2017年02月01日

志異


蒲松齢 『聊斎志異』を読む。

聊斎志異.jpg


本書は,怪異文学の最高峰と言われる『聊齋志異』の,490余篇に及ぶと言われる作品の中の,21作のみの,いわば,『聊斎志異』の触りにすぎない。ほとんどが,田中貢太郎訳であるが,最後の一作,『石清虚(せきせいきょ)』のみが,国木田独歩の訳である。

作者は蒲松齢,聊齋は作者の号および書斎の名であり,書名の,『聊齋志異』とは,

「聊齋が怪異を記す」

の意味である。

志怪

http://ppnetwork.seesaa.net/article/434978812.html

で触れたように,これも,

志怪小説,

に入る。「志怪」とは,

「怪を志(しる)す」

という意味であり,「志」という字は,

「士印は,進み行く足のかたちが変形したもので,之(いく)と同じ。士女の士(おとこ)ではない。志は『心+音符之』で,心が目標を目指して進み行くこと」

とある。意味には,「しるす」「書き留めた記録」という意味もある。「怪」の字は,

「圣は,『又(て)+土』からなり,手でまるめた土のかたまりのこと。塊と同じ。怪は,それを音符とし,心を添えた字で,丸い頭をして突出したいような感じを与える物のこと」

とある。で,「あやしい」「見馴れない姿をしている」「不思議である」という意味になる。ついでに,

「志異」

の,「異」の字は,

「『大きなざる,または頭+両手を出したからだ』で,一本の手のほか,もう一本別の手をそえて物を持つさま,同一ではなく,別にもう一つとの意。」

とある。だから,「異類」「異端」「異様」等々,

普通とは違った奇妙な事がら,

といった意味になる。「怪異」ともいうので,

志怪,
と,
志異,

との差はないようだが,敢えて差異を言えば,

怪しい,
より,
異なる,

と言うところなのではないか。「志異」と敢えて,言ったのには,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/444432230.html

で触れた「怪奇」とは異なる,という意味が含まれているのか,と想像する。

ここで言う,「小説」は,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/432692200.html

で触れたように,

「市中の出来事や話題を記録したもの。稗史(はいし)」

であり,

「志怪小説、志人小説は、面白い話ではあるが作者の主張は含まれないことが多い。」

とされる。しかし,本書の巻末には,

「鄒濤の『三借廬筆談』によると彼は茶とパイプを傍ら置いて大通りに座し、道を通った者をひき止めては語らって奇異な事柄を収集し、気に入るものがあればそれを粉飾して文にしたという(ただし魯迅はこの話を疑っている)。こうして40歳の時には12巻・490余篇に及ぶ志怪小説『聊斎志異』が完成された。聊斎志異の完成後も蒲松齢は同郷 の王士禎の協力を得て文章の改易を続け、死の直前まで行っていた。 聊斎志異は蒲松齡の死後刊行された。」

とある。「小説」の,

「市中の出来事や話題を記録したもの。稗史(はいし)」

でいう,稗史とは,

「昔、中国で稗官(はいかん)が民間から集めて記録した小説風の歴史書。また、正史に対して、民間の歴史書。転じて、作り物語。転じて,広く,小説。」

であり,それが転じて、作り物語。転じて,広く,今日言う,虚構としての小説になっていくが,ここに登場するものは,

「面白い話ではあるが作者の主張は含まれないことが多い。」

という結構を保ち,

「内容は神仙、幽霊、妖狐等にまつわる怪異譚で、当時世間に口伝されていたものを収集して小説の形にまとめたものである。」

さて,だから,本書の第一話,

考城隍(こうじょうこう),

は,

「予(聊斎志異の著者、蒲松齢)の姉の夫の祖父に宋公、諱を燾といった者があった。」

と始る。聞き書きのスタイルを取る。「小説」の結構とは,このことである。

おもしろいのは,第十五話,

促織(そくしょく),

である。「促織」とは,

こおろぎ,

とルビがふられている。

「明の宣 宗の宣徳年間には、宮中で促織あわせの遊戯を盛んにやった」

ので,民間から献上させた。貧しい主人公は,ある知らせで知った場所で,促織を捕まえる。

「それは大きな尾の長い、項(うなじ)の青い、金色の翅をした虫であった。」

しかし,それを息子が誤って殺してしまう。叱られた子供は井戸に落ちるが,意識がもうろうとしている。そんな時,小さな虫を捕まえる。

「それを見ると 促織の上等のものとせられている土狗(どこう)か梅花翅(ばいかし)のようであった。それは首の角ばった長い脛をした 虫」

であったが,小ささいわりに強く、

「宮中に入ると、西方から献上した蝴蝶、蟷螂、油利撻、青糸額などいう有名な促織とそれぞれ闘わしたが、その右に出る者がなかった。そして琴の音色を聞くたびにその調子に従って舞い踊ったので、ますます不思議な虫とせられた。天子は大いに悦ばれて、詔をくだ」

され,献上した撫軍(ぶぐん),邑宰(むらやくにん)を介して,主人公にも巡り巡って恩賞があり,

「数年にならないうちに田が百頃、御殿のような第宅、牛馬羊の家畜も千疋位ずつできた。で、他出する際には衣服や乗物 が旧家の人のよう」

になった。 意識朦朧とした息子は,

「後一年あまりして成の子供の精神が旧のようになったが、自分で、
『私は促織になってすばしこく闘って、捷(か)って今やっと生きかえった。』」

不思議ではあるが,志怪と志異の差は,こんなところにあるのかもしれない。

参考文献;
蒲松齢 『聊斎志異』(Kindle版)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm
posted by Toshi at 05:16| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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