さわ


「さわ」とは,

沢,

の字を当てると,

低くて水がたまり,蘆(あし),荻などの茂った知,水草のまじり生えた地,
山間の比較的小さな渓谷,

の意であり,

多,

と当てると,

多いこと,あまた,たくさん,平面に散らばっているものにいう,

という意味になる(『広辞苑』)。『古語辞典』には,「さはに」の項で,

「平面に広がり散らばって数量・分量のおおくあるさま」

とあり,

「類義語シジニは,ぎっしりいっぱいにの意。ココダは,こんなに甚だしくの意。」

とある。『大言海』は,「さは」で,

「眞多(さおほ)の意。サホ,サハと転じたる語か(眞靑(さあを,は,さを。ほびこる,はびこる。ほどろ,はだれ))

とする。『日本語源大辞典』は,「さわ」について,

サオホ(真多)の転か(大言海),
物の多いのは前に進むときなどにサハル(障)ところから(名言通),
ソレハソレハ沢山の意から(言元梯),
シハ(数)の転。シバシバ(屡)の意から転じて多数の意となったもの(日本古語大辞典),

と載るが,いずれも語呂合わせのようで,現実感がない。和語は文脈依存性が強いということは,状況の具体的なものに即していたからではないか,と思う。『日本語源広辞典』は,「さわ(沢・澤)」の語源を,

「サハ(沢)」

とする。

「山間の広く浅い谷の水たまり,のことで,植物の繁茂が多いのが語源かと考えます。みずたまり,と,多い,との二つの意味を持つ言葉です。」

と。『大言海』の「さは(澤)」には,

「桑家漢語抄,澤『本用多字云々,水澤,生物繁多也,故曰佐和』和訓栞,さは『多を,サハと訓めり,云々,澤も,多の義,藪澤の意也』イカガアルベキカ」

と載せる。「さわ(沢)」の語源説は,

生物が繁茂するところから,サハ(多)の義(桑家漢語抄・東雅・和訓栞),
サカハ(小川)の義(言元梯・二本語原学),
サケハナル(裂離)の義(名言通),
いつも風があたり,波がサハガシキところからか(和句解),

と諸説ある(『日本語源大辞典』)が,僕は,僭越ながら,

さは(多),

は,

さわ(沢),

から出たのだと思う。抽象語から,具体語になるのは逆である。「さわ(沢)」のイメージが「さわ(多)」という言葉を生んだ,と考えるのが順当ではないか。

「多を,サハと訓めり,云々,澤も,多の義,藪澤の意也」

とする『和訓栞』の言い方に妥当性を感じる。

ところで,「沢」を

山間の比較的小さな渓谷,

という。「たに(谷)」とどう区別しているのか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%A2

は,「沢」を,

「沢(さわ)は、細い川、もしくは短い川の通称である。
沢の特徴は上述の通り短さ・幅の狭さであるがその区別は曖昧であり、長大な沢・広い河原を有する沢もあれば、長さ数百mに満たない川もある。更に沢の支流に川があることもある。また、原頭部からの距離が短く、したがって流量は少ないが水質の良い山間部の川を指す場合もある。湧水のことを指す場合もある。
沢も川の一種であるが、流量の少なさのため水利・水運・水防上の重要性が低く、一級・二級河川の指定を受けているものはない。地図上無名のものや、『一号沢』『二号沢』『一郷沢』『二郷沢』『一の沢』『二の沢』『中の沢』といった名称のものもある。」

とあり,『ブリタニカ国際大百科事典』 には,

「細長い凹地。成因的に構造谷と浸食谷に分けられる。構造谷は地殻変動によって生じたもので,断層谷,断層線谷など。浸食谷は河川,氷河などの外力によって形成されるものでV字谷,U字谷など。谷はそのほか,形態的に峡谷,欠床谷,床谷,盆谷あるいは横谷,縦谷に分けられ,発達段階的に幼年谷,壮年谷,老年谷などに分けられる。」

http://dic.nicovideo.jp/a/%E8%B0%B7

には,

「谷(たに、や、コク)とは、主に山などに囲まれた標高の低い土地のことである。谷の深いものを峡谷という。」

とある。これを信ずるなら,谷は,形状の側を指し,沢は,水の側を指すということになる。『古語辞典』に「谷」について,

峰の対,

とあるのも,それを傍証する。

谷.jpg


「たに(谷)」の語源は,『日本語源広辞典』は,

「『垂り』で,水の垂れ集まるところの意です。方言に,タン,ターニなど,同源と思われる語があります。」

とあるが,『日本語源大辞典』によると,

水のタリ(垂)の義(古事記伝・言元梯・名言通・菊池俗言考・和訓栞・大言海),
谷は低くて下に見るところから,シタミの略転(日本釈名),
タカナシ(高無)の反(名語記),
間の転。または梵語タリ(陁離)の転か(和語私臆鈔),

とあるが,『大言海』は,「たに(谷・渓)」について,

「水の垂(たり)の意と云ふ。朝鮮語の古語,タン」

と付記しているのも気になる。因みに「さわ(多)」と同義の,「沢山」について,

『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ta/takusan.html

には,

「たくさんは、多い意味の形容動詞語幹『さは(多)』と、数の多いことを表す『やま(山)』を 重ねた『さはやま』に『沢山』の字を当て、音読したものといわれる。 ただし、「さはやま( さわやま)」の例が見られるのは近世に入ってからであるのに対し、『たくさん』の例は 鎌倉時代の『平家物語』に見られるため、『さはやま』は『沢山(たくさん)』の訓読みと考えるのが妥当である。その他、『たかい(高い)』『たける(長ける)』など、『tak』の音から『たく(沢)』が当てられ『たくさん(沢山)』になったとする説もあるが未詳。」

とある。「さわやま」

は,

「沢山」

ではなく,

「多山」

ではあるまいか。それほど,「多」と「沢」は,重なっているのである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7

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この記事へのコメント

  • takagi

    大変面白く拝見いたしました。
    「抽象語から,具体語になるのは逆である。「さわ(沢)」のイメージが「さわ(多)」という言葉を生んだ,と考えるのが順当ではないか。「多を,サハと訓めり,云々,澤も,多の義,藪澤の意也」とする『和訓栞』の言い方に妥当性を感じる。」
    という部分について、『和訓栞』ではむしろ多→沢という説をとっているように見えますが、補足いただければ幸いです。
    2017年03月13日 22:28