2017年06月28日

短期療法


スティーヴ・ド・シェーザー『短期療法 解決の鍵』を読む。

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本書を読むと,今日のソリューション・フォーカスト・アプローチを知っているものから見て,ソリューション・フォーカスト・アプローチを確立するまでの,スティーヴ・ド・シェーザーの,エリクソンを出発点として,そのへその緒を引きずりつつ離陸していく様子がよく見える気がする。ときに,MRIの色合いが見えたり,家族療法のシステムズ・アプローチの翳が見えたり,と,さまざまな試行錯誤が垣間見える。

しかし,まえがきで,

「クライエントがセラピストにもちこむ主訴はドアの錠前である,(中略)介入は,解決をひきだすかたちでフィットしさえすればよい。錠前の複雑にところにぴったりと合う必要はないのだ。主訴がこみいっているからといった,解決もこみいっている必要はない。」

と述べ,さらに,

「本書で述べる(中略)モデルは過去に対してはほんの限定された注意しかはらわない。そのすこしの注意は,ほとんどもっぱら過去の成功にむけられる。他の短期療法のモデルとは異なり,このモデルは主訴の細部には,わりに少ししか注意をはらわない。そのかわり,問題が解決したとき,クライエントはどのようにそれがわかるのか,に焦点をあてる。焦点はほかにもあてられる。クライエントがどんな『自分のためによいこと』をしているかに,である。『うまくいっていないもの』に,ではない。」

と,まだそう名づけられてはいないが,ソリューション・トークへと強く意識的に方向づけられている。

本書は,まず,エリクソンの引用から始まる(のもまた象徴的である)。

「エリクソンは,59歳の男の治療について述べている。このひとは右腕のヒステリー性まひで,ついに職を失い年金ももらえなくなるという関連した脅威に直面していた。エリクソンはこの患者につぎのように話した。『あなたの病気は進行性の症状群で,このまま右手を使っていると結局右の手首が凝ってきますよ』。予言のとおり,このマヒは手首がわずかに凝るところまで進行し,男は職場に復帰することができた。エリクソンによれば,このケースや他の似たケースでは,
 『じっさいに存在する神経症的能力低下のかわりに,べつのものをもってきた。つまり種類としては比較可能で,能力低下のない性質で,かつ症状的には,建設的に機能するパーソナリティとしてのかれを損なわせないもの,をもって代理させたのである。結果的にはどちらも,その援助と刺激をうけいれ,良好な現実適応が可能になった』
 思うに,これこそ短期療法である。≪クライエントがもたらしたものを利用して,その欲求にあわせて,自分で満足できる生活をつくれるようにすることである≫。エリクソンが述べているように,なにか『底にあって原因になっている非適応』を矯正しようとくわだてたわけではないし,なにも必要としなかった。」

こんなエリクソンを手掛かりに,随所で,試行錯誤しつつ,仮説を得ては,それを検証し続けていく。たとえば,

「次のような着想をえた。必要なのは小さな変化。したがって小さな,ほどよい目標だけ,それのみがセラピストとクライエントの協力関係をはるかに容易に発展させるのだ,と。短期療法の他のモデルとのちがいは,短期療法の発想にある。つまり,『どんなにおそろしい状況,どんなに複雑な状況であろうとも,ひとりの行動に一つの小さな変化がおきればよい。それによって,関係するすべての人びとの行動に深い広範な変化を産み出すことができる』という考え方である。(中略)解決が解決であることが解決なのだ。システム内に変化をひきおこすには小さな変化しかいらないのだから,問題と解決をうまく構成するさい人数は関係ない。短期療法家にとっては『患者』が問題なのだ。」

