2017年07月06日
小さな一歩
ユージン・ジェンドリン『セラピープロセスの小さな一歩』を読む。
本書は,フォーカシングの創始者ジェンドリンの,
「セラピープロセスの小さな一歩」(講演速記)
「体験過程療法」
「人格変化の一理論」
を,訳者でもあり,編者でもある池辺陽氏が,解説をつけた書である。本書の狙いを,池辺氏は,フォーカシングの技法についての翻訳はあるが,哲学者でもあるジェンドリンの理論書が,
『体験過程の意味の創造』
しかないことから,「本来,哲学者であり,理論家であるジェンドリンの技法だけが紹介され,その優れた理論が日本語になっていない」ことを惜しみ,訳者(池辺陽・村瀬孝雄)が,「歴史的と思われる」代表的論文を集約したと,「本書の特徴」で述べている。
小さな一歩とは,セラピストとクライエントとの間で起きる,
クライエントの変化,
を指している。ジェンドリンは,
クライエント・センタード・セラピーには,
あるリズムがあります。
まず初めに,クライエントが何か言います。
あなたはそれを言い返すのですが,
それはどこかはずれています。
それからクライエントはそれを修正するのです。
あなたは修正を受け入れ(言い返します)。
それでも彼らは言います。
「ええ,そう,…でもピッタリじゃない」
彼らは次の絞り込みを示してきます。
あなたはそれも取り入れます。
それから彼らは一息ついて,
「そうです」といいます。
そのあと独特の沈黙がそこにあります。
その沈黙の中から次のことが浮かんできます。
通常,次に浮かんでくることは,
もっと深くなっています。
あなたはそれをリフレクトし,
また彼らはそれを修正します。
あなたは修正を取り入れます。
彼らはさらに特定の条件を加えます。
あなたはそれも取り入れます。
再び一息ついて,そしてあの沈黙。
あの沈黙はとても独特です。
(中略)
話そうと準備してきたものは,
傾聴され,応答されました。
もう話すことはなくなっています。
にもかかわらず,その問題は感受できます。
もちろんそれは解決されていません。
あなたはそのその事柄の不明瞭な実感,
不明瞭な縁(edge)をもっています。
すぐそこに。
あなたはそれをからだで実感します。
言葉はそんなにいらないのです。
(中略)
もしもセラピストという相手と一緒にいるときは,
その沈黙の中にいてほしい。
すぐそこに,
不明瞭な実感から次のものが現れるまで。
「フォーカシング」という言葉は,
あの内面に感じられた縁に注意を向けるために時間をかける
ということを意味します。
それが沈黙の中で起こるとき,
次なるものが,そしてさらに,その次なるものが,
深いところから,さらに深いところから,
徐々に表れるのです。(「セラピープロセスの小さな一歩)
と,それを表現する。本書は,その沈黙を通過して,何が起きているのかを,明らかにしようとする試みといっていい。大事なことは,この一歩は,
相互作用のプロセス,
だということである。だから,
あの縁が一歩を生み出すのに必要なものは,
ある種の非侵襲的な接触,あるいは共にいることなのです。
(中略)
あなたがそこにいること,
それだけを必要としているのです。(仝上)
と。そのプロセスを,
体験過程(experiencing),
と名づけ,それについて,「体験過程療法」では,
「ある瞬間において人が感じることは,いつも相互作用的で,それは無限の宇宙や状況の中で他の人々や,言葉やサイン,物理的な環境や,過去,現在,未来の事象とのかかわりの中でのひとつの生きる過程である。体験過程は『主観的』でなく,相互作用的なのである。それは精神内的世界(intrapsychic)でもなく,相互作用的なのである。それは内側ではなく,内側-外側なのである。からだとこころと同じように,体験過程論は単に内側-外側のこの統一を主張しているのではない。それは気持ちに対しては内側の用語を使い続け,物事や人々に対しては外側の用語を使い続けるのではないのである。相互作用を示す言葉が基本であり,第一である。それは,あたかも外側で何かが起こって,それについての気持ちをということではない。むしろ,『起こる出来事』はすでに相互作用的なのである。それは人をすでに変えており,その人がなぜ,どのようにその状況にあるかが重要であるからこそ,それはその人にとって『出来事』なのである。ひとがどのように感じるかは,起こることの上にやってくる後の出来事ではなく,それは起こる出来事そのものなのである。(中略)出来事はひとがその出来事を生きる過程なのである。(中略)体験過程は常に内的に感じられ,状況的に生きられ,そしていつも相互作用として参照される。」
と述べられる。そして,
「このような一歩にはからだで感じられた継続性(bodily felt continuity)がある。(中略)からだのプロセスにおけるこの変化―内―継続の特徴(continuity―in―change characteristics)を突然の変化や変化がないことと区別するために,それを推進(carrying forward)と呼ぶ。
文化,歴史,思想や個人的生活の複雑さにもかかわらず,状況に対するからだで感じられた実感(フェルトセンス)(bodily felt sense)はこの過程-進展(process movement)の特徴を保持しており,あるフェルトセンスはある特定の出来事や次の行動,言葉や他の象徴によって『推進』されたり,されなかったりする。からだで解放が感じられるあの特徴的な変化による継続性は起こるか,起こらないかのどちらかなのである。
例えば,今『へんな感じ』(認知的に不明瞭)があるとすれば,感じられるものについて述べてみることができる。『へんな感じがします』と言ってみるかもしれない。『妙な感じがします』と言い換えてみても,たぶんその感じは変わらないであろう。もしも『いい気分で,何か面白いことをしてみたい』と言ってみると,これは望ましいことであったとしても,『へんな感じを推進』するには,あまりにも突然の変化となるであろう。かなりの努力を要して,わりと特殊な言い回しを思いついたときにのみ,あの変化―とともに―継続(change-with-continuity)が体験され,『あぁ,そうだ,私が感じていたことはこれでピッタリだ!』と言えるであろう。その中核は,言語化されなくても,そのいくつかの側面はとらえられ,『それが何だかかよくわからないけど,何か怖い感じがする』というようになるかもしれない。その場合,大きく流れ出るような解放や一息つくことはなくても,もっと小さなスケールの『…そう…ええ…そう…それは確かに,この〔気持ちの〕一部なんだなぁ』といった実感がある。シフト〔変化〕が感じられ,からだの何かが解放される。明らかにただの言葉だけではないのである。それを言うことによってからだへの効果があり,その効果が異なったものへの,ただの突然の変化ではない。したがって,人がその体験過程を(言葉や他の象徴によって)象徴化すると,それ自体がさらに進んだ体験過程で,それは象徴化される体験過程の推進とそれによる変化なのである。感じることを話すことは感じることを変えるのである。」
そしてその瞬間のことを,
ひらけ(unfolding),
と名づける。僕は,ひらめいた瞬間を「視界が開く」と呼ぶが,それと似ているかもしれない。
「直接感じられたリファレント,すなわち感じられた意味に(中略)焦点を合わせていくと,時にそのレファレントが何であるかを一歩一歩次第に明白に知るようになる過程が見られることがある。しかしそのことがある瞬間に劇的に『ぱっと開く』(open up)こともある。」(「人格変化の一理論」)
こうした背景を意識して,技法としてのフォーカシングのプロセスを改めて見直してみると,ジェンドリンが,体験過程を,
現在を生きる過程の中で自分自身を築き上げ,変えていく,
と実存的な意味を負荷した意図がよりわかるのではないだろうか。
参考文献;
ユージン・ジェンドリン『セラピープロセスの小さな一歩』(金剛出版)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm
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