

という意味である。

こういう専守防衛の考え方を覆す安保法案が昨年国会を通ったが,そこでの議論が,いかに尽くされていない(あるいは,尽くす気がなかった)かが,本書を通して見えてくる。

安全保障関連法案(安保法案)は,新しくつくられる「国際平和支援法案」と自衛隊法改正案など10の法律の改正案を一つにまとめた「平和安全法制整備法案」からなる。

集団的自衛権を認める
自衛隊の活動範囲や、使用できる武器を拡大する
有事の際に自衛隊を派遣するまでの国会議論の時間を短縮する
在外邦人救出や米艦防護を可能になる
武器使用基準を緩和
上官に反抗した場合の処罰規定を追加

などが盛り込まれた。歴代内閣が否定してきた集団的自衛権の行使容認には「合憲性を基礎づけようとする論理が破綻している」(長谷部恭男・早稲田大学教授)など,法学者らから疑問の声も強かったものだ。

安保法案.jpg


本書は,2013年上梓なので,本書での対象になっているのは,「安全保障の法的基盤再構築に関する懇談会」と,13年秋の報告書をベースに議論している。そこで,

「どんな集団的自衛権を行使できるようにしたいのか」

として上げているケースが,

①自衛隊の知覚にいる米艦船が攻撃された場合,
②米本土に向かうミサイルが発射された場合,
③PKOで仲間の他国兵士が攻撃を受ける場合や任務遂行に必要な場合,
④PKO等で武力行使と一体化した後方支援が必要な場合,

である。しかし,国会審議中もそうであったが,敢えて,個別的自衛権と集団的自衛権をあいまい化したり,ぼかす意図か,必ず関係ないケースを挙げる。ここでも,敢えて混同している。

「後者のふたつは,国連平和維持活動(PKO)の問題であって,集団的自衛権とは直接関係がない。…集団的自衛権自衛権とは,国連として何らかの軍事的措置をとるという合意ができるまでの間,各々の国家が国連とは無縁に独自の軍事的措置を行使する権利のことである。国連軍や国連PKOに参加した際の自衛隊による武器使用は,武器の行使という範疇に入る問題ではあるが,国連の合意にもとづく活動であって,個別国家による集団的自衛権とはまったく異なる概念である。したがって『報告書』が,そういう国連の活動を日米同盟にかかわる問題と同列に論じているのは,集団的自衛権がPKOと同様,国際社会によってオーソライズされているかのように描きだそうとするものであってここにも虚構がみられる。」

と本書の指摘する通りである。

集団的自衛権の根拠になっている国連憲章51条には,

第51条〔自衛権〕
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国が措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。

とある。ただし,2条4項に,

「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。」

とあり,「武力行使」は,「いかなる」ものも禁止されている。それを破って武力行使された場合,

「国連憲章は,ふたつの例外をもうけた。ひとつは,侵略に対して国連が制裁をくわえる場合である。もうひとつは,そうやって国連がのりだしてくるまでの間,各国が独自に自衛権を発動する場合である。このうち後者を規定したのが,憲章第五一条だということになる。」

本書の特徴は,国会審議でほぼスルーされた,集団的自衛権がどのように行使過去の例をつぶさに検討しているところだろう。

1956年ソ連のハンガリー介入,
1958年米英のレバノン・ヨルダン介入,
1964年イギリスのイエメン介入,
1966年アメリカのベトナム介入,
1968年ソ連のチェコスロバキア介入,
1980年ソ連のアフガニスタン介入,
1983年アメリカのグレナダ介入,
1984年アメリカのニカラグア介入,
1986年フランスのチャド介入,

集団的自衛権を行使したのは,四か国の大国だが,これが,

「この権利は世界のどの国もが保有しているものであって,それを行使する国こそが普通の国」

だと主張した根拠である。しかも,

「どの国も『武力攻撃』をうけたわけでもないのに」

集団的自衛権を名目に,軍事的介入をしているという,「現実と建前の乖離」である。要するに,

「集団的自衛権というものの実態は,『自衛』とは何の関係もないのはもちろん,二重にも三重にも違法な武力行使だったということである。国際法に対する重大な違反だったのだ。」

にもかかわらず集団的自衛権をもとめる「本音」は,第一に,

自衛隊の軍事能力である,

と著者は見る。

「集団的自衛権というのは,海外にまで出向いていって武力を使うということだから,並大抵の軍事能力では行使することができない。普通の国は,集団的自衛権を行使したくても,その能力をもたないのだ。だからこれまで軍事大国しか集団的自衛権を行使してこなかった。
実際,ミサイル防衛システムにしても,昔だったらアメリカだけでシステムを構築しただろう。ところが,海上自衛隊の能力が飛躍的に向上し,アメリカを防衛する能力を獲得したからこそ,ミサイル防衛システムの一部を日本が分担することになったのである。また,海上自衛隊の護衛艦は,性能の向上と長年の訓練の積み重ねによって,アメリカの艦船を守るために不可欠の能力を身につけることとなった。集団的自衛権の行使を求めるのは,世界の環境が変わったからではなく,日本の軍事能力がかわったからなのだ。」

第二は,

「明示はされていないが,想定する『敵』との軍事能力の違いである。さらには,それと対抗する日米共同の軍事作戦の違いといってもよい。
 冷戦期は,世界のどこかでアメリカとソ連が戦端を開くようなことがあったら,米ソは世界規模で戦争する態勢がつくられていたので,ソ連はただちに在日米軍基地に対して空と海から攻撃をしかけてくること,さらには北海道を皮切りに大規模な陸軍も上陸させてくることが想定されていた。つまり,米ソの戦争のなかでは,日本もまたソ連の武力攻撃を受けるのであって,…集団的自衛権の発動などしなくても,個別的自衛権で十分説明できるものだったのである。」

それと比較して,

「アメリカと日本の軍事能力が『敵』より優位にあるということが前提にされている。」

だから,集団的自衛権というわけである。

第三は,

「集団的自衛権の具体的な必要性というよりも,日米同盟絶対化の思想とでもいうべきものだ。
 集団的自衛権を行使する国になるということは,きわめて重い決断である。なぜなら,アメリカの艦船が攻撃されたら日本も一緒に反撃するとか,アメリカに向かうミサイルを日米が協力して撃ち落とすなどというが,その時点において,アメリカの相手国は日本を攻撃対象にしていないのである。…ところが,日本が集団的自衛権を行使し,その国の艦船を攻撃したり,ミサイルを破壊したりしたとたん,日本もまた相手国の敵になる。その国のミサイルは,今度は日本に向かってくることになる。(中略)安倍首相は,集団的自衛権が日本を守ることにつながると勇ましく発言するが,実際は日本人の命を軽んじているから,そういう発想が生まれるのである。」

なのにである,この報告書には,

「どんな戦争がこの地域で起きるのか,起きるにしても,日本の集団的自衛権の行使が正しい選択肢なのか…,それがはたして,日本と地域の平和にとって大事なのか…。」

を検討していないのである。つまり,はじめに結論ありき,なのである。こうした検討抜きの法制化は,既に現実である。この付けは,安倍首相やその取り巻きではなく,国民が払わされることだけは間違いない。

参考文献;
松竹伸幸『集団的自衛権の深層』(平凡社新書)
松竹伸幸『憲法九条の軍事戦略』(平凡社新書)
http://www.huffingtonpost.jp/2015/07/15/security-law-wakariyasuku_n_7806570.html


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posted by Toshi at 05:13| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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