2017年02月04日

中島敦


中島敦『中島敦全集』を読む。

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久しぶりに,「李陵」「山月記」を読み直して,改めて,その硬質な文章に感嘆した。若いころ読んだのとは別の感慨もある。本書の中では,『古譚』の,「狐憑」「木乃伊」「山月記」「文字鍋」がいいが,やはり,

「山月記」

が群を抜く。「山月記」の,李徴の語り,

「何故こんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えように依れば、思い当ることが全然ないでもない。人間であった時、己は努めて人との交を避けた。人々は己を倨傲だ、尊大だといった。実は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。勿論、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。 共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを惧れるが故に敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心 が猛獣だった。虎だったのだ。」

これを何のメタファと見てもよい。いずれ,この固執は,歳を経て顕在化する。虎になるとは限らない。ある意味で,年を経て図に浮かび上がる部分が違うことに気づく。

「山月記」の

「隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山、虢略に帰臥し、人と交を絶って、ひたすら詩作に耽った。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、 詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。」

あるいは,

「李陵」の,

「漢の武帝の天漢二年秋九月、騎都尉・李陵は歩卒五千を率い、辺塞遮虜鄣を発して北へ向かった。 阿爾泰山脈の東 南端が戈壁沙漠に没せんとする辺の磽确たる丘陵地帯を縫って北行すること三十日。 朔風は戎衣を吹いて寒く、いかにも万里孤軍来たるの感が深い。漠北・浚稽山の麓に至って軍はようやく止営した。すでに敵匈奴の勢力圏に深く進み入っているのである。」

と,中島に漢文の素養があるせいもあり,その文体の作り出す凛とした雰囲気が,中国に題材を取ったものに合っている。『古俗』の,

「盈虚」の,

「衛の霊公の三十九年と云う年の秋に、太子蒯聵が父の命を受けて斉に使したことがある。途に宋の国を過ぎた時、畑に耕す農夫共が妙な唄を歌うのを聞いた。
既定爾婁豬
盍帰吾艾豭
牝豚はたしかに遣った故
早く牡 豚を返すべし
衛の太子は之を聞くと顔色を変えた。思い当ることがあったのである。」

「牛人」の,

「魯の叔孫豹がまだ若かった頃、乱を避けて一時斉に奔ったことがある。途に魯の北境庚宗の地で一美婦を見た。俄かに懇ろとなり、一夜を共に共に過して、さて翌朝別れて斉に入った。斉に落着き大夫国氏の娘を娶って二児を挙げるに及んで、かつての路傍一夜の契などはすっかり忘れ果ててしまった。」

さらに,「名人伝」。子路を主人公にした,

「弟子」の,

「魯の卞の游侠の徒、仲由、字は子路という者が、近頃賢者の噂も高い学匠・陬人孔丘を辱しめてくれようものと思い立った。似而非賢者何程のことやあらんと、蓬頭突鬢・垂冠・短後の衣という服装で、左手に雄雞、右手に牡豚を引提げ、勢猛に、孔丘が家を指して出掛ける。雞を揺り豚を奮い、嗷しい脣吻の音をもって、儒家の絃歌講誦の声を擾そうというのである。」

もいい。しかし,意外に『南島譚』の「幸福」「夫婦」の,のびやかな作品も,作家の気質に合っているような気がする。『南島』の「幸福」の,

「昔、此の島に一人の極めて哀れな男がいた。年齢を数えるという不自然な習慣が此の辺には無いので、幾歳ということはハッキリ言えないが、余り若くないことだけは確かであった。髪の毛が余り縮れてもおらず、鼻の頭がすっかり潰れてもおらぬので、此の男の醜貌は衆人の顰笑の的となっていた。おまけに脣が薄く、顔色にも見事な黒檀の様な艶が無いことは、此の男の醜さを一層甚だしいものにしていた。此の男は、恐らく、島一番の貧乏人であったろう。」

「夫婦」の,

「今でもパラオ本島、殊にオギワルからガラルドへ掛けての島民で、ギラ・コシサンと其の妻エビルの話を知らない者は無い。ガクラオ部落のギラ・コシサンは大変に大人しい男だった。其の妻のエビルは頗る多情で、部落の誰彼と何時も浮名を流しては夫を悲しませていた。エビルは浮気者だったので、(斯ういう時に「けれども」という接続詞を 使いたがるのは温帯人の論理に過ぎない)又、大の嫉妬家でもあった。己の浮気に夫が当然浮気を以て酬いるであろうことを極度に恐れたのである。」

は,中国素材のものと比較すると,語彙はさほどに違わないが,印象が変わるのは,中国素材の作品は,自分の素養で書いているのに対して,『南島譚』などは,ひとつ立ち位置を挙げて,メタ・メタ・ポジションに立っているからではないか,という気がする。

他方,作家とおぼしい人物主題の,「カメレオン日記」の,

「博物教室から職員室へ引揚げて来る時、途中の廊下で背後から『先生』と呼びとめられた。
 振返ると、生徒の一人―― 顏は確かに知っているが名前が咄嗟には浮かんで来ない――が私の前に来て、何かよく 聞きとれないことを言いながら、五寸角位の・蓋の無い・菓子箱様のものを差出した。」

