2017年01月08日

さかしら


「さかしら」は,

賢しら,

と当て,

かしこそうにふるまう,
自分から進んで行動するさま,
差し出たふるまい,
お節介,

といった意味が載る(『広辞苑』)。

差し出たふるまい,

に,

差し出口,
讒言,

という意味も加えるものもある(『デジタル大辞泉』『大辞林』)。語源は,

「サカシ(賢し)+ラ(接尾語)」

で,

利口そうに振舞う,

意で,転じて,

でしゃばる,口出しする,

等の意となる,とある(『語源辞典』)。しかし,

賢し(い),

は,

かしこく,優れている
しっかりとゆるぎなく,よくととのっている,
心がしっかりしている,自分を失わない判断力がある,
気が利いている,才覚がある,

という意味がある(『広辞苑』)が,最後に,

なまいきだ,
さしでがましい,
こざかしい,

の意味が付け加えられている。『古語辞典』には,「さかしい」について,

「丈夫で,物に動じることなく,しっかりと自分を失わない判断力をもっている意。サカシラとなると,明らかにその度合いが過ぎて,差し出た判断を下し,お節介をする意。」

とあり,少なくとも,上記『広辞苑』の,なまいき,さしでがましい等々の意はない。でなければ,

賢し人,

で,

賢く優れた人,聖人に次ぐ人,

という意では使われまい(『古語辞典』)。そこで,接尾語「ら」を調べると,いわゆる,

複数を示す「等」の意味,
人を表す名刺や代名詞について,親愛・謙譲・蔑視の気持ちを表す,
おおよその状態を示す,
方向・場所を示す,

という機能の他に,

形容詞の語幹に付いて状態を示す名刺を作る,

として,その例に,

あなみにく賢しらをすと酒飲まぬ人を良く見れば,

と「賢しら」を,その例とする(『広辞苑』)。『古語辞典』も,

「擬態語・形容詞語幹などを承けて,その状態表現を表す」

として,「やはり」「賢しら」を例示する。しかし,そう考えると,

賢し+ら,

なら,賢い状態を示しているのであって,

賢そうに振舞う,

という貶める表現にはならないはずである。しかし,『大言海』は,

「賢(さか)しとのみ云ひて,さかしらなり(賢しの條を見よ)。サカシガルをサカシラガルとも云ふ。ラは,意味なく添えたるごなり。」

とあり,「賢(さか)し」の項には,

「割(さ)くを形容詞にしたる語なるか,理解する意(なげく,なげかし。いつく,いつかし。なつく,なつかし)」

とあり,そもそも,「賢し」に,

賢そうに振舞う,

意があり,

賢そうに振舞う+ら,

で,その状態を示している,ということになる。この場合も,なぜ「ら」を付けた時,他の意味,つまり,本来の賢しの意味ではなく,「賢そうにふるまう」意のみを取り出したのかの説明がつかない。で,思いつくのは,

小賢しい,

という言葉である。まさに,

利口ぶっている,

という意であるが,この場合,接頭語「小」は,

(形・数量が)小さい,(程度が)少ない,ちょっと,若い,

という状態表現が転じて,「こせがれ」などのように,

侮る,

意の,価値表現へと転じている。どうも,この,

小賢しい,

の含意が,

賢しい,

という言葉に強くまといつき,

賢しら,

に陰翳を付けた,というように感じられてならない。今日,

賢しい,

には,

賢い,

という意味よりは,

小生意気,
差し出がましい,

の意味の方が強くある。それが『大言海』に,

「賢しとのみ云ひて,さかしらなり」

と言わしめたのではあるまいか。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;
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