2017年03月15日

怪を志す


岡本綺堂編訳『世界怪談名作集』を読む。

世界怪談名作集.jpg


編者の綺堂は,

「外国にも怪談は非常に多い。古今の作家、大抵は怪談を書いている。そのうちから最も優れたるものを選ぶというのはすこぶる困難な仕事であるので、ここでは世すでに定評ある名家の作品のみを紹介することにした。 したがって、その多数がクラシックに傾いたのはまことに已む得ない結果であると思ってもらい たい。
怪談と言っても、いわゆる幽霊物語ばかりでは単調に陥る嫌いがあるので、たとい幽霊は出現しないでも、その事実の怪奇なるものは採録することにした。」

として,以下の17編を採録している。

「貸家」エドワード・ブルワー・リットン
「女王」アレクサンドル・セルゲーヴィチ・プーシキン
「妖物」アンブローズ・ビヤース
「クラリモンド」ピエール・ジュール・テオフィル・ゴーティエ
「信号手」チャールズ・ディケンズ
「ヴィール夫人の亡霊」ダニエル・デフォー
「ラッパチーニの娘 アウペパンの作から」ナサニエル・ホーソーン
「北極星号の船長 医学生ジョン・マリスターレーの奇異なる日記よりの抜萃」アーサー・コナン・ドイル
「廃宅」エルンスト・テオドーア・アマーデウス・ホフマン
「聖餐祭」アナトール・フランス
「幻の人力車」ラドヤード・キップリング
「上床.」フランシス・マリオン・クラウフォード
「ラザルス」レオニード・ニコラエヴィッチ・アンドレーエフ
「幽霊」ギ・ド・モーパッサン
「鏡中の美女」ジョージ・マクドナルド
「幽霊の移転」フランシス・リチャードストックトン
「牡丹燈記」瞿宗吉

たとえば,ポーが入っていないのについては,

「アラン・ポーの作品──殊にかの『黒猫』のごときは、当然ここに編入すべきであったが、この全集には別にポーの傑作集が出ているので、遺憾ながら省くこと にして、その代りに、ポーの二代目ともいうべきビヤースの『妖物』 を掲載した。」

とあるので,何かの全集の一巻として編集されたものらしい。

この中に,「牡丹燈記」が入るのは,小説といっても,

志怪小説,

であって,今日言う小説ではないので,いささか不釣り合いかもしれない。「志怪」つまり,「怪を志(しる)す」とは,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/434978812.html

で触れたように,

「市中の出来事や話題を記録したもの。稗史(はいし)」

であり, ここで言う,「小説」は,

「志怪小説、志人小説は、面白い話ではあるが作者の主張は含まれないことが多い。」

とされるが,中国明代の小説集『剪灯新話』に収録された『牡丹燈記』は,志怪小説であるのだから,である。

プーシキン,
モーパッサン,
ディケンズ,

というビッグネームも並ぶ中で,何より圧倒的な筆力を見せるのは,プーシキンの,

「女王」

だと思う。「女王の遊び( 骨牌戯の一種)」の必勝の秘策を巡る,一種の怪異譚であるが,主人公(ヘルマン)はそれを手に入れるために,それを知る伯爵夫人に近づくために付き添いの女(リザヴェッタ・イヴァノヴナ)を欺き,それを知る伯爵夫人を脅して知ろうとし,死なしめてしまう。その伯爵夫人の幽霊が訪れ,

「わたしは不本意ながらあなたの所へ来ました」と、彼女はしっかりした声で言った。「わたしはあなたの懇願を容れてやれと言いつかったのです。 三、七、一の順に続けて賭けたなら、あなたは勝負に勝つでしょう。しかし二十四時間内にたった一回より勝負をしないということと、生涯に二度と骨牌の賭けをしないという条件を守らなければなりません。それから、あなたがわたしの附き添い人のリザヴェッタ・イヴァノヴナと結婚して下されば、私はあなたに殺され たことを赦しましょう」

と言って去る。もとろん,主人公(ヘルマン)は,約束を守らず,三回目に勝負に入った日,

右に女王が出た。左に一の札が出た。「一が勝った」と、ヘルマンは自分の札を見せながら叫んだ。「あなたの女王が負けでございます」と、シェカリンスキイは慇懃に言った。
ヘルマンははっとした。一の札だと思っていたのが、いつの間にかスペードの女王になっているではないか。

と,大敗し,発狂する。

次は,ディケンズの,

「信号手」

を取る。そして,意外にも,こう並べてみても,

「牡丹燈記」

がいい。圓朝が惚れ込んだだけのものはある。その次に,ジョージ・マクドナルドの,

「鏡中の美女」

がいい。

これらのが他の作品と何が違うのか,と考えてみた。大きいのは,

作品の構造の奥行,

ではないか,と思う。それは,作品の主人公のいる世界の更に奥の世界を感じさせるものだ。「女王」だと,

伯爵夫人の過去,
と,
ヘルマンの欺き,
と,
付添女の戸惑い,
と,
ヘルマンの挫折,

とが,別々の世界として同時進行で重なり合う。「牡丹燈記」でいうなら,

主人公,

幽霊,
と,
法師,

道人,

であり,それぞれ,並行宇宙のように,同時に存在している世界があり,それを自在に行き来する道人が,最後,

九泉の獄屋,

つまり,

地獄,

へと,迷う三人を送りつける,という意味ではさらに向こうに世界がある。重なる世界は,それぞれ異にしても,でも,それが作品に奥行を与える。「信号手」で,「私」がこう書く。

この物語の不思議な事情を詳細に説明するのはさておいて、終わりに臨んで私が指摘したいのは、不幸なる信号手が自分をおびやかすものとして、私に話して聞かせた言葉ばかりでなく、わたし自身が「 下にいる人!」と彼を呼ん だ言葉や、彼が真似てみせた手振りや、それらがすべて、かの機関手の警告の言葉と動作とに暗合しているということである。

このとき,予兆の世界と実現の世界の重なり合い,ということになる。

怪異は単純ではない。多重宇宙や並行宇宙を挙げるまでもなく,たとえば,この世とあの世は,次元を異にして,同時に存在している,という(メタ化された)目から,見ることなしに,物語世界の奥行が広がることはない。

参考文献;
岡本綺堂編訳『世界怪談名作集』(Kindle版)


ホームページ;
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今日のアイデア;
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posted by Toshi at 05:11| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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