2016年12月28日
うっかり
ある広告で,「うっかり」と「ちゃっかり」を対比させていた。あるいは,遠い昔,ラジオドラマや映画になった,『チャッカリ夫人とウッカリ夫人』の影響かもしれない。しかし,
うっかり,
と対比させるなら,
しっかり,
ではないだろうか。「うっかり」は,
「ウカリの促音化」
として,
気抜けした,ぼんやりしたさま,不注意であるさま,
とある(『広辞苑』)。室町末期の『日葡辞典』にも,
ウッカリトシタモノ,
と載っているらしい。「ウカリ」とは,
浮かり,
と当て,
心づかずぼんやりしているさま,
と載る(『広辞苑』)。『江戸語大辞典』にも,
「うかりの促呼。多く助詞『と』を伴う」
と載る。『古語辞典』も,同様である。しかし『大言海』は,
「ウカの音便。ひた,ひったり」
と載る。『古語辞典』に,「うかり」は載らないが,
うかと,
は,
ぼんやりと,ぼうっと,
の意味が載る。『語源辞典』は,
「擬態語,ウカ(浮くの未然形ウカの促音化)+り」
とする。なお,助動詞「り」は,
「完了の助動詞と一般に名づけられている。しかし,本来は,動詞の動作・作用・状態の進行・持続を明確に示すのが役目」
とされる。『由来・語源辞典』
http://yain.jp/i/%E3%81%86%E3%81%A3%E3%81%8B%E3%82%8A
は,
「動詞『うく(浮く)』と同源の『うか』を基にした副詞で、心が重心を失ってぼうっとしている状態をいうのが原義。
そのため古くは、心に衝撃を受けて呆然としているさまや、美しいものに心をひかれてうっとりしているさまも表した。」
『日本語・語源辞典』
http://www.nihonjiten.com/data/253878.html
は,
「ぼんやりして注意が行き届かないさまをいう。擬態語『うかり』の促音化とする説、『ウカリ(浮)』の義とする説などがある。」
とする。どの説も,的の周りをうろうろしている感がある。では,擬態語としてどう見ているのか。
『擬音語・擬態語辞典』には,
「その事が心から離れている様子。本来すべき注意を怠って,しなければならないことを忘れたり,好ましくないことをしたりする時に用いる。(中略)『うっかり』は室町時代頃から見える語で,本来は悲しみなどで,正常な意識が働かない放心状態を表した。『妻子にも離別する思に堪えかねて,うっかりとしたる也』(『三体絶句抄』)。
江戸時代初期になると,対象に限定されることなく,広く何かに心を奪われて呆然としている様子を,さらに,単に気が抜けている状態をも表し,現代の用法に近づいた。
江戸時代,単に気が抜けている状態を表す『うっかり』は,一八世紀以降かなり流行したようで,『うっかりぽん』『うっかりひょん』(=共に注意が行き届かない様子)などという語も登場した。一方で,本来の意も生き続け,美しいものや快いものに心を奪われ呆然とする様子にも言った。「伴左衛門殿の内より葛城をみてうっかりとなる」(歌舞伎『参会名護屋』)。すなわち,『うっかり』は,江戸時代には『うっとり』とほぼ同義でも用いられたのであるが,明治以降はその語根『うか』『うかと』の違いを受けて完全に意味がわかれた。」
とある。似た言い回しに。,
うかうか,
があるが,「うかり」との違いを,『擬音語・擬態語辞典』は,
「『うっかり』は完全に心が離れてしまっている状態をさすが,『うかうか』は呆然としている状態でも,完全に心が離れていない状態をさす。」
と指摘している。「うか」は,たとえば,『大言海』は,
うかうか,
に,
浮浮,
とあてて,
うかれうかれての意か,
とある。また,
うかうかし,
にも,
浮浮し,
と当てる(『古語辞典』はどちらにも「浮」を当てていない)。その意味で,『大言海』が,
浮かれ,
とつなげたのは意味があるのかもしれない。「うかれ」について,『古語辞典』は,
「定まった居所から浮いて,流浪するのが原義」
とあり,その状態表現から,メタファとして,
心が落ち着かない,
心がうきうきする,
という意味を持つ。「うか」の転化とするなら,ここが原点なのかもしれない。だとするなら,擬態語というのは,それが起こりというよりは,結果ではあるまいか。
「ちゃっかり」「しっかり」は,次回に譲る。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm
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