と。これもまた,エリクソンの次の言葉と,反照し合っている。

「あなたのもとへやってくる患者は,自分が『なぜ』きたのか,ほんとうは知らない。だから,くるのだ。かれらは問題をもっている。またもし自分がなんであったか知っていたら,こなかったであろう。自分の問題が『ほんとう』はなにか,知らないから,あなたにも言えない。自分が考えた,ごたごたした説明を述べるしかしようがない。そしてあなたは,『あなた』の背景のもとにそれをきく。だから,かれらの言うことがわからない。しかし,わからないということがわかるだけ,まだましだ。そこで,患者に変化をひきおこす『なにか』をしなければならない…。どんな小さな変化でもかまわない。なぜなら,患者は変化を望んでいる。どんな小さなものでも,変化がほしい。だからそれを『変化』としてうけいれるだろう。かれはその変化の『程度』を,はかることをやめないだろう。それを変化としてうけいれ,その変化に従い,その変化は自分の欲求にしたがって発展するだろう。…あたかも雪玉がころがりおちるようなものだ。小さな雪の玉がころがるにつれて大きくなり…ついにはなだれになって,その山のかたちにおさまる。」

そして,いくつかソリューション・フォーカスト・アプローチの技法として知られるものの端緒も,随所に垣間見える。たとえば,例外。

「新たな反応を選択するさい,この法則の例外を見つけると役立つことがわかった。『なにか別のことなんてまったくない』と言うのは,あまりにも鈍感なようだ。仮にその子のベッドが昨夜もぬれており,一昨夜もまたその前の晩も,となると,『この子は毎晩おねしょする』と,言われてしまう。たくさんもらした晩もあれば,少ししかもらさない夜もあった,というのに。また日によってちがった時刻にもらしたかもしれないし,たぶんシーツがいつもおなじということはなかったろう。いつもおねしょすると見られているけれど,もらさない夜だって時どきはあるだろう。法則の例外である。(中略)これらの例外はしばしば見のがされてしまう。ちがいがあまりに小さく,またあまりにおそいので,変化などもたらすはずがない,と思われているからだ。」

また,今日だと,イエスセットやコンプリメントとして知られるものについても,エリクソンを導き手に,

「治療的暗示の導入を容易にするために,セラピストはほめことばを言う。あなたがしていることは自分のためにとてもいいことですよ,という趣旨を伝えるのである。主訴にかかわることでも,無関係なことでもかまわない。ほめことば,あるいは『おせじ』の目的は,『「はい」の構え』をつくることである。…これは治療的課題や指示のような,新しいものをうけいれる心の枠組みのなかに,クライエントをみちびくのに役立つ,これらの課題,指示,および暗示は,本質的には後催眠暗示として構成されており,避けがたい出来事と,むすびつけられていることが多い。避けられない出来事なので,それが『ひきがね』のはたらきをして,クライエントになにかちがったことをさせることになる。」

と。あるいは,過渡だと感じさせるのに,エリクソンの,

水晶球テクニック,

と呼ぶものがある。著者は,「自己流にこのテクニックを用い」て,

「クライエントに,成功した未来(つまり主訴が解決したとき)の自分の姿を見せる」

ということを試みている。

「わたしは,クライエントをトランスにみちびいて,一つまたは複数の水晶球のなかに自分の未来を見せるだけでも,十分行動の変化をもたらし,解決にみちびきうることを知った。(中略)水晶球テクニック…によって,クライエントは,問題が解決したのちの自分の世界がどんなふうに見えてくるかを知ることができる。『こんなことがおきるといいな!』という期待が,いま進行中のことやこれからはじまろうとしていることを潤色,または『決定』する。(中略)変化がおきるというのは,条件があるかたちで変わる,ということであろう。けれどもその過程自体が期待維持の行動をひきおこすのである。期待はあとにつづく出来事の性質を決定するのに役立つ。したがって,期待が変われば行動が変わることはあきらかだ。」

次の言葉は,実に象徴的である。

「短期療法家は,変化についてクライエントに語るとき,変化がおきるということに関しては疑問の余地を残さない。
 これは単純なことばのおきかえの問題である。…『もしも』のかわりに『いつ』を,もってくるのである。『もしおふたりが喧嘩をやめたら,どんなことがおきると思いますか』ではなく,むしろ『おふたりが喧嘩をやめたとき,どんなことがおきると思いますか』なのだ。」

あとは,どうノウハウをスキルとしてメタ化するかだけのように見える。ソリューション・フォーカスト・アプローチは,もうすでにある。

参考文献;
スティーヴ・ド・シェーザー『短期療法 解決の鍵』(誠信書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm

posted by Toshi at 04:52| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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