「かんばせ」は,
顔・容,
と当てる。
「カオバセの転」
とある(『広辞苑』)。
顔つき,容貌,
という状態表現の意から,
体面,面目,
という価値表現へと転じている。最近聞かないが,
何のかんばせあって相まみえん,
といった使い方をする。『日本語源広辞典』には,
「顔+馳すの連用形。馳せ(顔+心ばせ)」
とあり,
「顔の様子,顔つき,などの意です。転じて,面目」
とある。『日本語源大辞典』には,
カホバセの義(大言海),
カホハシ(名言通),
の二説を載せるが,『大言海』は,
かほばせの音便,
とし,「かほばせ」の項には,
ころばせの語源をみよ,
とある。「こころばせ」の項には,
「心馳の義。心の動きの状を云ふ。こころざしに同じ。類推して,顔様(かんばせ),腰支(こしばせ)など云ふ語あり。かほつき,こしつきにて,こころばせも,こころつきなり」
とある。
心の向かうこと,心ばえ,こころざし,
という意味になる。心ばえについては,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163582.html
「映え」はもと「延へ」で,外に伸ばすこと。つまり,心のはたらきを外におしおよぼしていくこと。そこから,ある対象を気づかう「思いやり」や,性格が外に表れた「気立て」の意となる。特に,心の持ち方が良い場合だけにいう,という意味であった。
は(馳)せ,
は,
ハシリ(走)と同根,
とある。
走るように早く行く,
という意味で,
心を馳せる,
という意味で使う。だから,
「心+馳せ」
で,「心の動き」を言う(『日本語源広辞典』)。しかし,そういう状態表現から,
心のゆきとどくこと,たしなみのあること,
といった価値表現へと転ずる。『日本語源大辞典』は,
「性格・や性質にもとづいた心の働き,人格を示すような心の動き,才覚,気転の程を示すような心の動き」
と意味を載せる。
心が先へと走る,
という心の状態,働きが,
先へ先へと気(配慮)が回る,
と,そのもたらす効果というか,価値を指すように転じたというのがよく見て取れる。「心ばえ」は,
その性格がおのずと外へ出る,
と言っているのに対して,「心ばせ」は,
その振る舞いが外へ出ている,
ということだろうか。「かんばせ」は,そういう様子だと言っていることになる。
「かほ(顔)」について,『岩波古語辞典』は,
「表面に表し,外部にはっきり突き出すように見せるもの。類義語オモテは正面・社会的体面の意。カタチは顔の輪郭を朱にした言い方」
としているが,『大言海』は,「かほ」を,
姿形,
と当てて,「なりすがた」の意と,
顔,
と当てて,「顔面」の意とに分けている。「顔」で提喩的に,その人全体を表現する,という意味になる。
もともと「顔」自体に,「顔面」の意以外に,
体面,
という意味を持っているが,「かんばせ」と言ったとき,「顔」で何かの代表を提喩するように,
そのひとそのものの,
提喩でもある使い方になっているのではあるまいか。その意味で,
オモテ,
とは言い得て妙である。
中将
参考文献;
http://museum.city.fukuoka.jp/archives/leaflet/306/index.html
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm