きたない
「きたない」は,
汚い,
穢い,
と当てる。文語的に言えば,「きたなし」である。この対義は,
きれい,
と言いたいところだが,
清い(清し),
である。これについては,項を改める。「きれい」は,
綺麗,
奇麗,
で,中国由来である。『語源辞典』には,
奇麗は,「奇(すぐれる)+麗(美しい)」で,抜き出て美しい(漢書『郊祀歌「衆嘑竝綽奇麗」』),
綺麗は,「綺(あや)+麗(美しい)」で,綾があってうつくしい,見苦しくない(續齊諧記『衣服綺麗,容貌殊絶』),
と両者には微妙な差があるが,日本語では,『大言海』に,
綺羅を装ひて,麗しきこと,
転じて,すべて美しきこと,
とあるが,『広辞苑』は,元の「綺麗」と「奇麗」の差を反映して,二つの意味が一緒になっている。で,
①綾のように麗しいこと,
服装が派手で美しいこと,
(はなやかに)美しいこと,
②濁り・汚れをとどめないさま,
澄んできよらかなさま,
いさぎよいさま,
さっぱりしているさま,
後に余計なものを残さないさま,すっきり,
整っているさま,
と,「清い」のところまで意味が拡大している。これでは,「きたない」の対義と,勘違いするのもやむを得ないかもしれない。
て,「きたない」は,
触れるのもいやなほど,汚れている,
乱雑である,乱れている,
よこしまである,
卑怯である,恥を知らない,
野卑である,下品である,
けちである,
と,ただ対象の状態表現でしかなかったものが,善し悪し,美醜,好悪,正否といった価値表現に転じている。よくあることだが,きたないことが,下品であるわけではない。『江戸語大辞典』になると,「きたない」は,
金ばなれが悪い,けちである,しみったれである,
いさぎよくない,
と完全に価値表現へと転じている。
「きたない」の語源は,『古語辞典』は,
「キタはキタシ(堅塩)・キタ(北)と同根。ナシは甚だしいの意」
とし,『大言海』は,
「カタナシ(穢陋)と通ず。その條をみよ。倭名抄五『山城國,相樂(さがらく)郡佐加良加』は,懸木(さがりき)の轉なり,堅鹽(かたしお),きたし。時間(ときのま),つかのま」
として,第一義に,
かたなし,みにくし,けがらわし,潔(きよ)からず,
をもってきて,
腹ぎたなし,うしろぐらし,
いやし,見苦し,
と載せる。「かたなし」については,
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で触たれたが,『大言海』は,
穢し,
陋し,
醜し,
と当て,
「法(かた)無しの義か,きたなしと通ず。」
とある。「法(かた)無し」の項はないが,「形(かた)無し」の項に,
銭の文字の潰れて見えずなりたるもの,
跡形のなくなること,
の意味が載る。これでは,音韻変化による,としか見えない。しかし,『語源辞典』には,
「キタ(キダ・分・段階・キザ・刻み)+なし(無)」
で,「物の区別や弁別ができない」意とするので,
形無し,
を語源とするという説につながる。ただ,「きたない」の語源説は,たくさんあって,
「かたなし(陋・穢)と同源(『大言海』),
形無しの音便(『日本古語大辞典』),
キタはキザと同じ,キザは極まりを付ける意で,キタナイは,もとだらしがない意(柳田國男),
キダナシ(段無)の義(『日本釈名』『名言通』『和訓栞』),
キタは,キタシ(堅鹽)・キタ(北)と同根,ナシは甚だしい(『岩波古語辞典』),北方は暗いイメージであるところから,黒色と結びつけた。ナシはカタジケナシのナシで,無の意味ではない(『志不可起』),キタナリ(北)の略に助字を付けた語(『本朝字原』),
カツナシ(香無)の義か(『国語溯原』),
キタナシ(『佳麗无』),
清キタシナミ無しの義(『和句解』),
等々,どうやら迷路に入る。いくら音韻変化といっても程度がある。しかし,元々は,「きたなし」が「清し」の対だとすれば,「清し」の意味,
汚れ・くもりがなく,余計なものがなにもない,
という状態表現を考えると,
堅鹽,
が,
焼鹽の古言,黒鹽(キタシ),
の意味(『大言海』)なら,これが「きよい」の状態表現として適切なのではないか。「きよ(清)」は,
生好(きじ),
の義もある(『大言海』)のだから。「清し」については,別途書く。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
簡野道明『字源』(角川書店)
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