2017年06月01日

メタ・メッセージ


ポール・L.・ワクテル『心理療法家の言葉の技術―治療的なコミュニケーションをひらく』を読む。

心理療法家の言葉の技術.jpg


著者は,「訳者(杉原保史)あとがき」によると,

「ニューヨーク大学で教鞭をとる臨床心理学者であり,心理療法家である。心理療法家として彼は対人関係論的な精神分析の立場から出発したが,早くから行動療法や家族療法に対しても開かれた態度を取り,これら多学派の心理療法をも真剣に考察する中で,もはや自学派の伝統にとどまることができなくなり,循環的力動論という新たな治療体系を提唱するに至っている。」

とある。本書の意図は,明確である。『日本語版』への序文で,著者は

「本書のかなりの部分は,微妙な言葉のあやについて論じています。つまり,何かを言葉にする際のちょっとした違いが,その治療的影響力(非治療的影響力)に大きな違いをもたらしうるということを論じています。また同様に,本書のかなりの部分は,同じ内容のメッセージでも,違った形で伝えられると,その情緒的なトーンは大きく異なってくる,ということを論じています。」

と述べ,本書の焦点が,治療的コミュニケーションにおける,治療者の言葉のもつ,

焦点メッセージ(focal message),

メタ・メッセージ(meta-message),

にあることを明確にしている。「焦点メッセージ」とは,

治療者が自分が伝えていると考えているもの,

つまり,

メッセージの内容である。それに対して,「メタ・メッセージ」と著者が呼んでいる概念は,メタ化されたメッセージではなく,

治療者がしばしば知らぬうちに,あるいは,無意識のうちに伝えているもの,

つまり,

メッセージの情緒的で関係的な側面,

を指している。それは,たとえば,

治療者がその患者を好きかどうか(尊重しているかどうか),
その患者がしたことや言ったことを承認しているか不承認か,
患者の変化の可能性について楽天的か悲観的か,
その患者に情緒的に関与しているか距離があって情緒的に関与していないか,

等々を含んでいるという。セラピスト―クライエント関係でのコミュニケーションと言えども,

相手に伝わったことが自分が伝えたことだ,

という原則は変わらない。治療家が自分のコミュニケーションおいてどうすれば,伝えるべきことを伝えられるか,伝えるべきでないことを,伝えないようにするか,というとき,

何を,

に焦点が当たるが,

どのように伝えるか,
どういう言い回しにするか,

が重要になる。僅かの言い換えで,ニュアンスが大きく変わる。本書は,事例に基づいて,具体的に展開される。ただ,精神分析出自であるために,精神分析を強く意識し,正統はからの批判に対する反論を縷々展開する部分は,時に,煩雑という印象を受ける。

当然,メタ・メッセージには,言葉だけではない。ノンバーバルの,声や振る舞い,表情なども含まれる。

「タイミング,声のトーン,ボディランゲージ,これらすべてが治療者の言葉かけの影響力に実質的に寄与している。(中略)しかしその中でもわれわれが最もコントロールしやすいのは言葉である。われわれにとって,声のトーンについて気づいたり検討したりするよりも,言葉について気づいたり検討したりする方が容易である。」

本書では,メッセージの伝え方に焦点が当てられている。

ところで,著者は,セラピストが使う,

クライエント,

という表記をしない。「患者」とするに至った理由を,

「患者という言葉のラテン語の語源は『苦しむ者』であるが,クライエントという言葉の語源は『依存する者』」

だとワークショップの参加者から示唆されたからだという。

「『クライエント』という用語は,その関係の職業的な側面を強調しすぎる…。たとえば公認会計士はその取り組みの相手をクライエントと呼んでいる。心理療法家がそれと同じ言葉を用いるのは,私には満足のいかないことと感じられる…。(中略)患者という言葉が相手の品位を傷つけたり見下したりするような意味合いを帯びているかもしれないという理由からこの言葉を避けるのであれば,それに代わってクライエントという言葉を選択するのはあまり適切とは言えない。」

ここにも,著者の「本書のテーマ」である言葉の内容とそれのもたらす陰翳についてのひとつのこだわりが見受けられる。たしかに,来談者は,クライエント(依頼人)ではないし,クライアント(顧客)でもない。

著者が示す例を見ていくと,興味深いことに気づく。たとえば,「患者」の,

強さ認めようとするところ,
小さな変化を認めて伝えるところ,
僅かな変化を言語化するところ,

等々で,

何がそれを可能にしたのでしょうね?

という問いなど,

そんな大変な中で,どうしてそんなことができたのですか?

というソリューション・フォーカスト・アプローチのコンプリメントですることとほとんど同じである。あるいは,

患者の物語をリフレーミングして見せるところなどで,

「もしそれが患者にとって説得力があり,患者の一貫性の感覚を増大させ,人生の物語を見直させて新しい可能性の扉を開くような,患者の人生についての新しい理解を伝えているなら,それはよい解釈なのである。」

というところは,ナラティブアプローチと差はない。あるいは,

「患者の生活体験を形成し媒介している,感情を帯びた表象を患者が再構築するのを助けることがいかに重要だとはいえ,この道筋からだけでは持続的で意味のある変化は得られない。内的表象の変化と並行して,患者の顕在的な行動が変化しない限り,つまり患者の困難の中心を占めてきた悪循環が変わらないかぎり,どのような内的表象の変化も不安定かつ束の間のものにとどまるであろう。」

と,悪循環を断とうとするところなどは,MRIと指向は変わらない。結局,セラピーの最前線での問題意識は,ほとんど変わらないのだ,ということに気づかされる。

さてしかし,言葉の技術にのみ力点を置けばいいのか,ということについて,捕逸の著者(エレン・F・ワクテル)は,末尾で,こう釘をさすことを忘れない。

「結局のところ,いかかなる心理療法的アプローチもそれを行っている治療者次第なのである。心理療法は厳密科学ではない。心理療法においては,完全に明瞭に説明することなど不可能なニュアンスに対する感受性が要求される。また,どの学派のそれであれ,心理療法というものは広大でまだほとんど探究されていない領域についての非常に暫定的な地図にすぎない,ということを進んで認める姿勢が要求される。本書に記述されている治療的コミュニケーションの諸原理は治療実践家にとって非常に有用なものであり,幅広い事例において治療者の能力を高めてくれるものだと私は信じているけれども,それらは決して優れた治療家を特徴づける個人的な諸特性の代わりになるものではない。」

参考文献;
ポール・L.・ワクテル『心理療法家の言葉の技術―治療的なコミュニケーションをひらく』(金剛出版)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm

posted by Toshi at 05:12| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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