2017年05月05日

やまと


「やまと」とは,

「やまとはくにの まほろば たたなづく 青がき 山ごもれる 大和しうるはし」

の「やまと」である。

大和,
倭,

と当てられる。『広辞苑』には,

「山処」の意か,

とある。「山処」とは,

「(トはところの意という)山のある辺り。山」

の意とある(『広辞苑』ただし『大言海』は,「トは,タヲの約」とする)。

奈良盆地.jpg

(奈良盆地の地形図)


『大言海』は,「大和」「倭」「日本」と当てて,

「大の字は,美称。天平勝寶年中,大和と改む。此語原は,古来種々の説あれど,すべていかがなり,これは山間處(やまと)の約なるべし(たびひと,たびとの類),大和國は四方,皆山にして,中に平地あるを以てなり。山背(やましろ)に対す。又日本をヤマトと訓むは,大和より移れるなり」

とある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C

は,

「古墳時代頃に漢字文化が流入すると、『やまと』の語に対して『倭』の字が当てられるようになった。中国では古くより日本列島の人々・政治勢力を総称して『倭』と呼んでいたが、古墳時代に倭を『やまと』と称したこと、『やまと』の勢力が日本列島を代表する政治勢力となっていたことの現れとされる。
次いで、飛鳥時代になると『大倭』の用字が主流となっていく。大倭は、日本列島を代表する政治勢力の名称であると同時に、奈良地方を表す名称でもあった。7世紀後半から701年(大宝元年)までの期間に、国号が『日本』と定められたとされているが、このときから、日本を『やまと』と訓じたとする見解がある。」

と書くが,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD

の言うように,「倭」は,

「紀元前から中国各王朝が日本列島を中心とする地域およびその住人を指す際に用いた呼称。」

であり,

「紀元前後頃から7世紀末頃に国号を『日本』に変更するまで、日本列島の政治勢力も倭もしくは倭国(わこく)と自称した。」

ので,漢字の意味を知るまでは,「倭」を自称してはばからなかったことになる。「倭」は,

http://kanjibunka.com/kanji-faq/old-faq/q0362/

にあるように,

「本来『なよなよしている』『従順な』といった意味」

だけではなく,

「背が曲がってたけの低い小人」

の意もある(「倭夷」とさえ言う)。「倭」の字は,

「禾(カ)は,しなやかに穂を垂れた低い粟の姿。委(イ)は,それに女を添えた女性のなよなよした姿を示す。倭は『人+音符委』で,しなやかで丈が低く背の曲がった小人を表す。」

「倭国」等々と自称していた時代は,それでも中国(漢や魏)と外交することにメリットがあったに違いない。その意味で,『古語辞典』の,

「奈良県の一郷名に始まり,奈良県全体にわたる『大和国』の国名になり,ついで日本全体の代表名となった語。類義語オホヤシマが地理的な意味を持ち,ヒノモト(日本)が対外的な意識によって多く用いられたのに対し,天皇家の国家統一に伴って意味の拡大されて行った語らしい」

というのが意を尽くしている。『大言海』の,

「大の字は,美称」

とは言い得て,妙である。しかしその「倭」に,「やまと」と訓ませた(『古事記』や『日本書紀』では倭(ヤマト)日本(ヤマト)として表記されている)以上,「やまと」という呼称は元々あったことになる。

地域的には,

「8世紀に『大倭郷』に編成された奈良盆地南東部の三輪山麓一帯が最狭義の『ヤマト』である」

とされるが,語源は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C

に,

山のふもと説(「邪馬台国」における「邪馬台」は"yamatö"(山のふもと)),
山に囲まれた地域であるからと言う説
この地域を拠点としたヤマト王権が元々「やまと」と言う地域に発祥したためとする説,
「やまと」は元は「山門」であり山に神が宿ると見なす自然信仰の拠点であった地名が国名に転じたとする説,
「やまと」は元は「山跡」とする説,
三輪山から山東(やまとう)を中心に発展したためとする説,
邪馬台国の「やまたい」が「やまと」に変化したとする説,
「やまと」は元は温和・平和な所を意味する「やはと」、「やわと」であり、「しきしま(磯城島)のやはと」から転訛して「やまと」となり、後に「しきしま」がやまとの枕詞となったとする説,
アイヌ語で、“ヤ”は接頭語、“マト”は讃称で、高貴を意味する“ムチ”や祥瑞を意味する“ミツ”等と同根の語とする説,
ヘブライ語で「ヤ・ウマト」=「神の民」とする,

等々の諸説が載る。ただ,上代特殊仮名遣いがあり,

「奈良時代まで日本語の『イ』『エ』『オ』の母音には甲類 (i, e, o) と乙類 (ï, ë, ö) の音韻があったといわれる(上代特殊仮名遣い)。『邪馬台国』における『邪馬台』は"yamatö"(山のふもと)であり、古代の『大和』と一致する。筑紫の『山門』(山の入り口)は"yamato"であり、音韻のうえでは合致しない」

とあり, その意味から排除されていく説はある。『日本語源広辞典』は,六説載せる。

説1「山+ト(門・狭くなったところ)」で,山に囲まれた狭い処,山国の意,
説2「山+ト(処・ある処)」で,山の国の意,
説3「日本を意味するヤマト」。意味的に変化させて使用した語。
説4「ヤマト島の中心」の意,
説5「山本」の転,三輪山の麓の意,
説6「山外」で,難波から見て生駒山の外の国の意,

『日本語源大辞典』は,十数説を載せる。

天地がわかれてまだ泥が乾かなかった頃,人は山に住み,往来してその跡が多く見られたところから,山跡の義(和歌童蒙抄・日本紀私記・塵袋・一時随筆・類聚名物考),
ヤマト(山跡)の義(柴門和語類集),
山止の義。止は居住の意の古語(日本紀私記・一時随筆),
昔は人が見な山に住んだところから,山戸の義(万葉考別記・類聚名物考),
山に囲まれ,皆山門から出入りするところから,ヤマト(山門)の義(万葉考別記・類聚名物考),
トは処の義(和訓栞),
トは上代語で,山の間・山のふもとの意(大和朝廷=上田正昭),
ヤマト(山間処)の約か(大言海),
生駒山の外にあるところから,ヤマト(山外)の義(日本釈名・類聚名物考),
イヤマトコロ(弥真所)の義(日本語原学),
ヤモト(陽根)の転(和語私臆鈔),
エンハト(蜻蛉所)の義,またヤンマト(野馬所)の義(言元梯),
蜻蛉はヤマ(野馬)であるところから,秋津洲をヤマトトという(天保佳話)

語呂合わせでなければ,そもそも自分の四囲を名づけたはずだ。外からの視点や俯瞰する視点は,後知恵に過ぎない。とすれば,

山,

に絡まり,上代特殊仮名遣いから外れないものというと,ヤマト(山門)を外して,

「山+ト(門・狭くなったところ)」
「山+ト(処・ある処)」
「トは上代語で,山の間・山のふもと」
「ヤマト(山間処)」

等々に絞れてくる。しかし,原ヤマトが,

奈良盆地南東部の三輪山麓一帯,

とするなら,

「邪馬台国」における「邪馬台」は"yamatö"(山のふもと),

説に惹かれる。なお,「やま」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/448386982.html

で触れた。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9B%86%E5%9C%B0
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm

posted by Toshi at 04:49| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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