2017年04月27日

いけ


「いけ」は「池」ではなく,

いけすかない,

の「いけ」である。『広辞苑』には,「接頭語」として,

「(イッケとも)卑しめ罵る意を強く表す」

として,

いッけずるい,

の例が載る。『大言海』には,

「奴詞(やっこことば)なるべきか,語原,解すべからず,或いは,餘計(よけい)の略転か(喜い,いい)。長崎にて,餘計なる分量を,イケエシコトと云ふ,又,元禄,享保の頃,大阪詞に,イケ,又,イキと云ふありて,同義なり。長町女腹切(元禄,近松作)上『半七のイキ掏児(ずり)め,ようも,親方を踏みつけたな』心中天網島(享保,近松昨)『女房,子供の身の皮剥ぎ,其金でおやま狂ひ,イケどう掏児(ずり)め』浦島年代記(元禄,近松昨)『大騙(おおがたり)の生賈僧(まいす)(イケか,イキか)』然れども,其の語原は知るべからず」

として,

「種々の語に冠して,強く罵る意をなす卑語」

と意味を載せる。その上で,

「俚諺集覧,イケ『卑しめ罵る詞也。イケづうづうしい,イケふとい,イケしゃあしゃあ,イケヤカマシイ,イケどうよく,皆生憎(あなにくや)の,生と同じきか,』」

と付記している。確かに,『古語辞典』は,「いけ」に,「生」をあて,

「いきの訛」

とする。『江戸語大辞典』も,

「生(いき)の訛」

とし,こう載る。

「諸種の語に冠して卑しめ罵る意を強める。強めて『いっけ』と促呼することがある。またカ・サ・タ・ハ行音ではじまる語に冠する時は促呼して『いけっ』となることがある。」

「いけ」の作語は,『江戸語大辞典』には,

いけふたじけない(いかにもけちだ),
いけあつかましい,
いけあまくちな(いかにも手ぬるい),
いけうるさい,
いけおうへい(横柄)な,
いけがいぶん(外聞)がわるい,
いけきいたふうな,
いけごうざらしな(なんという恥さらしな),
いけごうじょう(強情)な,
いけこしぬけ(腰抜),
いけごたいそう(御大層)な,
いけこんじょうわる(根性悪),
いけしさい(仔細)らしい(いやにもったいぶった),
いけしたたるい(いやにみだらな),
いけしぶとい,
いけしゃあしゃあ(いやに図々しく),
いけじゃま(邪魔)な,
いけしゃらくさい(いやに小生意気な),
いけじょう(情)のこわ(強)い,
いけしらじらしい,
いけじれったい(ほんとにもどかしい),
いけしわ(吝)い,
いけずうずう(図々)しい,
いけすかない,
いけずぶと(図太)い,
いけぞんざいな,

等々,相当の数が載る。悪口や貶めるのに,何にでも「いけ」をつけたと見える。「いけ」は,

生き,

の転とある。『古語辞典』には,「生き」は,

息と同根,

とある。種々語源説はある(『日本語源大辞典』)。

生の義(和訓栞),
イク(生く)の義,またはイズルキ(出気)の略(日本釈名),
イはイデ(出),キはヒキ(引き)から(和句解),
イはイーと引く音,キは気の意(国語溯原),
イキ(息気)の意。イは口から出る気息の音,キは気(日本語源),
イキ(生気)の義(言元梯・日本語原学),
イは発語,キはフキから(名言通),
イキ(胃気)の意か(和語私臆鈔),
イは気息を意味する原語,キは活用語尾(日本古語大辞典),

「いま」の項,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/442558118.html

で触れたように,

「『イ』は口を横に引いて発音し,舌の位置がほかの四つの母音よりも相対的に前にくるので,一番鋭く響きますし,時間的にも口の緊張が長く続かない,自然に短い音なので,『イマ』という『瞬間』を表現できるのです。」

であり,

「おそらく/i/音が,…自然界で現象が『モノ』として発現する瞬間に関わる大事な意味を持っているので,この『イ』を語頭にもつ大和言葉がたくさんある…。」

とする。その「息」や「生き」に関わる言葉が,罵りの接頭語になる,というのは,少し解せない。『日本語俗語辞典』

http://zokugo-dict.com/02i/ike.htm

は,「いけ」について,

「いけとは『憎悪』『卑しみ』『苛立ち』『非難』『腹立たしさ』などを意味する接頭語である。いけは後ろに付く言葉をそういった意味で強めるための接頭語であり、いけのみでは使用されない。」

