2017年03月10日
ポー
エドガー・アラン・ポー『エドガー・アラン・ポー完全版』を読む。
何十年ぶりかで,再読した。やはり,圧倒的に,『うづしほ』あるいは『メールストロムの旋渦』と題される作品がいい。Kindle版のせいか,森鴎外の訳が載っていて,対比することができる。まず鴎外訳。
「船は竜骨の向に平らに走つてゐます。と申しますのは、船のデツクと水面とは并行してゐるのでございます。併し水面は下へ向いて四十五度以上の斜な角度を作つてゐる船の中で、わたくしが手と足とで釣合を取つてゐますのは、平面の上にゐるのと大した相違はないのでございます。 多分廻転している速度が非常に大きいからでございませう。
月は漏斗の底の様子を自分の光で好く照らして見ようとでも思ふらしく、さし込んでゐますが、どうもわたくしには その底の所がはつきり見えませんのでございます。なぜかと申しますると、漏斗の底の所には霧が立つてゐて、それが何もかも包んでゐるのでございます。その霧の上に実に美しい虹が見えてをります。回教徒の信ずる所に寄りますると、この世からあの世へ行く唯一の道は、狭い、揺らめく橋だといふことでございますが、丁度その橋のやうに美しい虹が霧の上に横はつているのでございます。この霧このしぶきは疑もなく、恐ろしい水の壁面が漏斗の底で衝突するので出来るのでございませう。併しその霧の中から、天に向かつて立ち昇る恐ろしい叫声は、どうして出来るのか、わたくし にも分かりませんのでございました。
最初に波頭の帯の所から、 一息に沈んで行つたときは斜な壁の大分の幅を下りたのでございますが、それからはその最初の割には船が底の方へ下だつて行かないのでございます。船は竪に下だつて行くよりは寧ろ横に輪をかいてゐます。それも平等な運動ではなくて目まぐろしい衝突をしながら横に走るのでございます。或るときは百尺ばかりも進みます。又或るときは渦巻の全体を一週します。そんな風に、ゆるゆるとではございますが、次第々々に底の方へ近寄つて行くことだけは、はつ きり知れているのでございます。
わたくしはこの流れている黒檀の壁の広い沙漠の上で、周囲を見廻しましたとき、この渦巻に吸ひ寄せられて動いているものが、わたくし共の船ばかりでないのに気が付きました。船より上の方にも下の方にも壊れた船の板片やら、山から切り出した林木やら、生木の幹やら、その外色々な小さい物、家財、壊れた箱、桶、板なんぞが走つています。」
次いで佐々木直次郎訳。
「船はまったく水平になっていました、―というのは、船の甲板が水面と平行になっていた、ということです、―がその水面が四十五度以上の角度で傾斜しているので、私どもは横ざまになっているのです。しかしこんな位置にありながら、まったく平らな面にいると同じように、手がかりや足がかりを保っているのがむずかしくないことに、気がつかずにはいられませんでした。これは船の回転している速さのためであったろうと思います。月の光は深い渦巻の底までも射しているようでした。しかしそれでも、そこのあらゆるものを立ちこめている濃い霧のためになにもはっきりと見分けることができませんでした。その霧の上には、マホメット教徒が現世から永劫の国へゆく唯一の通路だという、あのせまいゆらゆらする橋のような、壮麗な虹がかかっていました。
この霧あるいは飛沫は、疑いもなく漏斗の大きな水壁が底で合って互いに衝突するために生ずるものでした。―がその霧のなかから天に向って湧き上がる大叫喚は、お話ししようとしたって、とてもできるものではありません。
上の方の泡の帯のところから最初に深淵のなかへすべすべりこんだときは、斜面をよほど下の方へ降りましたが、それからのちはその割合では降りてゆきませんでした。ぐるぐるまわりながら船は走ります、―が一様な速さではなく―目まぐるしく揺れたり跳び上がったりして、あるときはたった二、三百ヤード―またあるときは渦巻の周囲をほとんど完全に一周したりします。
一回転ごとに船が下に降りてゆくのは、急ではありませ んでしたが、はっきりと感じられました。こうして船の運ばれてゆくこの広々とした流れる黒檀の上で、自分のまわりを見渡していますと、渦に巻きこまれるのが私どもの船だけではないことに気がつきました。上の方にも下の方にも、船の破片や、建築用材の大きな塊や、樹木の幹や、そのほか家具の砕片や、こわれた箱や、樽や、桶板などの小さなものが、たくさん見えるのです。」
