異化


異化について,エルンスト・ブロッホは,『異化』において,

「『異化効果』は,事件の過程や人間の性格が自明のものと見なされることのないよう,それらを慣れ親しんだものかずらすこと,置き換えることとして現れている。」

とした。つまり,

慣れ親しんだものをずらし,見馴れぬものを現出させること,

である。あるいは,

見馴れた「地」にどんな「図」を顕現させて異質化させるか,

と言い換えてもいい。

「ゴールドマン コレクション
これぞ暁斎!
世界が認めたその画力」展

http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_kyosai.html

と,

「草間彌生 わが永遠の魂」展

http://kusama2017.jp/

を,梯子して,観て回りながら,その間,ずっと,

異化,

について考えていた。「草間彌生」は,まさしく,おのれという存在そのもの,おのれへの違和感を対象化して,

異化,

そのものとして顕現させていく,そうした表現スタイルは,僕には,当初持っていたインパクトは強烈だったと思う。初期の,

集積の大地,
捻り,
残夢,

等々の諸作品は,暗く秘めたエネルギーが出場所もなく鬱屈していくさまそのもののように,陰鬱である。しかし,渡米して以降の,

No.AB,
Untitled(No.A.Z)
パシフィック・オーシャン,
No.PZ,
No.X,

等々の,モノトーンのエンボスのように(見える)白や黒がのぞく大作には,エネルギーを裏漉ししたような,あるいは,紗で濾したような,横溢たる,というべきか,満々たる,というべきか,内に秘めた巨大なエネルギーを,抑制していたように見える。それは,違う言い方をすると,有り余るエネルギーをどう表現するかの表出方法を見つけた,といってもいい。それは,

異化の表現スタイル,

を見つけたと言い換えてもいい。しかし帰国後の作品群は,時系列はわからないので,勝手な憶測かもしれないが,

戦争の津波,
戦争,

というまた,陰鬱な画像群を経た後は,まさしく,

エネルギーそのものが奔出した絵,

に変る。たとえば,大きな部屋に飾られた,「わが永遠の魂」シリーズに,ひとは,このエネルギーに圧倒されるというかもしれないが,僕にはもの悲しさを感じた。異化は,

地,

となってしまっては,馴れるだけのように見える。誠に,(素人が申し上げるのは)僭越ながら,もはや図として顕現していた異化のエネルギーは見かけ倒しのように感じた。真昼間の,残る隈なく光が満ちた世界は,光が地になってしまっている。それに比べて,夜明けの突き出てくるようなエネルギーの方に,僕は魅力を感じる。直島で見た,カボチャも,会場外に展示されていたカボチャも,僕には,道化に見えた。異化は,地に紛れてしまっては,異質さではなく,異様な滑稽を感じさせるのではないか。

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「河鍋暁斎(かわなべ きょうさい)」は,僕は,そのすさまじい,突出した,

写実力,
描写力,

をもてあまし,ついに異化すべき方法を発見しそこなったように見える。どの絵を見ても,絶えず,

既視感,

が付きまとった。カエルの絵には,北斎や,鳥獣戯画が付きまとい,

枯れ木に鴉,

は,宮本武蔵の「枯木鳴鵙図」が背後に見える気がした(いずれもパロディかもしれないとは思いつつ,でも既視感がまさった)。ただ,

不可和合戦之図,
墨合戦,

のような,群れ,というか,大勢の入り乱れる群像図には,抜きん出た,異化をみた。そして,ただ一点,

雨中さぎ,

と題された作品が群を抜く,と僕は個人的には思った。これは,時代を飛び越えて,現代にまで到達する,

異化力,

を見せつけている。

img018.jpg


参考文献;
エルンスト・ブロッホ『異化』(白水社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm

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