2017年06月09日
李下の冠
李下の冠,
つまり,
李下に冠を正さす,
は,今日,死語である。いやいや,そもそも(基本的などという意味ではない。ここでは元来という意味),そういう言葉自体を知らない恐れがある。
李下の冠,
は,
李下の冠瓜田の履,
とセットで言われる。出典は,
古楽府「君子行」(『楽府詩集』巻三十二、『古詩源』巻三、『古詩賞析』巻五など),
とされる。「君子行」は当時から広く流布していた、一種の処世訓を示した民間歌謡であったという。
君子防未然、不處嫌疑間。瓜田不納履、李下不正冠,
すなわち,
君子は未然に防ぎ、嫌疑の間に処(お)らず。瓜田に履(くつ)を納れず、李下に冠を正ださず,
である。これは,
君子は未然に防ぎ
嫌疑の間に処(お)らず
瓜田に履を納(い)れず
李下に冠を正さず
嫂叔は親授せず
長幼は肩を並べず
労謙にして其の柄を得
和光は甚だ独り難し
周公は白屋に下り
哺を吐きて餐に及ばず
一たび沐して三たび髪を握る
後世、聖賢と称せらる」
と続くそうだ。
http://www.asahi-net.or.jp/~bv7h-hsm/koji/rika.html
によると,こんなエピソードが載っている。
「紀元前356年、斉の国では威王が即位する。この威王、即位したのに国政を大臣に任せきりで一切自分はタッチしようとしない。・・・実は凡庸なふりをしてじっと臣下の行状を見極めていたのである。そんな中、王が国政にかかわらないのをいいことに、『周破胡』という大臣が好き勝手に国を動かしていた。彼は取り巻きに囲まれて私腹を肥やし、清廉潔白な人々を嫌ってかたっぱしから排除した。
これを見かねた威王の寵姫『虞氏』は、
「どうぞ『周破胡』を除いて、賢者として名高い北郭先生を起用されますように」と進言した。
ところがこれを知った『周破胡』、逆に
「『虞氏』は後宮に入る前、北郭先生と関係があったのだ」と讒言したのである。
彼の讒言を信じた王は彼女を幽閉し、係官に訊問させたが、この係官も『周破胡』の息がかかった人物で、彼女の供述をことごとく捻じ曲げて王に報告した。
さすがの王もなんかへんだぞと不審に思い始め、彼女を召しだしてじきじきに問いただしてみた。
すると、『虞氏』は
『磨けば玉となる名石は、たとえ泥にまみれて汚れたといえども卑しめられず、また柳下恵というお方は、冬の夜に凍えた女を寝床にいれてその体を温めてやったからといって、男女の道を乱したと他人に非難されることはこれっぽっちもなかったと聞き及んでおります。これは日頃から行いを慎んでいたればこそ、人に疑われずにすんだのでございます。わたくしに罪があるとすれば、瓜田に経るには履を踏み入れず、梨園を過ぐるには冠を正さず、という戒めを守らなかったことがその一、
幽閉されている間、誰一人わたくしの真実の声に耳を傾けて下さらなかったということでわかったように、私が日ごろから人々の信頼を得ていなかったということがその二、でございます。』
と、まず自己の不明を王に詫びたのである。
そして、『周破胡』が国政をもっぱらすることの危険性を切々と王に訴えた。
即位してすでに9年、威王は親政に乗り出すべき時のきたことを悟り、彼女の幽閉を解く一方で、『周破胡』を煮殺し、国政を刷新したのである。」
ついでながら,
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には,三遊亭圓朝『怪談牡丹灯籠』の,
「御大切の身の上を御存じなれば何故夜夜中よるよなか女一人の処へおいでなされました、あなた様が御自分に疵きずをお付けなさる様なものでございます、貴方だッて男女七歳にして席を同じゅうせず、瓜田に履を容れず、李下に冠を正さず位の事は弁わきまえておりましょう。」
という例も載る。そんな使われ方もする,「李下の冠瓜田の履」は,言うまでもなく,
「すももの木の下で手を上げれば果実を盗むかと疑われるから,冠が曲がっていても,そこでは手を上げて正すべきではない」
「瓜畑で履が脱げても,売りを盗むかと疑われるので,履き直すな」
という意味で,
人から疑いをかけられるような行いは慎むべきであるということのたとえ,
