「うま」は,
馬,
と当てるが,実は,この「馬」の,
字音「マ」
が,「うま」の語源だと,『広辞苑』にはある。実は,古代史の本を読んでいたら,こんなことが書いてあった。
「『馬』を『うま』と訓じるのは,中国語の『マ』(もしくは『バ』)が転じたものである。つまり和語にはあの動物を表す言葉がなかったのである。ほとんど見たこともなかったのであるから,それも当然である。馬のことを駒というのも,『高麗』つまり高句麗の動物という意味なのである。」
その結果,四世紀末から五世紀にかけて,朝鮮半島に出兵した倭国の大軍は,高句麗に大敗する。
「短甲(枠に鉄の板を革紐で綴じたり鋲で留めたりした伽耶『由来・語源辞典』の重い甲(よろい))と太刀で武装した重装歩兵を中心とし,接近戦をその戦法としたものであったのに対し,既に強力な国家を形成していた高句麗が組織的な騎兵を繰り出し,長い柄を付けた矛(ほこ)でこれを蹂躙したことによるものと考えられる。歩兵にしても,高句麗のそれは鉞(まさかり)を持った者や,射程距離にすぐれた強力な彎弓(わんきゅう)を携えた弓隊がいたことが,安竹3号墳の壁画から推定されている。
歩兵と騎兵との戦力差は格段のものがあり(一説には騎兵一人につき歩兵数十人分の戦力であるという),これまで乗用の馬を飼育していなかった倭国では,これ以降,中期古墳の副葬品に象徴されるように,馬と騎馬用の桂甲(けいこう 鉄や革でできた小札(こざね)を縦横に紐で綴じ合わせた大陸の騎馬民族由来の軽い甲)を積極的に導入していった。」
とある。日本の在来馬については,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9C%A8%E6%9D%A5%E9%A6%AC
に詳しいが,
(御崎馬)
「日本在来馬の原郷は、モンゴル高原であるとされる。現存する東アジア在来馬について、血液蛋白を指標とする遺伝学的解析を行った野沢謙によれば、日本在来馬の起源は、古墳時代に家畜馬として、モンゴルから朝鮮半島を経由して九州に導入された体高(地面からき甲までの高さ)130cm程の蒙古系馬にあるという。」
としているので,高句麗大敗後のことという時代背景は合う。ただ,「高麗」由来という説は,
「『こま(駒)』の『こ』が上代特殊仮名遣いで甲類であるのに対し,『こま(高麗)』の『こ』は乙類である」
ため,現時点では,認められないようである(ただ,「上代特殊仮名遣い」自体は,あくまで仮説なので,それが覆る可能性はあると僕は思っている)。しかし,上記の由来を考えると,朝鮮半島を経由するプロセスで,「うま」と係る言葉を手に入れたと見なすのが妥当ではあるまいか。なお,「上代特殊仮名遣い」については,何度か触れたが,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E4%BB%A3%E7%89%B9%E6%AE%8A%E4%BB%AE%E5%90%8D%E9%81%A3
に詳しい。
さて,「うま」の語源であるが,『日本語源広辞典』は,二説載せる。
説1は,「『中国音m』が,語源だと言います。この音を単独で発音できない日本人は,前に,母音u,後ろに母音aを,加えてウマとしたのです。外来語に母音を加えて発音する習慣は,現在でも,インキ,ブック,デッキ,などにも見られる現象です。」
説2は,「『ウ(大)+マ(時間・空間)』説です。大いに,早く,遠くに行くものの意ですが,この説は疑問に思います。」
『日本語源広辞典』が疑問に思った説を,『大言海』は,「こま(小馬)」の項で,
「古名は,イバフミミノモノ(英語に云ふ,ponyなり)」
と注記して,
「応神天皇の御代に,百済国より大馬(オホマ 約めてウマ)の渡りたりしに対して,小馬と呼び,旧名は滅びたりとおぼし。神代期の駒(こま),古事記の御馬(みま)の旁訓は追記なり」
とし,
オオマ(大馬)→ウマ,
コマ(小馬)→コマ,
と,その大小から,二系統の由来,ということになる。『日本語源広辞典』が,「こま」については,
「小+馬」
の音韻変化とするのは,暗に,「コマ」と「ウマ」の由来が別と,言っているような気がする。『岩波古語辞典』は,
「こま」の項で,
「こうま(子馬)の約」
としているのは,「大馬」が親馬で,「小馬」が子馬ということなら,意味が通る気がする。なお,「うま」の項で『岩波古語辞典』は,
「ウマは古くからmmaと発音されたらしく,古写本では,『むま』と書くものが多い」
として,朝鮮語,満州語に関連すると想定している。『日本語源大辞典』には,新村出説として,
「蒙古語mori(muri),満州語morin,韓語mat(mus)mar,支那語ma(mak)などと同語源。馬自体が大陸から伝わったのとともに,音も伝わった」(琅玗記)
を載せている。確かに,馬とともに言葉も伝わったのだが,いずれも「マ」由来に見える。
さらに,『岩波古語辞典』には,
「平安時代以後は,歌謡には,馬を,コマということが多い」
とあり,駒と馬は,混同されていったようだ。なお,『日本語の語源』は,
「中国語のバイ(梅)・バ(馬)を国語化してウメ(梅)・ウマ(馬)という。『ウ』は語調を整えるための添加音であった。これに子音が添加されてムメ(梅)・ムマ(馬)になった。さらにム[mu]の母韻[u]が落ちて撥音化したため,ンメ(梅)・ンマ(馬)という。」
とある。
参考文献;
倉本一宏『戦争の日本古代史-好太王碑、白村江から刀伊の入寇まで』(講談社現代新書)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9C%A8%E6%9D%A5%E9%A6%AC
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
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