2017年04月13日
打ち
接頭語「うち」は,動詞に冠して,
「その意を強め,またはその音調を整える。『打ち興ずる』『打ち続く』
瞬間的な動作であることを示す。『打ち見る』」
と『広辞苑』にはある。『岩波古語辞典』には,
「平安時代ごろまでは,打つ動作が勢いよく,瞬間的であるという意味が生きていて,副詞的に,さっと,はっと,ぱっと,ちょっと,ふと,何心なく,ぱったり,軽く,少しなどの意を添える場合が多い。しかし和歌の中の言葉では,単に語調を整えるためだけに使ったものもあり,中世以降は単に形式的な接頭語になってしまったものが少なくない」
として,
さっと(打ちいそぎ,打ちふき,打ちおほい,打ち霧らしなど),
はっと,ふと(打ちおどろきなど),
ぱっと(打ち赤み,打ち成しなど),
ちょっと(打ち見,打ち聞き,打ちささやきなど),
何心なく(打ち遊び,打ち有りなど),
ぱったり(打ち絶えなど),
と意味が載る。動詞「うち(つ)」は,
打つ,
撃つ,
とあて,
「相手・対象の表面に対して,何かを瞬間的に勢い込めてぶつける意。類義語タタキは比較的広い面を連続して打つ意」
とある(『岩波古語辞典』)。『広辞苑』は,
あるものを他の物に瞬間的に強く当てる(打・撃),
(釘や杭,針を)たたきこむ,差し込む(打),
傷つけ倒す(撃・討),
(網などを)遠くへ投げる意から(打・射),
(門・幕などを)設ける(打),
(もも・筵などを)編む(打),
(転じて)あること(芝居などを)行うこと(打),
等々と,「うつ」の意味の幅をまとめている。接頭語「うつ」に,この意味の何がしかは反映しているはずだ。『学研全訳古語辞典』は,
「『打ち殺す』『打ち鳴らす』のように、打つの意味が残っている複合語の場合は、『打ち』は接頭語ではない。」
としているが,別に接頭語かどうかを意識して使っているのではなく,ただ,
壊す,
のではなく,
打ち壊す,
と「打ち」をつけて,主体の意思を強く言い表す必要があるからに違いない。その意味では,接頭語にも,「打つ」の含意は強く残っているはずだ。ただ,
見る,
のではなく,
打ち見る,
には,強い意志が見える気がする。
「うつ」の語源は,『日本語源広辞典』は,
「手の力で,強く打撃する」
が語源とし,
「基本的な二音節語とみます。アテル,ウツ,ブツ(方言)などの,ア,ウ,の語根と関連するようです。」
とある。「うたげ」
http://ppnetwork.seesaa.net/article/448908592.html?1491853312
の項で触れたように,「うたげ」は「うちあげ」の縮約で,「うたげ(打ち上げ)」には,手を打つという含意を残しているし,それがなくても,ただ語調というには,止まらないのではないか。これが訛って,
ぶつ,
ぶち,
ぶん,
となることもある。
Uti→buti→bunn,
打ち壊す,
ぶっ壊す,
打ち投げる,
ぶん投げる,
打ちのめす,
ぶちのめす,
である。ただ,「ぶち」には,『日本語俗語辞典』
「ぶちには二つの語源があり、それによって用法が異なる。
ひとつは漢字で『打ち』と書き、動詞の前につけて意味を強める接頭語。『ぶちまける』『ぶち殺す』など動作の乱暴さを強調するために使われる。若者言葉の『ブチギレ』に使われるブチはこちらからきている。
次に広島弁からきたぶち。こちらは『とても』『すごく』といった意味で、様々な言葉の前につけられる。『ブチかわいい』『ブチアゲ』などコギャル語に使われるブチはこちらからきているものが多い。
ただし、どちらも後に続く言葉を強めるという意味では同じため、特にどちらからきたものかを意識して使う人は少ない。」
とある。この説も,しかし,地域によっては,
「うつ(打つ)をブチという」(『日本語の語源』)
から,もともと,「打ち」が訛ったものにすぎないのではないか。
打ち込む,
というより,ただ入れ込んでいる状態よりは,主体の意思が強まる,と僕は思う。それが,
ぶち込む,
ぶっ込む,
となると,より意志が強まるように見える。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm
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