2017年04月03日

みごと


「みごと」は,

見事,
美事,

と当てる。「美事」は,どうやら当て字らしいが。意味は,

見るべき事,見もの(「さだめてみごとなる所あるべし」),
ありようや結果などがすばらしいさま,きわだってすぐれていること(「みごとな出来栄え」),
てぎわのよいこと,あざやかなこと(「みごとに片付ける」),
(反語的に)完全(「みごとに負けた」),
(副詞として)立派に(「みごとに合格する」),

等々とある(『広辞苑』『大辞林』)が,どうやら,主観的な価値判断だったものが,客観的な評価へとシフトしていくのが見て取れる。「美事」と当てるようになったわけだ。『古語辞典』には,

見るべきこと,
立派なこと,すばらしいこと,

の意味しか載らないから,そうなのだろう。『大言海』には,

見て美しきこと,また,すぐれて巧みなること,

と載る。完全に評価へとシフトしている。『語感の辞典』には,

「見るだけの価値のある物事の意から。それだけに視覚的なイメージがあり,目の前で見て判断している感じが伴いすい。『すばらしい料理』と違い,『みごとな料理』は味わう前にも言えそうな雰囲気がある。また,評価に重点がある『すばらしい』に比べ,技術的な巧みさに重点のある連想が強く,自然をめでる『みごとな景色』でも,庭造りや借景の巧みさなり,展望台の立地条件のよさなり,人間あるいは造物主の何らかの意思やかかわりを意識させることがある。」

とある。

意味は,少しずれるかもしれないが,『平家物語』で,平知盛が,

「見るべきほどのことは見つ」

と言って海中に身を投じたのを,ふと思い出す。よく,

お見事!

というときに,多少の皮肉も入っているのと似ている。訛って,

みんごと,

と促音化して言い回すことがあるが,今なら,まさに反語的であるかもしれない。語源は,『語源辞典』には載らないが,『大言海』に,

「見物(みもの)と同じ」

とある。「見物(みもの)」を見ると,

観て目覚ましく感ずる物,見るべき映えある物,

とある。さらに,

傍より見ること,見物(けんぶつ),

とある。「見物(けんぶつ)」は,

見物(みもの),

の訓読みで,その瞬間,

物を見ること,

という単純な状態表現へと転ずる。辞書(『広辞苑』)をみると,「見物(けんぶつ)」の項にも,

名所や催し物,好奇心をそそるものなどを見ること,

と同時に,

見るに値するもの,

という意味も載る。「物見(ものみ)遊山」という言い方もあるが,どちらかというと,

見物のマインド,

の意味に変っている。しかし,考えてみれば,

見るに値する,

という価値があるからこそ,見物(けんぶつ)するのだから,意味に価値の翳が見え隠れしているはずだ。ただ,

見るに値する,

という意味が古く,いわゆる「けんぶつ」の意味は,相当に後世になってからのように見える。『古語辞典』には,

見物(けんぶつ),

は載らない。『江戸語大辞典』を見ると,「けんぶつ」はないが,

見物左衛門(けんぶつざえもん),

が載り,能狂言の「都見物左衛門」から来ている,「田舎から出てきた見物客」,とある。

物はなく,終始シテ一人の独白と仕方で演じる,特異な独り狂言。筋立て・演出には,小書(こがき)ともいうべき《深草祭》と《花見》の二通りがあるが,上演に際しては小書を付ける場合も付けない場合もある。」(『世界大百科事典』)

「狂言の曲名。和泉流の番外曲。一人狂言で,『花見』と『深草祭見物』の2種がある。『花見』は,見物左衛門という男が花見に出かけ,地主 (じしゅ) の桜や西山の桜を見て回る様子を演じ,小謡,小歌,小舞などが入る。
《深草祭》は,5月5日,京都深草にある藤森神社の祭に出かけて流鏑馬(やぶさめ)や相撲などを見物して興じる様子を見せる狂言。」(『ブリタニカ国際大百科事典』)

等々とあるので,時代は遡るようだ。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

ホームページ;
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