とするので,なおさら「生け」とは思えない。『日本語の語源』は,

「副詞のイカイは,カイ[kai]の融合で,『ひどく,たいそう』という意のイケになった。〈そしてまあイケ外聞の悪い〉(浮世風呂)。〈イケらちが明かない〉(八笑人)。」

あるいは,

「イカイ(偉い)はイケになって『イケ図々しい』という。」

とあっさり言っている。また,他方,

「漢語の偉大(イダイ)は,イライを経て,エライ(偉い)に転音した。」

ともある。現代語で言うと,「えらい」になるが,

『大言海』をみると,「えらし」で,

甚大,

とあて,

「苛々しの略転にして(いこぢ,えこじ,)イラナシの義となれる語ならむ」

とし,「いみじ,甚だし,大層なり,すばらしい」の意として,

えらい出世,

の例を挙げる。しかし,『日本語の語源』の流れから考えれば,「いかし」の系譜も考えられる。口語では,「えらい」は,

偉い,

と当てるが,いわゆる「すぐれている」という意の他に,

普通ある状態より程度が甚だしい,ひどい(「えろう寒いな」「えらく人が集まった」「えらい騒ぎ),
思いかげない,とんでもない(「えらいことになった」),
くるしい,つらい(「えらい坂道」),

という使い方をする。『古語辞典』では,「いかい」は「いかし」で,

厳し,
重し,
茂し,

と当て,

「イカは内部の力が充実していて,その力が外形に角ばって現れている状態。イカメシ・イカラシ・イカリなどの語根。奈良時代にはシク活用。平安時代以後ク活用」

とあり,「勢いが盛んである」「立派で厳かである」の意の他に,

程度が甚だしい,
大層である,

という意がある。たとえば,

「いかいお世話」

とは,大変お世話になった,という意になる。『大言海』は,「厳し」と当て,

「厳(いか)を活用せしむ(凹(くぼ),くぼし),イカシ矛,イカシ御代などとあるは,終止形の,連体形様となりて接する一格なり(荒男(あらしお))。後世の口語に,イカイ事,イッカイ物,イカツイ顔など云ふは,此語の遺りなり。」

と説く。ただ,『大言海』は,「えらし」の項を立てているせいか,「いかめしい」「盛んである」「あらあらしい」という意しか載せない。

『日本語源大辞典』は,「えらい」について,

「近世語としては一般に「程度がはなはだしい」意で用い,幕末にいたって(「物事の状態などのすぐれているさま,地位・身分が高い)意が定着し始める。近世では,一般に仮名書きであったが,明治中期ごろから次第に「偉」の字を当てる表記が増え,現在に至る。」

とあるので,『古語辞典』も『大言海』も,「偉い」と当てていない理由がわかる。

こうみると,「甚だしい」という意を表した,「いかい」は,一方で,

ikai→ike,

と転訛し,他方で,

ikai→erai,

と転じたことになる。いずれにも,「いかい」のもつ程度の甚だしさを保っていたが,

「いかい」は悪意に,
「えらい」は敬意に,

それぞれシフトした,ということになるのだろうか。因みに,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/i/ikesukanai.html

は,「いけ好かない」の項で,

「いけ好かないの『いけ』は、相手に対する不快さを強調する接頭語で、江戸時代から見られる。『いけ』が付く言葉には、このほか『いけしゃあしゃあ』や『いけ図々しい』などが ある。『いけ』の語源には、『生ける』の連用形や『余計』の転などの説もあるが未詳。」

としている。なお,

いけず,

のイケは,全く別の由来で,『日本語源広辞典』には,

「『行かず(いかない)』の音韻変化で,イケズとなった語です。性質や行動などのよくない者,人格のねじけた者,意地悪な人などの意で,関西地方で多く使われる」

とある。いわば,

根性悪,意地悪,

の意だが,『大言海』の,

「不成者(いけずもの)の義。…成らずもの同義」

とあり,この逆の意の,「いける(得成)」には,

「成(い)き得るの約(書き得る,書ける)。」

として,

成し得る,行われる,できる,

の意が載る。つまり,ただ,

成し得る,

の状態表現の「いける(得成)」が,逆に,

不成(いけず),

になっただけの状態表現が,そのこと自体を評価する価値表現へと転じて,

できない→意地悪→できの悪い→ならずもの,

といった価値を表す言葉に転じたと見ることができる。

参考文献;
熊倉千之『日本語の深層: 〈話者のイマ・ココ〉を生きることば』(筑摩選書)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)


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