である。しかし,そもそも「個別案件」,しかもおのれの縁者(岸信介の外孫,つまり安倍首相とははとこの関係と言われる)に関わるような案件を自らが,税金を使って助成しようとすることは,一国の首相のなすべきことではないことは勿論だが,仮に私企業であっても,適格性の判断を埒外に置いており,投資案件としても,業務上の横領を疑われても言い訳できないような事案である。しかも,その案件を通すために,公的決裁ルートを待たず,ダイレクトに担当者に決裁を促すなどということは,オーナー企業ですら組織としてはいかがかと思うが,通常の私企業では,株主に対し説明がつかないだろう。まして,ことは,税金の使い方に関わる事柄なのである。
この場合,僕は,
モラル・ハザード,
以前の問題である,と思う。モラル・ハザード(moral hazard)とは,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%89
によると,3つの異なる意味がある,という。
①プリンシパル=エージェント問題。経済学のプリンシパル=エージェント関係(「使用者と被用者の関係」など)において、情報の非対称性によりエージェントの行動についてプリンシパルが知りえない情報や専門知識がある(片方の側のみ情報と専門知識を有する)ことから、エージェントの行動に歪みが生じ効率的な資源配分が妨げられる現象。「隠された行動」によって起きる。
②保険におけるモラル・ハザード。保険に加入していることにより、リスクをともなう行動が生じること。広義には、①に含まれる。
③倫理の欠如。倫理観や道徳的節度がなくなり、社会的な責任を果たさないこと(「バレなければよい」という考えが醸成されるなど)。
しかし,「③.の意味は英語の「moral hazard」にはなく日本独自のもの」で,本来,「倫理・道徳観の欠如・崩壊・空洞化」という用法はない,のだという。
ま,それはともかく,
倫理・道徳観の欠如・崩壊・空洞化,
以前というのは,このところの一件は,そもそも(繰り返すが基本的などという意味ではない。元来が)そういう倫理観ではなく,それとは別の,
私利私欲,
利権,
業務上の横領,
盗人倫理,
ということを当たり前としている,としか見えないからだ。そもそも国の柱石である憲法を,おのれの私意(あるいは趣味)で,変えることを広言してはばからず,それを誰も咎めないということは,この国自体が,
モラル,
などというものを持たぬ,ということでしかない。残念ながら,洋風に言えば,
ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige),
は,建前としてすら,どこにもない。これは,
位高ければ徳高きを要す,
という意味らしいので,儒者流に言えば,
命を知らざれば,以て君子たること無きなり。礼を知らざれば,以て立つこと無きなり。言を知らざれば。以て人を知ること無きなり,
あるいは,
名正しからざれば則ち言順わず,言順わざれば則ち事成らず,事成らざれば則ち礼楽興らず。礼楽興らざれば則ち刑罰中らず,刑罰中らざれば則ち民手足を措く所なし,
というところか。少なくとも,かつては,上に立つものは,この心ばえについて,建前だけにしても,厳守するふりをした。でなくば,上に立つ資格はないと見なされたからだ。今日,そんなものの欠片もない。むしろ,人としての,
自己倫理,
すら持たぬ。自己倫理とは,
ひとはいかに生くべきか,
というコアの自己規制だ。それの無きものは,ずぶずぶと,泥沼にはまっても気づけぬ。後ろめたさも感じない。悪いこととは思わぬからだ。そういうものをトップに戴く国に未来はない。それを戴くのを選んだのは国民自身だからだ。
なお,ノブレス・オブリージュについては,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/396122656.html
で触れた。
参考文献;
http://www.asahi-net.or.jp/~bv7h-hsm/koji/rika.html
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm
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