つれ


「つれ」は,

連れ,

と当てる。

道連れ,
とか
仲間,伴侶,

という意味になるが,そのほかに,

(ツレと書いて)能における助演的な役と独立の役とあるが,いずれもシテ方に属するものをシテヅレ(略してツレ),ワキ方に属するものをワキヅレと称する,

という意味になる(『広辞苑』)。これだと意味が分かりにくいが,

「能,狂言などに,舞曲の中の主となる技を行ふ役(シテ)…に伴ふものを,連(ツレ)と云ひ,(シテの)相手となるものを脇(ワキ)と云ふ」

で(『大言海』)三者関係が見える。このほか,接頭語として,

連れ三味線,

というように,一緒に物事をする意を表す意味もある(『デジタル大辞泉』)。『古語辞典』には,

「ツラ(列)・ツリ(釣)・ツル(蔓・弦)と同根。縦に一線につづく意。類義語タグヒは,同質のものが一緒にいる意。トモナヒは,主になるものと従になるものととが一緒にある意。ナミ(並)は,横に一列に並ぶ意。」

とある。この「つれ」を濁らせて,

づれ(連れ),

とすると,意味が少し変わる。多くは体言について,

二人連れ,

というように,同伴者の意味,

道連れ,

というように,

そこをいっしょに行くこと,またその人,

を表す他に,

卑しめる意を表す,~のようにつまらないもの,~風情,~ども,

等々という意味になる。

役人風情,
とか
町人風情,

といった上から目線での,蔑みの意に替わる。これは,「つれ」の意味の中に,多く「その」「あの」「この」などの下に付いて,

その連れな,

というように,

種類,程度,たぐい,

の意味で使っている例があり,そのある意味では,ニュートラルに近い状態表現が,

蔑む,

価値表現にシフトした,というように見える。『古語辞典』には,「つれ」の意の,

種類,程度,たぐい,

が転じて,

「軽侮の気持ちを表す」

と記す。「つれない」となると,

連れ無し,

で,『古語辞典』は,

ふたつの物事の間に何のつながりもないさま,

とし,

(働きかけに対して)何の反応もない,無情である,
(事態に対して)無表情である,さりげない,
(期待や予想にかかわらず)事態に何の変化もない,
(うけた誠意や恩義に対して)何も感じない,情け知らずである,

と,人や事の因果に何の応ずるところがないことに対する心情へと変っていく。この場合は,「連れ」は,外にあるつながりではない。何かの働きかけに対する無反応に対する心情との「連れ」の無さを示す。だから,

つれなし顔,
つれなしづくり,
つれなしぶり,

という用例になる。「つれもなし」も,

連れも無し,

で,「連れ縁(よ)るべきなきなき意」(『大言海』)で,

何の関係もない,由縁も無い,
何の関心も持たない,
(人の切なる気持に対して)なんら応えるところがない,
(外部の出来事に)なんら動揺することがない,
ありふれたさま,

という(状態表現の)意味から,心情に転じて,

思いがけない,
情けない,
すげない,
薄情,

というこちらの受けとめの価値表現に替わっていく。『語源辞典』は,

説1は,「ツレ(関係・連れ)+ナシ」で,無関心,
説2は,「ツレ(中間・友)+ナシ」で,薄情,

と説を二つ挙げるが,状態表現から価値表現に転じたとすれば,この解釈は意味がない。さらに,『日本語の語源』は,

「(ツレナシの)レナ(r[en]a)が縮約されて,ツレナシはツラシ(辛し)になった。」

と続ける。ついには内面の感情表現にまで転じる。この「つれ」を連ねると,

づれづれ,

になる。多く,

徒然,

と当てるが,当て字に過ぎない。

連れ連れ,

の意である。『語源辞典』は,

「連れ連れ(次々と思い続ける)」

とする。『大言海』は,

「連れ連れの義にて,思い続くる意か,或はつらつら(熟)と同意か」

としている。これも,

ひとり物思い続け,眺めてあること,

という状態表現が,

ひとりことなくして,淋しきこと,

と価値表現に転じ,

がらんとしていること,
ひっそり閑散としていること,
心に満たされることがなくそのまま続くさま,

といった意味を含むようになった。

徒然,

つまり,

徒(ただ)然(しかあり),

と当てたのは,初めは,状態表現であったのではあるまいか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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