2017年01月07日
揣摩臆測
「揣摩臆測」は,辞書を引くと,
自分だけの判断で物事の状態や他人の心中などを推量すること,当て推量,
という意味になっている。たとえば,
http://kotowaza.avaloky.com/pv_yoj241.html
によれは,
「揣摩」は,
あることや人の心の中などをいろいろと推し測ること,
「臆測」は,
物事の進みぐあいや人の気持ちなどをいい加減に推し測ること,
となる。他の辞書も大同小異。で,
揣=はかる。かんがえる。さぐる,
摩=する。こする。みがく。繰り返しする,
臆=おしはかる。気おくれする,
測=はかる。推量する,
の組み合わせで,自分のよいように決めつけて何かをすること,という意味とされる。しかし,出典とされる『戦国策』には,たとえば,
http://www.y-history.net/appendix/wh0203-066_1.html
で,
「蘇秦は、秦王に説き、十回も意見書を提出したが用いられなかった。滞在費もなくなったのでやむなく故郷に帰った蘇秦は、やつれ果てて顔もどす黒く、いかにも零落していた。それを見た妻は機織りの手を休めようともせず、兄嫁は飯を炊いてくれず、父母は口をきこうともしない。蘇秦は『妻は私を夫とも思わず、兄嫁は私を義弟とも思わず、父母は私を息子とも思わない。こうなったのも、すべては私の至らぬせいだ。』と嘆息した。
発憤した蘇秦は、猛勉強を開始。夜中に太公望の兵法書を読みふけって、君主の心を読んで受け入れられる術(揣摩の術)を身につけようと没頭した。書物を読んで眠くなると、錐(キリ)で自分の太ももを突き刺し、その血はかかとまで流れた。一年たって揣摩の術を会得した自信を得、趙王のもとに赴き、手のひらを打ちながら熱心に説得した。趙王はよろこび、蘇秦を宰相に取り立てて、その合従策を採用した。そのためしばらくは秦も函谷関から出られず動きを封じられた。」
と。つまり,揣摩は,単に,
自分勝手に相手の心中を当て推量すること,
ではない。『戦国策』については,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/445615729.html?1483647379
で触れたが,そこに,
「相手の言葉からその心中を推し測かる術」
と載る。つまり戦国時代,各国を舌先三寸で渡り歩いた(「遊(游)説」という),
縦横家(または遊説家),
にとっての,プロフェッショナルなテクニックであった。『史記列伝』の注には,「揣摩の術」について,
「原文『以出揣摩』。揣摩とは,君主の心を見ぬき,それを抑えたり,もちあげたりして,思いのままに操る法(『集解』に引く江邃(こうすい)の説および中井積徳の説)。」
と,もう少し突っ込んだ説が載る。だから,
「簡錬して以て揣摩を為す」
とか
「朞(き)年にして揣摩成る」
といった使い方をするらしい。前者は,例えば,『戦国策』(秦)に,
「蘇秦乃夜發書,陳篋數十,得太公陰符之策,伏而誦之,簡錬以為揣摩」
とある。「揣」の字は,
そろえる,
という意で,さらに,
はかる,
意だが,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/444151160.html
で触れたように,「はかる」には様々な区別をつけており,「揣」は,
量也,
とあり,
度高曰揣,
という注があり,
叉,手にてさぐりはかる義あり,これ程であかんかと,頭を傾けて思案する意,
とある。「揣」の字の由来は,
「右側の字『耑』(音 タク・スイ)は,上と下とにきちんと縁飾りの垂れたさまを描いた象形文字。揣はそれを音符とし,手を添えた字で,両端をきちんとそろえること。」
「摩」の字は,
する,なでる,
という意味で,
「麻(マ)は,すりもんで線維をとる麻。摩は,『手+音符麻』で,手ですりこむこと」
こう見ると,「揣摩」には,臆測とつながる意味はない。時代を経る中で,遊説が口先三途の意味に変ったように,単なる臆測と変じたのであろうか。どこか,錬金術の意味の変化を思わせる。
参考文献;
近藤光男編『戦国策』 (講談社学術文庫)
小川環樹・今鷹真・福島吉彦訳『史記列伝』(岩波文庫)
田部井文雄編『四字熟語辞典』(大修館書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;
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今日のアイデア;
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