2016年12月26日
ひねもす
「ひねもす」は,
終日,
と当て,
朝から晩まで,
一日中,
という意味で,
ひもすがら,
とも言う。『語源辞典』には,
「日+接尾語ネ+助詞モ+ス(接尾語スガラの下略)」
とある。『大言海』は,
「晝(ヒ)の經亦盡(ヘモスガラ)にの約略と云ふ。ヒメモストモ云ふ。夜もすがらに対す。」
とある。万葉集では,
比禰毛須,
と当てている。『日本語の語源』では,
「ヨモスガラ(夜も過がら。終夜)に対してヒルモスガラ(昼も過がら。終日)といった。その省略形のヒルモス(昼も過)は,『ル』が子音交替(rn)をとげてヒヌモスになり,さらに母音交替(ue)をとげてヒネモス(終日)になった。〈ヒネモスに見ともあくべき浦にあらなくに(見あきるような海ではない)〉(万葉)。
ヒネモスはさらに『ネ』が子音交替(um)をとげてヒメモス(終日)になった。〈中門のわきに,ヒメモスにかがみゐたりつる〉(宇治拾遺)。」
としている。「ひもすがら」「よもすがら」の「すがら」については,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/420311540.html
で触れたように,
途切れることなくずっと,
という時間経過を示していて,
名月や池をめぐりと夜もすがら,
で,それが空間的に転用されと,
道すがら,
になったと,考えられる。副詞と接尾語の二用があり,『古語辞典』には,副詞については,
「スギ(過)と同根」
として,
途切れることなくずっと,
という意味とし,接尾語としては,
「時間的連続が空間的にも使われるようになったもの」
として,
…の間中ずっと,
…の途中で,
という意味とする。しかし『大言海』は,「すがら」を,語源を異にする二項を,別々に立て,いずれも接尾語として,ひとつは,
「スガは,盡(すぐ)るより転ず」
とし,意味は,
盡(すぎ)るるまで,通して,
とする。いまひとつは,
「直従(すぐから)の約か」
として,
ながら,ついでに,そのままに,
の意味とする。これだと,「道すがら」は,
道の途中,
ではなく,
道筋のついでに,
の意味になる。ただ,『デジタル大辞泉』には,
[名](多く「に」を伴って副詞的に用いる)始めから終わりまでとぎれることがないこと。
「ぬばたまの夜はスガラにこの床のひしと鳴るまで嘆きつるかも」〈万・三二七〇〉
[接尾]名詞などに付く。
1 始めから終わりまで、…の間ずっと、などの意を表す。「夜もすがら」
2 何かをするその途中で、…のついでに、などの意を表す。「道すがら」
3 そのものだけで、ほかに付属しているものがないという意を表す。…のまま。「身すがら」
とあり,これは『広辞苑』と同じ解釈になる。『広辞苑』は,
「一説に,スガは『過ぐ』と同源,ラは状態を表す接尾語という」
と注記して,名詞として,
(多く『に』をともなって,副詞的に用いる)始めから終わりまで,途切れることなく通すこと,
接尾語として,
(名詞につく)始めから終わりまでの意を表す(「夜すがら虫の音をのみぞ鳴く」),
ついでにの意を表す(「みちすがら遊びものども参る」),
そのままの意を表す(「親もなし叔父持たず,身すがらの太兵衛と名をとった男」),
と挙げる。どうやら,「過ぎ」が原意とすると,時間経過の,
通して,
の意味と同時に,動作の並行の意味を含み,
…しながら,
という意味があり,それは,
ついでに,
の意味にずれやすい。しかし,
身すがら,
は,『大言海』の言うように,「過ぎ」ではなく,由来の違う,
直従(すぐから)の約,
なのではないか。その意味は,だから,『大言海』が,両方載せるように,
ながら,
の意味と,
ついでに,
の意味と,
そのままに,
の意味が重なり,ダブってしまった。本来,
道すがら,
の「すがら」は,空間的なそれではなく,あくまで,
時間的な,
すぐから,
ついでに,
だったのではあるまいか。それを空間的に広げて,
そのままに,
となったのではあるまいか。あるいは,元々その区別がなかったのに,漢字「過」を当てたことで,区別を意識するようになった,ということかもしれない。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm
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