がんばる
「がんばる」は,通常,
頑張る,
と当てる。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ka/ganbaru.html
は,その語源を,
「頑張るは、江戸時代から見られる語で、漢字は当て字である。 頑張るの語源は、二通りの説がある。 ひとつは『眼張る(がんはる)』が転じて『頑張る』になったとする説で、『目をつける』や『見張る』といった意味から『一定の場所から動かない』という意味に転じ、さらに転じて現在の意味になったとする説。
もうひとつは、自分の考えを押し通す意味の『我を張る』が転じ、『頑張る』になったとする説である。
『眼張る』の説が有力とされるが、東北地方の方言『けっぱる』は『気張る』から、『じょっぱり』は『情張る』からであるため、『我を張る』の説が間違いとは断定できない。」
とする。しかし,『広辞苑』は,「がんばる」で,二項目立てる。ひとつは,
眼張る,
と当てて,
目を付ける,見張る,
という意味を載せ,いまひとつは,
頑張る,
と当てて,
「頑張る」は当て字。「我に張る」の転,
として,
我意を張り通す,
どこまでも忍耐して努力する,
ある場所を占めて動かない,
の意を載せる。『広辞苑』の解釈では,
頑張る,
と
眼張る,
は別の語ということになる。しかし,『江戸語大辞典』には,
眼張る,
が載り,
眼を頑と書くは非,
とし,
量目を大きく見開く,転じて,見張りをする,監視する,見逃さないように気をつけて見る,
目をつける,ねらう,
という意味しか載せない。『岩波古語辞典』も,
目をつけて見張る,
意で,
眼張る,
しか載せない。『大言海』は,
「我張(がば)るの音便。樏(かじき),がんじき」
とし,
我意を張るの口語,
と載る。『日本語源広辞典』は,
「『眼+張る』です。頑張るは,当て字。広辞苑は『我に張る』語源説ですが,これは語源俗解で,正しくありません。『眼張る』は,かっと目をむいて,能力一杯につとめる意です。『―張る』を語源とする言葉は,気張る,威張る,などあり,庶民の生活の中から生まれた言葉のようです。」
とするが,そうだろうか。
かっと目をむいて,能力一杯につとめる意,
とは,少し拡大解釈過ぎる。『江戸語大辞典』の使用例をみるなら,
「大道をがんばって,かな釘一本でも落ちて居る物を拾(ひら)ふ」
「さっきに跡の松原で,がんばって置イた金の蔓」
と,見逃さない,とか,目をつける,意で,そういう意味とは程遠い。『江戸語大辞典』が,
「頑は非」
とする以上,その頃から,
眼張る,
に,
頑張る,
と当て字されていたのではないか。敢えて言うなら,もともと,見逃さない意の,
眼張る,
という言葉があり,それに,『日本語の語源』の言う,
「強情者のことをガイハリ(我意張り)といい,子音を添加してガニハリになった。〈理を非に曲げて,東路に帰れといふほどガニハリ者〉(浄・隅田川)。『ニ』が母韻[i]を落として撥音化し,ガンバル(頑張る)になり,『困難に屈せず努力する』意にかわった。」
というような音韻変化の,
我意張る→頑張る,
とは両立していたのではないか。その意味で,両者を別語とした『広辞苑』に見識を見る。しかし,
眼張る,
よりは,
頑張る,
の方が流通するに至って,「頑張る」が主流になり,「眼張る」を,逆算して,語源と見なしたのではないか。『日本語源大辞典』が,「頑張る」の語源説を,
ガバ(我張)ルの音便(大言海),
ガ(我)ニハ(張)ルの撥音便。雅言考を折らぬ,我を張るの意。『眼張る』は別語(上方語源辞典),
と載せた上で,
「江戸中期より用例の見える『眼張る』(目をつけておく,また,見張りする,などの意)から出た語とする説もある。」
としているのは,これも見識である。
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;
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今日のアイデア;
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