どちらがいいとは言えないが,好みで言うと,(原作がそうなのだろうが)ハイフンを省いた鴎外訳の方が,完結でいい。
それにしても,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%A0
で,
「メイルストロム(ノルウェー語: malstrøm [発音の仮名転写例:メルストロム]、英語: maelstrom [発音の仮名転写例:メイルストラム])は、ノルウェーのロフォーテン諸島はモスケン島周辺海域に存在する極めて強い潮流、および、それが生み出す大渦潮を指す語(慣習的な日本語音訳)。
ノルウェー語で「mosk (意:sea splay、波飛沫) + -n (定冠詞)」の意からなる最寄りの島名 "Mosken" (モスケン)と同じく(あるいは、これを語源として)、現地語(および、英語等)では Moskenstraumen (ノルウェー語発音の仮名転写例:モスケンスラウメン)など(その他は#呼称を参照のこと)とも呼ばれ、これを日本語ではモスケンの渦潮(モスケンのうずしお)と訳す(モスケンの大渦巻[モスケンのおおうずまき]などとも呼ぶ)。」
という大渦巻を,スローモーションのように描きだす筆力は,最初に読んだときも,再読,再々読したときも,変らず,圧倒される。
ポーの描く世界は,
「アッシャー家の崩壊」
「黒猫」
「ウィリアム・ウィルソン」
「落穴と振り子」
等々の恐怖小説,あるいは,
「モルグ街の殺人」
「盗まれた手紙」
「マリー・ロジェの怪事件」
「黄金虫」
という,いわゆる,ポー自身が「推理物語(the tales of rasiocination)」と呼んでいた作品群,あるいは,
「十三時」
のようのユーモアもの,いずれも,特異なシチュエーションの作品世界であるためか,昔語りでいう,
むかしむかし,あうるところに,おじいさんとおばあさんが住んでいました,
という,イントロというか,作品世界へのつなぎが必ずある。あるいは,
能のワキ,
シテが登場するための舞台装置を,必ず設えている。あるいは意識的なのかもしれないが,僕には,直接作品世界の中から始めないのが,結構まだるこしかった,というのが正直な感想である。さて,推理小説の嚆矢とされる作品を読みながら,
「マリー・ロジェの怪事件」
の中で,C・オーギュスト・デュパンの,
「もしも理性が真実なものを探して進むのならば、常套なものの面から突き出たものを手がかりにすることによってであって、また、こういった事件についての正しい質問は、『どんなことが起ったか?』ということよりも、『起ったことのなかで、いままでぜんぜん起ったことの ないのはどんなことか?』ということなんだ。」
というセリフに,物を見るときの鍵が示されている。ポーの推理場面は,たまに現場へ行くこともあるが,多くは,新聞情報,あるいはそこに示される目撃情報から,推測していく。そのプロセスは,まさに情報分析と仮説を立てていく作業そのものだと,感心させられる。デュバンの言う,
「『どんなことが起ったか?』ということよりも、『起ったことのなかで、いままでぜんぜん起ったことの ないのはどんなことか?』」
とは,問題解決手法のEM(飯久保廣嗣)法が,
原因分析(PA:Problem Analysis),
において,
トラブル発生時の「原因究明」において、問題の対象と現象を特定し、発生事象(IS)と比較事実(IS NOT)の情報収集を行い、その特異性と変化から原因を推定し、対策を講じる思考プロセス,
そのものと同じである。その視点で見るとき,小説的興味とは別に,デュバンの推論は,なかなか興味深いのである。
参考文献;
エドガー・アラン・ポー『エドガー・アラン・ポー完全版』(Kindle版)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm
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