や,「斗南先生」の,

「雲海蒼茫 佐渡ノ洲
郎ヲ思ウテ  一日三秋ノ愁
四十九里 風波悪シ
渡ラント欲スレド 妾ガ身自由ナラズ
ははあ、来いとゆたとて行かりょか佐渡へだな、と思った。題を見ると、戯翻竹枝ととある。
それは彼の伯父の詩文集であった。」

や,「虎狩」の,

「私は虎狩の話をしようと思う。虎狩といってもタラスコンの英雄タルタラン氏の獅子狩のようなふざけたものでは ない。正真正銘の虎狩だ。場所は朝鮮の、しかも京城から二十里位しか隔たっていない山の中、というと、今時そんな所に虎が出て堪るものかと云って笑われそうだが、何しろ今から二十年程前迄は、京城といっても、その近郊東小門外の平山牧場の牛や馬がよく夜中にさらわれて行ったものだ。」

は,ちょうど中国ものと南洋ものとの中間に位置する。作品に対する印象の違いは,作品と作家の向き合い方の差のように思われる。素養で書くというのは,漢文の素養で,自家薬篭中のものの如く書く,ということを意味する。そこに硬質の緊張感はある。それは,あるいは漢文というものの,独特の読み下し文の緊張感に依存する。しかし物語世界との距離は小さい。南洋ものは,ある程度の距離があり,その分余裕というか,ユーモアが出る。中間の「三造」ものや「わたし」ものも,ユーモアはなくはないが,どこか自虐的というか,被虐的な翳がつきまとう。

わずか33歳で亡くなった作家の,これを使い分けて書く,才能に驚く。ふと,発想は,

知識と経験の函数,

という言葉を思いだした。意外と,いいのは,ロバート・ルイス・スティーヴンソンのサモアでの晩年を描いた,

『光と風と夢』

だ。日記による自身の独白と,客観部分とを使い分けながら,二面から

スティーヴンソン像,

を描きだそうとする。それは,「彼」として,

「小説(ロマンス)とはcircumstanceの詩だと、彼は言った。事件(インシデントよりも、それに依って生ずる幾つかの場面の効果を、彼は喜んだのである。ロマンス作家を以て任じていた彼は、(自ら意識すると、せぬとに拘わら ず)自分の一生を以て、自己の作品中最大のロマスたらしめようとしていた。(そして、実際、それは或る程度迄成功したかに見える。)従って其の主人公たる自己の住む雰囲気は、常に、彼の小説に於ける要求と同じく詩をもったもの、ロマンス的効果に富んだものでなければならなかった。雰囲気描写の大家たる彼は、実生活に於て自分の行動する場面場面が、常に彼の霊妙な描写の筆に値する程のものでなければ我慢がならなかったのである。傍人の眼に苦々しく映ったに違いない・彼の無用の気取( 或いはダンディズム)の正体は、正しく此処にあった。)

の文を地とすることで,「日記」の文が図として浮かび上がる。

「性格的乃至心理的小説と誇称する作品がある。何とうるさいことだ、と私は思う。何の為にこんなに、ごたごたと性格説明や心理説明をやって見せるのだ。性格や心理は、表面に現れた行動によってのみ描くべきではないのか?(中略)
 さて、又一方、ゾラ先生の煩瑣なる写実主義、西欧の文壇に横行すと聞く。目にうつる事物を細大洩らさず列記して、以て、自然の真実を写し得たりとなすとか。その陋や、哂うべし。文学とは選択だ。作家の眼とは、選択する眼だ。絶対に現実を描くべしとや?誰か全き現実を捉え得べき。現実は革。作品は靴。靴は革より成ると雖も、しかも単なる革ではないのだ。」

「自己告白が書けぬという事は、人間としての致命的欠陥であるかも知れぬことに思い到った。(それが同時に、作家としての欠陥になるか、どうか、之は私にとって非常にむずかしい問題だ。或る人々にとっては極めて簡単な自明の問題らしいが。)早い話が、俺にデイヴィッド・カパァフィールドが書けるか、どうか、考えて見た。 書けないのだ。何故?俺は、あの偉大にして凡庸なる大作家程、自己の過去の生活に自信が有てないから。単純平明な、あの大家よりも、遥かに深刻な苦悩を越えて来ているとは思いながら、俺は俺の過去に(ということは、現在に、ということにもなるぞ。しっかりしろ!  R・L・S・)自信が無い。幼年少年時代の宗教的な雰囲気。それは大いに書けるし、又書きもした。青年時代の乱痴気騒ぎや、父親との衝突。之も書こうと思えば書ける。むしろ大いに、批評家諸君を悦ばせる程、深刻に。」

「三造」ものは,ひいき目にみても,後世には残らぬが,この作品の持つ厚みは,今日読んでも,新たな驚きがある。ただ,この手法が,好いかどうかは好みが分かれようか。

中島敦については,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E6%95%A6

に詳しい。ロバート・ルイス・スティーヴンソンについては,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3

に詳しい。

参考文献;
中島敦『中島敦全集』(Kindle版)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm
posted by Toshi at 05:44| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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