いつくしむ
「いつくしむ」は,
慈しむ,
と当てる。『広辞苑』には,
「動詞イツ(傅)クから」
とある。「いつく」には,
斎く,
と当てるものと,
傅く,
と当てるものとがある。「傅く」は,
斎く,
の転とある。意味は違い,
大切にかしずく,大事に世話する,
である。「斎く」は,「斎宮」の「斎く」で,
身心の穢れを浄めて神に仕える,
意味である。「いつくしむ」の元は,『大言海』によると,
「形容詞の美麗(イツク)しの終止形を活用せしめたる語。イツクシブとも云ふ。音通なり(怪(あや)し,あやしむ,あやしぶ。悲し,かなしむ,かなしぶ)。美麗(いつく)しきものは,慈愛(いつく)しく思ふなり。又,うつくしむ(慈愛)と云ふごあり,全く同義にて,音通なり(抱く,うだく,偽る,うつはる)」
で,
愛づ,かはゆがる,
という意である。「いつくし」をみると,二項あり,
いつくし(厳然),
は,「おごそか」という意味で,
「斎くの終止形を活用せしめたる語なるべし(和(な)ぐ,なぐし)。斎くより厳かなる意に移れりと思はる」
とあり,「うつくし」「うねわし」の意の,
いつくし(美麗),
は,
「前條のおごそかなる意より転じたるならむ。親愛(うるは)しの,友善(うるは)しとなるが如し。此の語,音を転じて,美(うつく)しともなる。」
とある。で,「いつく」をたどると,
斎く,
傅く,
とあり,「斎く」は,
「イは,斎(い)むの語幹(斎垣(いみがき),いがき,斎串(いみぐし),いぐし)。ツクは,附くなり,カシヅクと同じ。斎(い)み,清まりて事(つか)ふる意」
で,「傅く」は,
「前條の,神に云ふ語の,愛護の意に移りたるなり。集韻『傅,音符近(ちかづく)也』説文『相(たすく)也』」
と載る。『広辞苑』もほぼ同じで,「いつくし」に,
慈し,
厳し,
美し,
と当て,意味は,
神意がいかめしい,また,威厳がそなわっている,
という意味で,そこから,
品があって,うつくしい
へと広がったようだ。つまり,下から,上へ崇めていた視線が,ほぼ180℃転倒して,上から,下へ,尊崇から,愛護へと転じたということになる。そして,ついには,美しい,という価値表現へとシフトしたことになる。
この転換の経緯は,『岩波古語辞典』に,
「もともと慈愛の意はウツクシミといったが,形容詞ウツクシが肉身的愛情のある意から,美しいという意を表すように転じたため,ウツクシミと慈愛との結びつきがむづかしくなった。そこへ,イツキという語が,斎戒・奉仕する意から,大切に養育する意に転じて来た結果,ウツクシミとイツキが混合してイツクシミという語が室町時代に生じた。」
とある。「斎児(いつきご)」という言葉があり,
大事に育てている子,
という意味である。恐れ畏んで,仕える対象が,威厳のある者から,その関連する者にシフトし,やがて,相手が,180度転倒していく,ということになる。
「いつ(稜威・厳)」は,
「自然・神・(神がこの世に姿を現した)天皇が本来持つ,盛んで激しく恐ろしい威力。激しい雷光のような威力。イチシロシイ・イチハヤシのイチは,このイツの転」
とある(『岩波古語辞典』)。
『日本語源大辞典』によると,
(いつくしむは)「ふるくは『うつくしむ』であったが,中世末ごろ,『いつくしむ』が生じた」
とある。
いつくし→うつくし,
へと転じたことから,「うつくしむ」を「うつくし」との区別のために,「いつくしむ」と転訛させたのではないかと想像される。
もともと,「いつ(厳)」から派生し,
「本来は神や天皇の威厳を示す意であり,平安朝においても皇族に用いられた例が多い。室町時代以降,『大切にする』意の『いつく』や慈愛の『うつくし』との混同が生じ,更にそれが進むと『いつくしむ』という動詞まで派生し,逆に本来的な霊威の概念は後退する。」
とある。
いつく→いつくし→うつくし→いつくし(慈し),
いつく→いつくし→うつくし(美し)
と,意味に合わせて変化したということになる。漢字を立てる書き言葉でなくて,口語であれば,転訛させなければ,意味が伝わるまい。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm
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